乾坤山 日本寺 (鋸山)
鋸山に行ってきました。千葉の小学生にとっては定番の修学旅行先です。自分も小学3年生の時に大仏の前で集合写真を撮った記憶があります。
本当は表参道から山門→観音堂→本堂と至るルートで歩いて行きたかったのですが、今回は車で移動しているため、大仏近くの駐車場まで一気に車で上がりました。
楽しさ半減・・・
で、いきなりクリマックスの大仏↓
薬師瑠璃光如来です。日本寺の御本尊ということです。薬壺を手に載せています。1783年に彫刻されたものが原型ということですが、風雨による浸食のために一時は顔の部分が崩れ落ちてしまっていたようです。現在は昭和41年に修復されたものです。小学生のときに、「日本一大きい大仏」と聞いた記憶があります。
この大仏様の横にある納経所で御朱印をいただきます。きちんとお参りしてからでないといただけません。
大仏を後にして、山頂に向かいます。延々と上り階段が続きます。体力に自信がない人は結構辛いことだろうと思います。
↑途中のトンネルみたいな門
山の至る所に仏像が置かれています。「西国観音」「百躰観音」「日牌堂」「奥の院無漏窟」「維摩窟」「弘法大師護摩窟」とか数多くの見所があるようですが、今回は、その一部しか回りませんでした。
なんとなく怖くて写真は撮りませんでしたが、一つ一つの仏像の表情が全て異なり、非常にリアルの表情をしています。だけでなく、首なし仏像が数多くあります。首を繋げ合わせた跡のあるものも沢山あります。とっても気になってネットで調べたところ、明治時代の廃仏毀釈のときに壊されたものとか、「首を取って密かに供養すると願いが叶う」という民間信仰があるとか、諸説あるようです。
↑ 山頂からの眺め。絶景です。階段を登ってきた甲斐があります。
↑ 有名な地獄のぞき
山頂を降りて、次の見所の百尺観音に向かいます。
↑ 切り通しの中をずんずん進むと・・・
↑ ドーン、と迫力のある観音様が現れます。人が写らないように写真を撮ったので大きさが写真では、イマイチ伝わりづらいですが、圧倒される大きさです。
公式HPによると、
「世界戦争戦死病没殉難者供養と交通犠牲者供養のために発願され、昭和35年から6年の歳月をかけて昭和41年にかつての石切場跡に彫刻完成されました。航海、航空、陸上交通の安全を守る本尊として崇めらています。」
とのことです。
その後、羅漢をみながら階段をぐんぐん下って行きます。上りと違って下りは楽ちん。
途中、竹でできた塀の向こうに建物が見えました。
鐘楼と大きな建物。。。
これは、おそらく本堂ではないかと。。
実は、このお寺は、昭和14年に登山客の過失によって、本堂などが焼失してしまいました。その後復旧しようとしても、戦争の影響で軍隊の要塞になったりとか、資金面の問題、国定公園指定化されたりとかで、復興が進んでいないようです。平成21年から本堂の再建が開始されたようです。遠目から見ると建物はできているようですが、お寺の方に話を伺うと、ご開帳の具体的予定はまだ決まっていないとのこと。
立ち入り禁止になっている本堂前の階段の横を通りぬけて、観音堂と仁王門へと向かいます。
↑ 途中の心字池
↑ 観音堂
↑ 仁王門。
観音堂と仁王門は共に大火事による焼失から免れたとのことです。今回は逆順で門まできましたが、次回来るときは、表参道からこの門を潜って山に入るルートで来たいと思います。大仏や羅漢、百尺観音の方は結構人が多かったにも関わらず、こちらの方は全く人がいません。寂しい限りです。
↑ 慈覚大師が彫ったとされる仁王像(あ)。
725年に開山されたとされる日本寺。最盛期には七堂十二院百坊を有する規模があったと言われています。開山以来、隆盛と衰退を繰り返し、復興には源頼朝や足利尊氏の援助を受けたそうです。
そう考えると、非常に歴史のある立派なお寺ですね。早く完全に復興した姿を目にしたいものです。
↑ 一足先に再建された御本尊が祀られている薬師堂。
おそらく、境内の半分くらいしか回っていないものの、階段が多くて結構な疲労感を感じて車に戻ります。
鋸山の地ビールを入手したものの、運転があるので味わえず。 家に戻ってきてから、ゆっくり楽しみました。
日本寺は、安房国札観音霊場巡りの第8番になっているとのこと。坂東が終わったら安房国をやってみようかな、と思ったりします。