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“あぁ、もう六月終わりか...このまま人生も終わればいいのに...”,あまりにも地獄の日々の中で.

日々、どれ程目の前のいのちに向き合い、調和し、融解していたとしても、たまにいのちの本音が吐き出ることかある。

仲のいい人と話している時、カレンダーを見て、気が付いたらふと呟いていた。

「あ〜、もう6月終わりかぁ〜、、こんな風に人生ももう、すぐ終わってくれればいいのに。」と。

今日もとてつもなく楽しい日だった。

気持ち良く、嬉しく、面白い1日だった。

そんなことは、何の関係も無く、日々、常に死を望んでいる。渇望している。

自殺は惹かれないからしていないけど、首を吊る方法をひたすら考えて一日が終わっている日も多い。

人を殺すことは、簡単である。

一度やったら、もう二度と取り返せないのが「生命」であり、一度壊しても、壊した気になってるだけで、何も変わらずにあり続けるのが「いのち」で。

「いのち」は本質的に、誰にも壊せるものでは無い。それでも、覆い隠して、無いものと認識することも、ぶっ壊れた形に認識することもできる。

生命を殺した人間ほど、自己責任論に陥り、認識論でガチガチに固まって、幸福を語り、欲望にヨダレを流し、アヘンで狂った病人のように、とんでもない虚構を構築して世界を狭く狭く狭くして、「人を救う!」と言っては、人をぶっ殺し続けていく。

一度やったら、それを背負ういのちに根ざす1歩を踏み出せない限り、もう二度と、お前にいのちは救えない。

くだらない自己啓発本を書いて、「共感」の渦の中でニヤニヤしながら自己肯定する方法を探し続けて死んでいくしかない。

そしてまた、他人を巻き込み、連鎖を広げ続けていく。しょうもない言葉で作られた虚構に人を埋没させ、人を助けた気になってまたニヤニヤする。

1歩踏み出す勇気なんて、きっと無いんだろうな。人間には。認識できる範囲を飛び越えた、神的な世界観で、灯を見つける以外、もう二度と、君がその地獄生成連鎖から抜け出す方法はない。

そのまま幸福にグチャグチャに埋もれて、呼吸ができないまんま死んでいく前に、誰が手を差し伸べられよう。

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