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人を捨てるといふこと。

 「生や死も常に選択肢の一つ」といふ半ば当たり前の価値観をポイッと投げられたら、「あ、たしかに。」と思ふ人がたくさんいるのだろうか。


 人を捨てるとは、どういふことなのか。


 例えば、人に、「生きて欲しい」と願ふことは、どういふことなのか。

 ほっとけば死んだはずの人に、貴方はなぜ、「生きていてほしい」と願い、伝え、生命を繋がせたのか。

 そんなことをした後に、その後、貴方に別の一緒に生きていきたい人ができたとする。その瞬間、貴方が繋がせた生命に「なんで生きてなきゃいけないの?」とまた聞かれて、貴方はこう答える。「たしかに。止める理由って意外と無いね。」と。

 つまるところ、それは、「自分が一緒に生きたいから生きていて欲しい。(そうでなくなったら死んでもらって構いません笑)」「自分が貴方を必要としているから生きていてほしい。(そうでなくなったら死んでもらって構いません笑)」といふことだった、といふことになってしまふ。


例えば、ある人に子どもができたとする。

子どもが、自分の存在価値が分からず、死のうとし続けたとする。それを親は、ずっと抱きしめて、「貴方は本当に本当に、生きているだけで、本当に大切なの。ありがとう。生まれてきてくれて、本当に、ありがとう。死なないで。死ぬなら私も一緒に死ぬから。貴方がいない世界で生きている意味なんてない。」と伝えて、生命を守り続けたとする。

その親に、2人目の子どもができた。

そして、1人目の子どもが、また死のうとした。すると親はこう言った。「たしかに。死ぬことも、人の大切な選択肢の1つだよね。そんな簡単に、奪っちゃいけないよね。」と。

それ以上、その親は、もう何も言わなかった。

ただただ、2人目の子どもを愛し、また同じように、「死なないで。死ぬなら一緒に死のう。」と伝え続けるのだった。


 人を捨てるとは、こういふことなのではないだろうか。

 自分の都合で人の生命をテキトーに扱ふ。

 要らなくなればポイ捨てする。損得マシーン。

 貴方は、こういふゴミカスだろうか。

僕は、少なくとも、ゴミカスにはなりたかない。

そして、本当に大切な貴方を永遠にゴミカスにもしたくない。

 そして、本当に大切な貴方をゴミカスにしようとする感情利用一目惚れマシーンゴミカスはぶん殴ってやりたい。

もしもそれが先程のように子どもならば、親の心の入れ替えが必要で、それはとかく難しいことなんだろうけれど、もし、2人目が恋愛のような場面ならば、「幻」を追っている半ば病気である可能性も高いので、諦めずに待ってあげるいのちの存在が重要になるはずだ。

 だから僕は、「迷子である」貴方を、永久に待つことで、大切なものを、守りたいんだろう。

 そんな風に待っていてくれる人は絶対普通いない。だからみんなゴミカスになって、肯定するしかない人生を歩んでゆくことになるのではないか。

 僕は何事もなかったかのように溶かす。

 いのちは、何も変わらず、ここで待つ。

 常に非言語的に、認識されない世界で、

 圧倒的に自由で、圧倒的に爽快な、

 全てが満たされていた世界は、

 僕がちゃんと守る。

 あらゆる痛みの中でも、それを守れる人が、つまり、大切なんじゃないんだろうか、、。


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