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永久をなぞるいのちの灯と、ただ、幸福に光輝き終わりゆく人間の生命が、共存する瞬間に進む、“死の悦び”への道を。

 死の悦びへ、詩をう。


 幸福に没して、「自分」を囲いこんで立たせることで、満足感を得られる人は、きっと、きっと、しあわせだろう。

 あらゆることを平面に並べて、言葉や感情の自動機械として認識を進める人の欲望は、誰かに消費されてまた、肯定の膿の中で暴れ続けて満たされていることに興じるのだろう。


 あぁ、また、間違えた。

 プツッと、また、真なるものが、切れた瞬間、

 死の悦びは、果てしなく近く、すぐそこまで迫ってくる。

 たとえどれほど、真を忘れようとも、

 たとえどれほど、生死を繰り返そうとも、

 いのちの灯は、「ある」ものとしてあるような

僕がみた全ては、

 まだここで、風となって、全を吹かせ続けているはずだ。

 死の先に何があるのかは分からないけれど、

 何故か、ハッキリ分かるのは、

 きっとその先にも、

 灯は、ふわふわ、永久に、あるといふこと。


 長い人生の中で、もしかしたら、

 僕といた短い瞬きだけが、

 永久を孕みながら、「ある」世界に、

 溶けられた時だったのかもしれない。


 もう、終わってしまふ道を選んだのかも、

 しれないけれど、

 僕は、何も望まないから、

 きっと、ずっと、

 手は、差し伸べないんだろう。

 終わりゆくきらめく生命を、

 ただ抱き込んで、そのまんま、

 僕は逝くのだろう。

 

 「意地」も無ければ、「信じる」ことも無い。

 ただ、そうで「ある」ものを、ただ、

 守って、守って、いることが、

一体どれほど苦痛を伴おうとも、 

 一体どれほど生気を亡くそうとも、

 ぼくの、いまと、とわだと、わかる。


 大切なものは、何も変わらない。


 変わりゆくのは、人間の愚かな認識だけで、


 自然もまた、虚ろいゆくように見えて、


 何も変わらず、ここにあるからこその、


 自然でもあるのである。


 終わった生命を抱き込み、

 全てを溶かして、悦びに変えよふ。


 きっといつか、必ず、

 来世でも、

 ℎ𝑎𝑟𝑢𝑘𝑎またその先でも、 

いのちのもとへ、帰ってくる魂を、

僕は、僕だけは、待ち続けているから、

だから、大丈夫だよ。大丈夫だよ。

 




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