脳裏に墨汁が落ち続ける日々に。
地獄さん地獄さんにゃんぱす〜。
今日も目を覚まし、地獄にふざけた挨拶をして一日が始まる。
耳の鼓膜がバクバクしているような感覚は、墨で真っ黒にした心臓の内部に入っていって、爆音の鼓動に包まれているような、そんな感覚に似ている。
脳裏には、ポタッポタッと、大粒の墨の滴が落ちて、そこにだけは当たって欲しくない最も大切なところに当たり続け、ゆるゆると真っ黒に埋め尽くしてゆく。
あと、ほんの少しで、重度PTSDの病が呼吸を止めにかかってくる気配を感じる。
僕の生きる日々は、そんな感覚と友だちになるためにあるの。
うん。
ぼくにも、友だちは、たくさんいる。
田んぼで泣いているカエルも、ゆらゆらと輝く稲穂も、空から降り注ぐ太陽の光も、トテトテと走る猫も、ゆらゆらと舞う蝶や蜻蛉も、僕の身体に当たるさまざまな細菌や微生物たちも、あぁ、どんなに愛おしいことか、全て僕のお友だちだ。
だから、寂しさとか、孤独とか、そんなこと感じようがない。
いのちのお友だちたちは、いつも、ただ、そうであるように、この世界に生まれて、ただ、そうであるように、ただそこにある。ただ、それだけで、どれほど尊く、愛おしいことか。
巡る大きな循環の中で、僕らはまた、バカみたいに有り余った知性で「証明」を繰り返しては欲望を満たし、成長という名のアヘンに溺れていき、「誰も傷つけない方法はあるのだ」などという幻想に時間を浪費し続ける。
その代償は、圧倒的な痛みとなって、君や君の大切な人が知らないところで、ただそうであるように、ただ、そうであっただけのいのちを何らかの形で抉り殺し続ける。
そんな「幸福幸福万歳幸福うぇーい」と言ってニヤニヤ笑って生きてる誰かに、自己責任論を押し付けるほどつまらない話にも僕は興味がない。
ただ、そうであるように、ただそうであればいい。
ただ、そうであるように。僕は大切なものを壊さない。
ふわふわし続け、守ってゆく。
いつか来る死を心待ちにしながら、今日もとてつもない豊かさと、温かないのちに触れて、君の1歩を僕は待つのん.
明日もにゃんぱすすれば、地獄も友だちなん。
大丈夫.