夢や希望はありますか、と聞かれたところで、「死」以外の答えなど浮かばないのですが、深掘りされるのも困るので黙るしかないのです。
ニヒリズムの悩みでもなければ、躁鬱から意味に縋り生き延びるためのそういった道具でもないし、もっと想像のできない広さと大きさと深さと、全の話。
だからこそ、困る。
「んー自分は何もない。あるゆるものに興味もあるし感動もするけど、あらゆるものに興味が無く感動もしない。」と言う人は増殖の一途を辿っているが、そうした本来層化した世界でとんでもなく輝ける人間に、3D平面世界で意味を投げて「救った」「救われた」という関係性を作る沼に入れるような、父性のない行いに温まりもなければ、ほんとうもくそも何もない。
勿論、そうすればある程度の幸せホルモンを出し続けて、枠を設けて満たし続けて生きることはできるし、それで死んでいく人ばかりだし、それ以外の選択を隠していくのがこの社会の常であり定石のようになっている。
それはそれでいいんだが、もはやそうした沼にいる人間の答えだと受け取られるのも甚だ嫌なので、黙るしかない。
層化した世界を捉えていて、いのちに根差した話をとことんしているので、勿論あなたの言う次元での夢や希望はあるのかもしれないけれど、そのある層から出ない夢や希望といふ概念そのものにたいして興味がないというのが本当のところだ。
ともすれば、こちらに続く、かなり大事な話な気がする。↓↓
大丈夫.