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浮気や不倫について思ふこと

「即今」

これから絶対やってくる苦しみを予期しながらも、「今、好きだから」「今、止められないから」「今、が大事で、これからのことは結局その時に考えるしかないから」と思い、これからの苦しみよりも「今」の救いや喜びを大切にするのが、浮気や不倫のようなものの特徴かもしれない。

もしも子どもがいたら、パートナーだけでなく、子どもと、その子どもに将来関わっていく人まで、巻き込んで傷つけていくことになる。

この社会で、たくさんの「悪」とされるものが存在するとして、その根底にはそういった苦しみの受容があり、連鎖があると、捉えることもできる。僕は結構その理論に真実性を感じる。

別に子どもがいないのであれば、パートナーを酷く傷つけて「1」この世界に苦しみの源泉を作るだけなので、まぁまだどうでもいいし、パートナー次第ではその「1」を「0」にしてしまえる人も、奇跡的にいる可能性もあることはある。

ただ、そんなことをしている間は、決して親になりたくはない。

子どもにそんな父性なき愛が受け継がれることは、次の世代にも、「1」どころじゃなく、複数の苦しみの源泉を作ってしまうことになる。これはほぼ確実にそうだと僕は思う。

父性は、「即今」(過去からの今)(今からの今)(今)ではない。常に「未来からの今」の話である。

後の世代や、後の行く末についての「責任」を全部自分一人で引き受ける器の大きさだったり、時に嫌われてでも「終わりなき苦しみ」を止める勇気だったり、そういう話である。

あまりにもそういった意識を持って物事を思考できる人が少ないので、僕はそれを1つの希望かもしれないと訴えている。

(常に「即今」は大切であり、そちらも僕は大好きであるが、未来の苦しみを消す希望だとは思っていないというだけである。)


これは、「戦争はなぜ終わらないのか」みたいな話にまで遡る。「貧困はなぜ終わらないのか」みたいな話でもあるかもしれない。慰安婦問題とかなんかも同じだろう。

まず、僕は戦争を人類がしなくなるとか、貧困がなくなるとか、そんな夢物語は全く考えていないしどうでもいい。ただほんの少しでも、子どもたちの未来に何を残せるかを考えたいだけだ。

やはり、よく漫画や映画でもあるように、「復讐」は連鎖する。

親やパートナー、子ども、大切なもの、生きる意味を理不尽に殺された恨みは、人を復讐に駆りたてる。或は「復讐」はしないと願っている人でも、自分が「その苦しみを受け入れた」という事実を、相手の基準に押し付けていく可能性がある。自分はできたんだから、「やれよ、やる気がないんじゃないのか?」みたいな話をし始める。

生きる意味を目の前で奪われたら、もう何もかもどうでもいいので、復讐なんて簡単にしてしまう。テロや犯罪で世の中をグチャグチャにしてしまうのも簡単だし、新たな恐ろしいイデオロギーで人類殲滅作戦を敢行することもできる。

自分の親が、理不尽に殺された。→あいつの親を殺してやる。→自分の親が殺された。→あいつのことを殺してやる。→自分の親が殺された。→あいつの親も殺してやる。

どこかで苦しみの連鎖を止めるには、誰かが、苦しみが連鎖する「未来」を変えるために、「今」全てを背負って、全てを許して、相手も敵も、過去も先人も、全て愛して溶かしてしまわなければいけない。

例えば、ネルソン・マンデラ、ガンジー、キング牧師、西郷隆盛、これまで復讐や苦しみの連鎖を止めてきた人々は、「ゆるす」ということに長けていた。いやはや、キリストは、今も人に何かをゆるさせている気もするので、元祖って感じもする。

そりゃ、そんな歴史に名を残すような人間が、出てきてほしいという話ではない。もっと小さくて、身近な話で、上のような「事実」を的確に理解して、自分にできることを探す人が増えてほしい、というそれだけでしかない。

アドラー心理学のような「即今」が救う苦しみも分かりやすくたくさんある。しかし、それは、自分の親が殺された恨みを、相手の親を殺すことで晴らしたいと願う意識とさして変わらない。貧困で飢える子どもに贅沢なご飯を食べさせてその時だけ満足させるのとたいして変わらない。「期待」は「希望」と必ずしも同じではない。「贅沢なご飯を食べられる世界もあるんだよ」という「希望」を与えたつもりになっているだけかもしれない。人類はだいたい愚かだから、父性無き愛を授かった人は、父性を知らず、「期待」だけを膨らませて、結局絶望して人を殺したり、自殺したりする。未来について無頓着でありたいと願う心は、「今」を救うが「未来」を救わない。

無論、「今」苦しんでいる人には、「即今」の意識で向き合えばけっこう分かりやすく救える。だが、オルタナティブな解決策をとにかく探し続け、「今」を満たすどころか、全てを溶かして連鎖を止める意志とその背中を見せるだけで、意外と父性は連鎖し、「今」だけじゃなく、本質的に救われる人は増えると僕は思う。

それをやろうと思える人が、増えて欲しいという話だ。別にうまく出来なくてもいいのだ。

子どもは親の背中を見ているし、大切な人は大切な人の背中を見ている。

抱きしめてやる父性は、時に「即今」の「救い」でしかなくなる。あまりにも「父性」の、意識のないこの世界でとても傷ついてきたあなたは、どう生きるのだろう。何をしてあげられるのだろう。何を子どもたちの未来に残してやれるのだろう。


父性を持とうが歴史は変わらないし、人類は救えない。常に苦しいこのクソ世の中で、目の前に現れる苦しみに誠実に向き合って生きていくんだという即今精神は最高だ。何をやってもこの世界は変わらないし、最低だ。

だが、人間はもう少し繊細で、死にやすく、感じやすい。父性無き愛は温もりの拡大と融和を鈍化させ、分断を生んでまた誰かの大切なものを殺し、灰色の世界を拡げて受け入れさせる。その現実と、父性がもたらす青空を、無視せずに、見てみて欲しい。

浮気や不倫は、先ほども言ったようにパートナー次第ではいくらでもしていいだろうが、子どもは親の背中を見て育つのである。もしもあなたが人の子の親ならば、あなたが、本当に残したいものは何かを、真剣に探していってほしいと、心から願っている。

簡単ではないけれど、人は、「即今」でしか救えないわけじゃない、ということだけは、伝えていきたい。

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