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時間が過ぎ去ること, 歳をとることが, いつからか大きな喜びとなった.

僕にとって死は悦びであり, 唯一の希望である.

こんなことを公共の電波で流すと、心無い意識高い近代人からこう揶揄される。

「生きたくても生きれない人もいるのよ」

「大切な人が亡くなって悲しんでる人がいるかもしれないでしょ」

「生きていさえすれば何かあるから!」

「周りの人が悲しむのは別にいいの?」

などなど。

「お優しい」方々だ。それは2億年前に3千億周した話だ。

言葉の自動機械として駆動し続け、「幸せ」に満ち満ちて生涯を終えてゆく貴方が、こちら側の受容機を回復させて、大切にすることはほぼ確実にできないんだろう。

10代の間は、まだ歳をとることに焦りを感じるほど、煌めいた精神を持ち合わせていた。

「幸せ」のカケラがキラキラ光っていた。

なんだか、急激に老けった。

生死を溶かし、生きる希望を失った私は、死を渇望するようになった。

きっと今余命宣告をされたら、パーティーを開いて涙を流しながら悦び、肩を組んで歌いながら乾杯するだろう。

嬉しすぎて、眠れないだろう。

生きているなんて、そんなもんでしかない。

勿論綺麗事の数々は百年前に承知している。

終わりが来るまで、ダラダラと生きるしかないという地獄も、有難く、感動できる話だ。

あと何十年も続くと考えると、ちょっと正直、「あ、けっこうです、、」と言いそうになるが、言葉を飲み込んで笑う.

僕の笑顔は、最近どんどん酷くなったから、鏡を見て少し笑う練習をするようになったが、歯並びの悪さと染み付いたクソ笑顔で顎が出て気持ち悪さが増し増しになっている。吐き気さえしてくる。

どんなにしんどくても、人がいる時は一生懸命笑顔でいる。バカみたいに。誰もそんなこと分からず、ぶっ殺し続けてくる。ありがとう。ありがとう。

自殺に興味が無いから、自然と死ぬのをまつしかないのかもしれない。

ぁぁ、もういいよ、

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大丈夫.