見出し画像

9年越しに星野源に会えた話

※このnoteには、ReAssemblyの公演内容ネタバレが含まれますので、ご注意ください。該当箇所直前にも目印文を置いております。

 私のnoteにちょくちょく登場してきた星野源さんについてようやく触れます。何を隠そう、私はかれこれ9年間も星野源のことを追いかけている「生粋の変態(by 星野源)」だ。そのきっかけは、父の運転する車で決まって聞いていたラジオ番組の中で、たまたま星野源の「化物」という曲が流れたことだった。その当時 私は俗嫌いというか、みんなと同じものを好きになるのがどこか気に食わず、周りに好きだという人を聞いたことがなかった星野源という人に、興味を示した。勿論「化物」という歌が良かったのも理由としてある。そこから、私の星野源クラスタとしての人生が始まって行った。
 その翌翌年に「SUN」がリリースされ、たちまちお茶の間にまでその名が知れ渡るようになり、この年から源さんは紅白歌合戦に出場し始める。そこで毎年、私は決まってテレビ画面を狂ったように連写している(変態)。これをしないとなぜだか知らないが年を越した気がしないのである(狂気)。
 だが、これまで星野源という人を追いかけ、一時はガチ恋勢にまでなりかけた程に愛を叫び続けてきたにも関わらず、学生であったことが障壁となり、生の星野源に会ったことが一度も無かったのだ。年齢的に1人で行っても良さそうだったドームツアーは、大学受験の試験日に重なっていた。そうして意気込んだ大学2年時、今年は好きなアーティストのライブに出来るだけ行くぞ!と思っていたが、コロナ禍が襲いかかる。一体いつになったら会えるのか、、、と思ったが、ここでようやく、画面越しではあるが星野源のライブというものに参戦することが出来た。が、自分でも意味が分からなかった。中学時代から追っかけてきた、しかも私のこれまでのぶっ壊れた心を何度も立て直してくれた恩人であるこの星野源という人に、未だ一度も会ったことがないということ。そんな中突如飛び込んできた吉報、それが

ReAssembly 開催

だった。死んでも会いに行くと思った(矛盾)。申し込みをしてから、毎日毎日お参りに行って神頼みをし、震えながら当落日を待った。そうして幸運なことに、誕生日公演以外の3公演の当選が叶う。ようやく、ようやくだ。星野源に会える。9年間ずっと、私の前にあった画面が無くなる。生の星野源がこの目に写るんだ。

ー以下公演内容のネタバレがございます。ー







 こうして迎えた大阪初日。最初に飛び込んできた曲は、私が星野源という人を初めて知った曲である、「化物」だった。何の巡り合わせなのか、初めて聴いた源さんの生の声が、「化物」だったことに、とんでもない幸せと嬉しさと感慨深さで、ぐちゃぐちゃになるくらい泣いた。そして星野源ライブパート最後の「Hello song」。「笑顔で会いましょう」、このフレーズは、コロナ禍でライブ参戦が途切れてしまった星野源ファンにとっても大事な意味を持ったと思うが、私にとってはその何倍もの時間が掛かったことから、ズシンと、心臓の奥の奥に刺さった。会えたね、本当に。冗談抜きで生きててよかったと思った。

 星野源という人は、私にとって人生の恩人であり、こういう大人になりたいという憧れでもある。いい歳してふざけて、世の中を嘲笑うようでしっかりと事実を見つめ、どこまでもエンターテイメントに尽くしながらもファンとフラットな距離感を崩さない。世界一かっこいい人間だと思う(当社比)。これから先もこの人は、私たちの心の中にひっそりと、静かに寄り添い続けてくれて、心が割れてしまった時には何も言わずそっと治してくれる。きっといつまでも私たちの隣にいて、日常の一部を面白くしてくれる人。こんなにも素敵な人と、同じ時代に生まれ、出会えたことを、何よりも幸せに思います。

源さんのこれからが、いつまでも幸せでくだらなくて、楽しいものでありますように。その願いを込めて、これからも星野源について行きます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?