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泣くためだけのランニングと、吐くためだけの食事と、狂うためだけの睡眠と、死ぬためだけの今。

風のせいだろうか。走っていたら、涙が止まらない。風のせいだろうか。歩いていても、涙が止まらない。風のせいだろうか。横の崖から落ちそうになる。風のせいだろうか。

僕は、風になれなかったんだろうか。

生きるためだったはずの食事は、吐くためだけの食事になって、全ての愛おしい食べものたちが、みんな泣いているように見える。それに、ごめんなさい、ごめんなさいと言いながら、心をグチャグチャに絞り続ける。

僕は、愛おしい世界を見せられなかったのだろうか。

次の日なんて、来なくていいと思いながら、寝る。そして、理性が崩壊し、狂う。あらゆる情念に取り憑かれて、パニックになり、叫び、頭を打ち付け、髪の毛を引っ張り、顔を叩き、嗚咽を吐く。記憶は薄らしかないが、制御はできない。

安心な世界は、誰が求めていたんだろうか。

地獄のような嘘をつかれ、地獄のような未来を見て、地獄のような孤独と、地獄のような不自然さに取り憑かれ、地獄のような今を、ただその地獄でいつか来る死を先延ばしにするためだけに、生きている。

僕が感じた自然は、人為で崩れた瞬間に、全てを破壊し始める。僕らはその自然の中で、生かされていたことに気が付く。人間の欲望に満ち満ちた気持ちなど、とうの昔に見切りをつけたはずだった。

俺は母親や父親といる時だって、同居人といる時だって、仲良しな友人らといる時だって、親友といる時だって、自然だと思うことは何度もある。

だが、そんな自然と、あなたと共有したはずの自然は、比べることなんてできない程に、スケールと全体性がかけ離れていた。

私たちは、これから来る出会いに素晴らしき自然を発見し続けたいと願っている。それは絶対に、閉じてはいない。閉じるのは、人間の欲望だけである。世界を分断し、苦しみや悲しみを生むのは、人間の欲望だけである。

欲望は、この世界の自然を崩し、人を殺し、全ての大切なものを、最終的に消してしまうだろう。

気が付いたら、誰もいなくなって、なにもなくなっているだろう。

だから僕らは、一線を設けて誠実性を保つ。欲望の赴くままに自然を感じ続けても本当に「生」に誠実でい続けられる人もいるのだろうが、少なくとも僕らはそうではない。


だが、そんなことはどうでもいい。

やりたいならやればいいし、行きたいなら行けばいい。終わりなき日常に没入し、息苦しい世界で人為で生み出す自然の中で、気持ちよく呼吸をすればいい。

悲しみの連鎖を生み出すチェーンの一部になって、後世まで悲しみを引き継いでいけばいい。


人を救うのは、父性と誠実性だ。それを度返しして不誠実で父性の無い人間が、人に助けを求められて、欲望を満たして喜ばせてあげるのは、あまりにも残酷だ。互いの苦しみを緩和し合えれば、我々は息がしやすくなる。その時の「息のしやすさ」が自然なのだと錯覚し、のめり込んだら、気がついた時には、本当にそれを包み込んでくれていた自然は、消えてなくなっている。

もう一歩、老いて心を落ち着かせ、父性と誠実性を果てしなく持って、声をかけたり、抱きしめたり、してやらなきゃいけない。そこに欲望を介入させるほど、愚かなことは無いし、それは父性がない人間の簡易策だ。

生きることは、もっと優しく、もっと風通し良く、もっと爽快であってほしいと、僕は思う。


#これは文学

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