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あたたかい文章を書かなくなった分、日常の僕は、きっと、もっとあたたかくなった。

 もしも、僕のnoteを読んでいる人がいたとしたら、いつも暗い文章を書いている僕を、ただ苦しんでる不幸な可哀想な奴だと思うのかもしれない。

 何故だろう。

 最近は、心があったかくなるような文章を、書けなくなった。

 頑張って、あったかい文章を書こうと思うと、あまりにも、しんどくなる。

 僕の温度を全て分かってくれた人は、もうどこかに行ってしまったし、もう二度と、その人以外に神的に繋がれる人は現れない。ある程度誤魔化しが効くくらいの人はたくさん現れるだろうけど、僕はいのちと向き合いたいから、次元が全く追いつかない。僕の心はもう、沼に落ちれない。

 あたたかい文章を書かない分、これまでの何倍もあたたかくありたいと願うようになった。いや、いつか大切な人が帰ってきた時に、びっくりするくらいのあたたかさで包み込みたいって、思うことで、なんとか細い生命の糸を守るようになった。

 ただ、あったかい居場所を守り続けていたい。ずっとずっと、永遠に。

 いのちは、大切なことを、絶対忘れないし、どんなに迷子になっても、結局、いのちは、いのちに辿り着く。そしてそこには、間違いなく、「人間」が想像不可能な世界が広がっている。

 僕は、そんな世界を必ず、守り続けているし、リアルの僕は、文章で見る僕の何億倍もあたたかくありたいと願って、祈って、生きている。

 本当にしんどくて、もう、人が喜んでる姿を見る以外、たいして何もできないけれど、それでも、生きるしかないから、僕は、生きてゆく。

  あらゆる欠点を炙り出しながら、その上で父性と誠実性と、いのちのゆくさきを考えて、守破離を続けているから、少しずつでも、角が消え、いや、そんなもの元々ないけれど、もっと、何か、非言語的に温度を共有できるような、

いや、まずは、とりあえず、生命の糸を、紡ごう、それだけ、それだけで、上出来じゃないか。

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大丈夫.