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「まぁ、死んだらいんじゃね?別に」と言う人は、死んだその人の額に触れて、何を思うのだろう。

誰かが、間違いなく「わたし」のせいで、死にそうになっていた時、「わたし」はその人にこう思い、こう言った。

「まぁ、別に、死んでもいんじゃね?正直、もうどうしようもできないし、こっちに助けを求められても困る。」

そしてその誰かは死んだ。

「わたし」は、その死んだ人の、冷たい頬に、手をあてる。冷たい手を握る。

その時、「わたし」は、何を想い、どうなるのだろう。


誰かが、間違いなく「君」のせいで、死にそうになっていた時、「君」はその人にこう思い、こう言った。

「まぁ、別に、死んでもいんじゃね?正直、もうどうしようもできないし、こっちに助けを求められても困る。」

そしてその誰かは死んだ。

「君」は、その死んだ人の、冷たい頬に手をあて、冷たい手を握り、何を想ふだろう。


真剣にそんなことを妄想する。


だが、そんなことは他人事でしかなく、結局のところ、そんな妄想をできない人間が大半なのだろう。

その冷たさは、何を物語るだろうか。

「わたし」と「君」の凝り固まった認識をどこまで溶かし、その先へ誘うだろうか。


あるいは後悔するのだろうか。

もう、何も感じず、今までと同じように、「感情の支配」と「記号的虚構の構築」しか、できないのだろうか。

或いは全く別の、「全の直覚」が巻き起こるだろうか。

真剣に自分のせいで自分の周りの人が亡くなることに目を向けて、その冷たい頬に手を当てられる妄想ができる人はどれほどいるだろうか。

そこには一体、何が見えますか?


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