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生きることから逃げたくなることある

昔みたいに病んでそうなることはないけど、漠然と将来の不安から全てを投げ出して消えたくなることはある。
それを病んでるというのなら日本人の多くが病んでることになるだろうからこれは病みじゃないよね。
もう休みたい。物理的に休日が欲しいというわけじゃなく、社会的な一切から解放されたい。ニートになりたい。養われたい。
実際は何かしていないと不安になる性格だけど。

なんか、やっぱ思うんだよねー。これまでの人生を振り返るとハードモードだったなぁって。
年をとっていろんな人を見れば見るほど、いかに自分がハズレ環境で生きてきたかがわかる。
虚しくなる。
周りの人と同じように生きたいとは思わない。それなら死んだほうがマシ。だって「周りの人と同程度の今」なら「過去の違い」で結局マイナスになるから。
他人よりも幸せにならないと生きててよかったって思えない。人よりも頑張らないと生きていけない。
メンタルマイナス状態がデフォルトだから、周りの人よりうまく生きるためには、その辺のうまく生きてる人よりも多くの努力と運が必要になる。

でもだからこそ思うんだよなぁ。ハズレキャラでもわりかしやれるってことを下の世代に伝えないとって。☆1でも編成とかジョブとかクエスト次第では使えるんだぞって。

学生時代、自殺したり親を殺したりって内容の記事を見漁っていた。
こうするしかないのかなぁって気持ちで。
その結果、未遂で割と危ない状態になったこともあるし、親に包丁を向けたこともある。「そしてナイフを持って立ってた」ってやつ。あるいは「それに感化された少年がナイフを持って走った」。
私もそっち方面の手本になってしまった方が楽だったかもしれない。でも死にきれず、親も殺せなかった。それが正しいこととか思わない。綺麗ごとは嫌いじゃないけど、誰が何と言おうとあの頃の私は自分も親も殺したかった。そしてあの頃の自分も親も生きてる価値がないって未だに思ってる。
それでも結局今私は生きてる。親は知らん。もしかしたらこの6年で死んでるかも。いやさすがに死んだら代理人的な人から連絡来るか。まぁ生きてるでしょ。
全員生きてるなら他の答えを提示するかーって気持ちがある。だから逃げられない。自分ルール。
逃げるなら死ぬ。生きてる以上は反骨精神に全振りする。

生きれば生きるほどこのルールが苦しくなっていく。過去は消えないし解釈だって簡単には変えられない。
遠泳と同じ。命が続けば続くほど続けるのが難しくなる。成功も失敗も含めて、結果がたくさんできていく。
何も成さず、何も残さないことがどれほど楽か。それでも何かをして、結果を生み出すことを決めた以上、どんどん自分を評価する材料が揃っていく。後悔も積み重なっていく。
そのたびに逃げたいって気持ちになって、そのたびにそれまで以上の気力でそれを抑え込まないといけなくなる。

そんな苦悩も全部含めて「だけどやれないことなかったよ」と言える人間として死にたい。
そしたら、まぁ、私の声を誰が聞いてるんだって話ではあるけど、もし悩んでる子供の目や耳に私という存在が届けば、少なくとも多少は「社会的に正しい手本」になれるでしょ。自殺とか親殺しってのは、正しいかどうかは別として社会的にはマイナスイメージだし。健全な事例を作りたい。
私が諦めたら、「自分も諦めよう」と思う子供が現れないとも限らない。

10年間自分をさらけ出して活動してきた。失踪して消したアカウントもある。もしかしたらそれが誰かにとっての絶望になったかもしれない。
でも、それは過去の私。今も私は生きてる。無責任にも。
前も書いた気がするけど、私の好きな言葉は蓋棺事定。人の価値は死んだときに決まる。まだ私の人生は終わってない。
私がどんな手本になるか決まるのは、私の人生に結論が出た時。
これからも失敗するかもしれないし、もしかしたらちょっと逃げるかもしれないけど、最終的にトータルで見れば誰かの生きる希望に成り得る存在になりたい。

全然詳しくないけど、新札の渋沢栄一。あの人はもしかしたら全戦全勝の人かもしれないけど。でもすごい実業家って言われてるあの人も、過去を見れば倒産とか挫折を経験してるかもしれない(←調べろよって話)。
もし仮に実際挫折した時期があったとしたらその時、彼は周りから「ほらやっぱり起業とか投資なんてするもんじゃないんだよ」って悪い見本として見られていたかもしれない。
評価ってそんなもん。本人が生きてる間は全て過程でしかない。最終的な評価は死後下される。ジャンヌダルクみたいに25年かかるかもしれないけど。
とにかく生きてる間の他者からの評価なんて雲みたいなもの。

だからって過去の失踪とかこれからの失敗が許されるとは思ってない。
ここで言いたいのは、死んだ後に「境遇はカスだけどちゃんと生きた例」になりたいってこと。
ということで逃げたいし休みたいし辞めたいし終わりたいけど、あの頃の自分に希望を与える気持ちで頑張りますというお話でした。

なんか無理やり切り上げた感あるね。実際そうだけど。
まだ書きたいことはあるけど、長尺1つより小分けにして投稿したほうが「こまめに更新してる感」が出るでしょう。
とりあえず、私より年下で悩みを抱えてる人は、私が死ぬまでは死なないでほしい。ひとまず24までは生きれることは証明した。苦しいけど。苦しいけど死ぬほどじゃないって状態。
死ななかったら生きてるんだから、死ななければいい。ほかに何か成し遂げる必要ない。私と比べる必要もない。私より恵まれてようが不幸だろうが、一旦24歳になるまでの手本のひとつとして少しでも誰かの希望になれたらと思って生きてる。

んで、50年後か100年後かは知らないけど、私の人生に結論が出た時、期待に沿える手本になれてなかったらごめん。
あの時死んでおけばよかったって思わせないように、死ぬまで頑張るね。
子供の自殺者のニュース。あの頃は同世代だった自殺者。今では年下になってしまった。辛い。


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