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「“味方だと思うから味方なんだよ”とか、そんなんじゃないよ」と思える人が少なすぎる地獄から這い出ることが、できますか.

何があろうと味方でいてくれる人が、貴方にはいますか。

僕にはいない.

味方といふのは、貴方の都合を何だって全部受け入れて、貴方の都合の良い人間になってくれる人のことではない。

味方というのは、言葉のこねくり回しで貴方の自己肯定感を上げる「優しさ」という名の餌を与えてくれる人のことではない。

味方というのは、貴方に煌めきを見せて守ってくれる「凄い人」ではない。

味方といふのは、そんなんじゃあない。

そんなんじゃあないんだよ、

そう思える人がこれほどまでに少ないこの地獄で、貴方は誰かの味方になれるんですか。

そういう話をした時、

「味方だと思えば味方だし、味方じゃないと思えば味方じゃない。貴方も私も。絶対なんて、ないんだから。」

と言う人に、僕は問いたい。

「そこにどんな、希望があるんですか。」と。

この僕に、希望を語れる人なんて、そういない。

そんなんじゃ、ないんだよ。

味方っていうのは、そんなんじゃないんだよ。

言葉から実態、認識から実態、そのクセが染み付いた人間には、きっとずっと分からないのだろうが、

味方っていうのは、そんなんじゃないんだよ。

君のそのずっと白状で恐ろしい「信じる」が、この世界の誰に、どんな傷を付けて、今、人をどんな人を殺しているのか、僕はその痛みを、全て背負ってしまいたい。

何にも気が付かず死んでしまう人がたくさんいて、何にも気が付かず、殺してしまう人もたくさんいて、何にも気が付かず殺させてしまう人もたくさんいる。

 貴方の痛みも、死への渇望も、貴方の喜びも、死の喜びも、地位も名誉も金も恋も、山と川と海の中にあって、アリ1匹よりどんなにか小さい。

けれども、一つ一つの生と死と、味方でいることはできますか。

味方でいることは、できますか。

貴方の手には、その心の温もりには、一体どんな灯火が光っていますか。


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