それが何を意味しているか

映画「オッペンハイマー」を見た。

もともとそれほど興味があったわけではなく、監督のインタビュー記事を偶然読んで(それなら見てみようかな)と思った。忘れてしまいそうなので、自分の気持ちに勢いがあるうちに公開初日のレイトショーのチケットを予約した。核兵器について考えるとき、個人的に「広島」と「物理学」というバックグラウンドを持っている。この映画は後者の側の作品。

180分、ずっと集中していた。見て良かったと思った。学部のときの(たぶん3回生の春の)あの講義の日からずっと、折りにふれ考え続けているテーマ。そのスイッチが深いところまでオンになってしまったようで、映画を見てから1か月が過ぎた頃も、まだぐるぐると考え続けていた。文章にまとめておこうと思ったけれど、うまくまとまらない。でも結論はいつもシンプルだ。結論だけは変わらない。

映画では、1920年代、1930年代の物理学のエキサイティングな状況が描かれる。オッペンハイマー自身も、目を輝かせて最新の物理学を語る。物理学を専門的に学んだ身には心躍る場面だ。サイエンスは本来、この世界を読み解いていく営みだ。今まで見えなかった世界が見えるようになり、理解できるようになる。でも後世のわたしは、その後に待ち構えているものを知っているので、高揚感と同時に、キリキリするような痛みと、息苦しくなるくらいの動悸を感じながら映画に見入っていた。

原子爆弾をつくるとはどういうことか。トリニティ実験が成功したとき、それは何を意味しているのか。

関係者一人ひとりに聞いてみたい気もするし、耳を塞いで一切聞きたくない気もする。それは何を意味しているのか。原子爆弾を落とすということは。

映画はオッペンハイマーという人物について描かれているので、わたしの問いかけは、ごく一面に対してのものにしかならない。でもその問いかけに対する答えは、そこかしこに含まれていると思った。実際はどうだったのだろうという思いは消えないが、それは映画とは別の話。映画としては、様々な要素が詰め込まれ、素直に面白いと思った。

一点、核実験や原爆の描写について念入りな注意喚起があったのは意外だった。個人的には、自死のシーンこそ事前に警告が欲しかった。

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