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嗚呼SNS悲しきかな

僕はSNSが好きではないです。

その要素は大きく分けて3つです。

承認欲求「いいね」


まずこれですよね。

そんなに、日々生きていて、誰かに認めてもらったりできないんでしょうか。そんなに人に認めてもらうことが不足しているのでしょうか。それとも、もっと欲しいもっと欲しいという欲なのでしょうか。そんなのほんとに、寂しくありませんか。そんな世の中、寂し過ぎませんか。目の前のことで満たされずに、遠くにいる人の「いいね」という一瞬の指の動きで満たされるなんて。

でも、それが現実です。これが現実です。そんな世の中なのです。

「いいね」を貰うために、写真を撮ります。「いいね」を貰うために、作り笑いをします。「いいね」を貰うために、映えるものを食べに行きます。「いいね」を貰うために旅に出ます。せっかく誰かと何かをしていても、その誰かといる時間だけでは満足できずに、もっと違う空間にいる人の「いいね」を求めたり、もっと行くと、その誰かといることよりも、画面の向こうにばかり意識が行ってしまって、今その瞬間を味わっていなかったり。

勿論、SNSを使う誰しもがそういうわけではありません。しかし、SNSがこの世に生まれたことで、多くの若者の深層心理にこういった動きが現れたのは間違いないでしょう。

これを良いことと捉える考え方もあると思います。僕は、嫌です。そんな世の中が。悲しいもん。

目の前の人に「いいね」って言えない


SNSで何かポッとつぶやくことはできるのに、思ったことを、目の前の人にぶつけることはできない。

例えば、世の中への意見を、SNSで叫んだり、みんなに知ってほしいことを、SNSで発信することは、とても意味のある事のように思います。でも、自分の独り言をつぶやいたり、普段接する誰かへの意見を書いたり…これも、決して悪いことではありません。でも、一番怖いのは、それが酷くなると、思ったことを直接相手に言うことができず、SNSの中でしか言えなくなることです。

人と人の関係は、あんな文字数の限られてるちっぽけな文面で成立するような、機械的なものでは、決してないからです。一生懸命、目を見て、ぶつかって、一生懸命言葉を探して、一生懸命相手に自分の気持ちを伝えていく。そして、一生懸命相手の言ってることを理解しようとする。その中で人間は人間らしい関係を作り上げることができるのです。

好きなものだけフォローすればいい


ネット、SNSというのは、凄いもので自分の興味がない、見たくない内容はとことん画面から排除できます。自分の興味あるものだけ、好きなものだけ見ていても、誰も怒らないし、誰も傷つかないし、自分も満たされるし、良いことだらけなわけです。

一見、これは、良いことしかないように感じます。ただ、問題はそこにあると僕は思っています。人間、良いことしかない中で、生きてたらそのうち絶対勘違いするんですよ。良いことだけでは、ダメなんです。自分とは、考えも趣味も好きなものも価値観も違う人とたくさん出会って、そういう人たちと接する中で、自分を見つけ、相手を敬い、本当に良いこと悪いこと、大事なことを、見つけ出していく。これが人間の人間らしい生き方なんです。

SNSが出てきたことで、そのうちもっともっと、人間が人間を認められなくなったり、自分と違うものを「悪い」と一言で決めつけ、「良い」「悪い」でしか人や物事を見れなくなったり、人が人を信用できなくなったり、そんな人々が溢れかえる社会が生まれるでしょう。いや、もう生まれているのかもしれません。

僕は好きではない


僕は、SNSをほとんどやっています。ちゃんと、やってから、言っています。皮肉なことに、商売や様々な物事を実行するうえで、戦略上SNSはとても重要な役割を担います。僕はそのためにSNSをやっていますが、そういう目的が無かったら一切やりません。昔の人と繋がっていられるというメリットも、もはや僕にとってはデメリットです。たまに最近どう?と聞くようなのが、それがなんとも趣があっていいのに、日常が見れてしまうのです。なんだかなぁ。

さて、SNSの低年齢化もどんどん進んでいくこれからの世の中、一体どんな社会になっていくのでしょうか。

大丈夫.