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「こころ」はどこから生まれる?「きもち」の源泉にダイブする!!『情動はこうしてつくられる』

常識や経験、直感に反する「事実」は、どうやって広く受け入れられるようになるんだろう。昇っては沈む太陽を見上げているワレワレが、高速回転(地球の自転は時速1500㎞!)しながら宇宙を移動し続けている球体🌍️の上に生きていることが「常識」レベルにまで浸透※したプロセスは、どんな変化だったんだろう。(※地球平面説を支持する人もまだ一定数いるらしいけど)

バレット博士は「みんなの抱く脳のイメージ」と「専門家が共有している脳のイメージ」のギャップを教えてくれる。

そのギャップがなかなか埋まらない原因はワレワレの抱く「人間観」にある。脳について語るとき、無意識に「人間観」に照らし合わせしてしまうから。人間らしさとはなにか?もっと自分に直結する問い、ワタシらしさは、ワタシの心は、どこからどんなふうに、どうして生まれてくるんだろう?それはワタシと、世界を繋ぐ問い。どうしても、受け入れたいイメージ、受け入れたくないイメージ、信じているイメージってもんが引っ掛かってしまう問い。

世界観なんて、別に「これが正解!」なんて主張しなくてもいいんじゃないか、みんなそれぞれでいいじゃないか、と言いたくなるかもしれないけどね。でも、覚えておかないといけないのは、今生きているこの社会が前提としている人間観が、私たちの普段の生活、日常生活のあらゆる選択、判断、行動に影響しているってこと。そしてその基準としている人間観は、根本的に間違っている(かも)ってこと。
どうすれば情動に飲み込まれることなく理性的・合理的に判断できるのか?どうすれば目の前の誘惑に打ち勝って、その先にあるより善い未来のために行動できるのか?どうすれば幸せになれるのか?・・・この答えを追いかける前に、考えてみよう。まずその問いの前提がそもそも間違っていたとしたら・・・?
そして間違った前提をもとに整備された社会システム、ルールは、何をもたらすと思う?

ワレワレの問いの前提にある、人間観。
バレット博士は脳の研究(と、それに対する科学者や世間の反応)を通して「私たちが抱いている人間観」と、新しく発見された事実とのギャップを見つめ、新しい事実に基づいた「問い」(そして彼女の仮説から導き出すひとつの提案)を投げ掛ける。

BOOKCAFEそらふねで紹介したこの本↑があんまりにもおもしろかったから、博士の前作(博士が専門とする研究分野の発見と考察をまとめた本)を読んだのだよ!

タイトルは教科書みたいで全然おもしろくなさそう(!)なんだけど、これがまたすごくすごく刺激的で・・・(☆∀⁠☆)!!!頭の整理を兼ねて、この本についてもnoteでまとめてみようと思う。当然、前のnote内容と重なる部分もあるけども、同じ目的地に向かって都度違うルートで配線し直す脳の『縮重』システムのように、そこから🧠💡創造性が生まれることを期待して。

それにしても五感や経験、記憶に関する「事実」はなんとも直感に反している仕組みになってて、なかなか「ピンと」きにくい(それこそ直感的に理解するのはむずかしい)ハナシ。だから、この博士の本2冊は出版順だと『情動はこうして』→『脳科学教室』だけど、先に『脳科学教室』を読んで前提になる脳の仕組みについてイメージ全体像を更新しておいたほうが、とっつきやすいかも。

ダイジなポイントをざっくり振り返ってみよう。

『バレット博士の脳科学教室』
・脳の役割は「理性」や「思考能力」ではなく○○○
・脳は特定の部位(右脳左脳、扁桃体、ブローカ野、新皮質etc.)が特定の働き(論理能力、恐れや不安、性格etc.)を担っているわけじゃない(むしろ、そうじゃないってことこそが脳の構造の大きな特徴!)
・私達が視覚、聴覚、感覚として「経験」しているのは脳が立てた〈予測〉

この基本的な部分をnoteでざっくり紹介しているからぜひ読んでみてね☆

この脳の仕組みと、私たちの世界との関わり方にまつわる「事実」をもとに、さらにもう一歩ディープに踏み込む「情動Emotion」の正体・・・それが『情動はこうしてつくられる』のテーマ。馴染み深い日本語で言うなら、「こころ」とか「きもち」の正体っちゅう領域かな。

ご存知のとおり、西洋的価値観、現代社会の常識的人間観の根幹にあるのは『進化の名残り、本能的(動物的)な反応』という「情動」イメージ。人間は進化によって手に入れた「理性」「知性」「言語」をもってして、原始的な「情動」部分を抑えることができる(すべきだ)。

未だに根強い「誤った」脳のイメージ、三位一体説

ところがどっこい、脳の仕組みからわかるのは、「情動」は進化の古い名残どころか、進化の賜物なんじゃないかってこと。なんなら、ニンゲンらしさを特徴付ける重要な要素とも言えるもの。

これは、これまでのイメージひっくり返るよね。心理学や自己啓発で引用される馬車の例え(※野生的な本能である馬「情動」を制御する御者「理性」と車「身体」、そして車に乗る主人「ハイヤーセルフ、魂、本来の自分」も、ひっくりかえっちゃうかもしれない。
だって、脳の構造的に言えば、「理性」という車のハンドルを「気分(情動の源泉)」が握っている、といったほうが近いんだもの。

馬車

「こころ」の全貌が脳によって説明される、って言いたいわけじゃなくてね。理性にせよ情動にせよ、脳の働きとその仕組みが大きく関わっているわけで、ここ抜きにはハナシを進めることができないから。

まずは脳の仕組みについて。それから「理性」や「情動」が、その仕組みの中でどういう存在として現れると考えられるのか。その上で、「情動」とどう付き合うべきか。そこんとこに的を絞って、『情動はこうしてつくられる』を噛み砕いてみようと思う!


STEP1.五感も経験も外界からの刺激に対する「反応」ではなく、能動的に「構築」したオーダーメイドの現実

私たちが見た、聞こえた、触れた、と感じること・・・五感の経験は、「外界から受信した情報」ではアリマセンってこと。
背後からいきなり車のクラクションが聞こえて、ビックリして飛び上がる。耳という感覚器官で捉えた車のクラクションという音、それに反応した脳、そして分泌されるアドレナリンに、跳ね上がった心拍・・・私たちは普通、こんなふうにイメージする。でも実際は、その順序は違う。
脳は外界の刺激に反応しているんじゃなくて、外界で起こっていることを常に<予測>している
鼓膜を震わす気圧の変化に車のクラクション音という<予測>を立て、その意味を<予測>する。そして起こり得る状況を<予測>して、身体の各部位に必要になりそうなエネルギーを<予測>し、実際にそうなる前にあらかじめ調節・分配する。
あなたが聴覚として経験したのは、脳が「音」として構築した〈予測〉で、心拍はその「音」という〈予測〉を前提に先回りして準備されていた動作なんですって。

脳は外界と内界のデータ変動を常時モニタリングして、混沌とした大量の断片的刺激(気圧、光、化学物質)(体温、免疫系、ホルモン)をもとに、必要となりそうなエネルギー配分を〈予測〉する。なんてったって脳のイチバン大事なお仕事は『身体予算管理』ですからね!
その〈予測〉を感覚刺激に変換したものが、視覚、聴覚、嗅覚として経験される。もちろん〈予測〉は外れることもある。〈予測エラー〉は速やかに修正され、次の〈予測〉の参考データとしてその経験はストックされる。
でもほとんどの場合(参考データをほとんど持ち合わせていない乳幼児じゃなければ)〈予測〉はほぼ感覚入力に合致する。その場合、私達が経験しているのは感覚入力そのものじゃなく、脳が立てた〈予測〉の経験ってことになる。

今読んでいるこの文字、文章の展開も、指先のスマホの感覚も、蒸し暑い空気の肌感覚も、私達が「現実」として経験している世界の姿は、脳が〈予測〉として組み立てた姿。私達は外側の世界を受動的にキャッチしたり写し取ったりしてるんじゃなくて、能動的にせっせと生み出した世界を経験しているんです。

しょっぱなから半直感的なハナシだけども、このシステムを頭に入れればいろんな状態を〈予測〉と〈感覚入力〉の関係からスッキリ把握できちゃうんだよね!

たとえば「心の病気」だったり「発達障害」と言われる症例も、〈予測〉と〈感覚入力〉の関係、〈予測エラー〉と身体予算管理の状況を考慮すれば、これまでとは違う、より有効なアプローチが取れるかもしれない。

〈予測エラー〉は身体予算管理に負荷がかかる。そもそも脳の〈予測〉の参考資料は過去というデータベース。未知の体験、異文化での暮らし、初めて会う他者との関わりだと、〈予測〉の精度は落ちてエラーが多くなる。身体予算がうまく配分されないと、身体は『不快』のシグナルを出す。消耗したエネルギーは、寝たり食べたりリラックスしたりすることで回復すればいいんだけど、慢性的に赤字が続けば心身の不調という結果を迎える。身体的不調であれ精神的疾患であれ、「病気」は身体予算の赤字をどうにか回復させようと頑張っている(もしくは空回りしている)状態ってこと。

未知の体験は〈予測エラー〉を引き起こしやすい。エネルギー負荷がかかる。だから、『不快』になりやすい。コンフォートゾーン(慣れ親しんだ快適領域)の外側ってやつだね。そう、そこで〈予測エラー〉を修正して新しくデータベースを編集することが、「学習」なのです。学習することで、脳は神経ネットワークを配線し直して、次の〈予測〉パターンのバリエーションを増やすことができる。もしかしたらこれまでとは違う世界を〈予測〉できるようになるかもしれない。てことは、これまでとは違う世界を「経験」することができる。ちょっぴり、かしこくなる。

STEP2. 『気分』は身体予算管理のプロセス(脳と身体のやりとり)を要約したもの

『気分』は身体予算管理がうまくいっているかどうかを教えてくれる。エネルギーは必要なところに充分行き渡っているか?予算は赤字になっていないか?
免疫系、ホルモン、体温等のデータ、光や気圧等の外界の刺激のうち、身体予算管理に必要と思われる情報を取捨選択してざっくり判定したものが、『快/不快』そして『活性(興奮)/不活化(鎮静)』の両軸で示される『気分』になる。

★の位置が『気分』のステータスを示す

ここで言う『気分』は、嬉しいとか悲しいとかっていうような感情として認識される前の段階のものね。シンプルに、『快』なのか『不快』なのか?『興奮(覚醒)状態』なのかそうでないのか?の位置取りを示すものって思っておいてね。

先の例クラクションの音なんかは、不快✕活性かな。危険だ!身体を動かせ!すぐにだ!って状態。

脳は常に内外の情報を管理しているわけだから、『気分』ってやつ(★マーク)は外界の刺激に応じてポッと出現するんじゃなくて、常にこのグラフの中のどこかをふよふよしている。なにもないところから不意に湧いて出てくるもの、自分の外側に由来するものじゃない。まずはそこが、「情動」を理解するための重要なポイント。

Step3. 気分(取捨選択された情報の要約)をどの「情動」として受け取るのかは、文脈次第

この『気分』をもとに分類されるのが、バレット博士の研究対象「情動」ってやつ!!従来の研究(今も一般的に考えられている情動の正体)は、この『気分』のグラフ上に領域展開※するそれぞれの分類が「情動」として扱われている。

※キャラごとに個性があふるる必殺技「領域展開」(漫画『呪術廻戦』より)

例えば「怒り」は活性✕不快のあのあたり、「恐怖」は不活性✕不快、喜びは・・・ってなふうに。だから、気持ちを読むために必要なのは★マークがどこにあるのか、身体状態に現れる指標(発汗、顔色、脈拍、呼吸、表情筋)からその位置取りを正しく解釈することだとされる。

バレット博士もその「科学的常識」にのっとって情動を研究していたんだけど・・・ところがどっこい、どうしても実験結果の辻褄が合わない。そこに、素朴な疑問を抱いてしまった。

どうして全く同じ身体の反応を示していても(実験でちゃんと計測されているのに)、それを「怒りに震えている」と感じる人もいれば、「喜びで胸踊る」と正反対の気持ちとして受け取る人がいるんだろう?★マークが位置する領域の区別、情動の受け取り方が人によってかーなーりバラツキがあるのは、なんでなんだろう?

従来の説に従えば、★マークの位置取りを正しく把握できればその人の情動をより正確に理解できるはずなのよ。本人の情動の区別は、その人の★マークの位置取り読み取り精度にあるとされる。てことは、読み取り下手な人、情動の把握が雑な人に、「正確な分布」とその人のズレた感覚のギャップを埋める手伝いができれば、その人はよりきめ細やかな情動経験ができるようになるはずだ!バレット博士はそう考えた。よし、じゃあ手始めにその「正確な分布」を洗い出そう。

そうやって実験を重ねるうちに(そして実験の失敗が連続するうちに)、バレット博士は気付く。「あれ・・・?人が情動を読み取るときって、身体の指標よりも文脈にかなり依存して判断してるんじゃない・・・?」

アタリマエっちゃアタリマエかもしれないけど、顔の動きひとつとっても、声であっても、それが「怒ってるのか」「落ち込んでるのか」「ふざけて楽しんでいるのか」って判断は、文脈しだいで変わってくる。BGMが変わればそのシーンが全く変わって見えてくるように。

昔ね、パイレーツ・オブ・カリビアンの名曲を色んなシーンに組み合わせたおもしろ動画があってね・・・(ウォータースライダーを滑り降りた瞬間に流れたり)あれ、何回見てもめちゃめちゃ爆笑で大好きだったんだけど、YouTubeで見つけらんないんだ・・・(;_;) 知ってる人いたら教えて!!!

他者の情動を読み取るときと同じように、その「文脈ありき」の情動判断が自分に対しても行われているって事実、そして各情動に結びつくとされる一貫した身体的指標(お決まりの神経パターン)が見いだせていないことに、バレット博士は注目した。そんでもって、とんでもない仮説をたてた。

特定の状態や反応(★マークの位置取り)と、特定の情動を組み合わせることが、そもそも間違ってるんじゃないか?「正確な情動の分布」なんて、存在しないのでは??

シンプルだけど、とんでもない仮説。だってこの「正確な情動の分布」を探し当てるために莫大な資金が注ぎ込まれ、その前提で社会は作られているからね。
『気分』という生物として「生まれながらに共通の」身体指標に結び付けられる情動。本能的、動物的に「環境に反応して湧き上がる」情動。法のあり方(罪の裁き方)、教育、経済、日常生活における人間関係、ありとあらゆるところに、この従来の情動の前提が適用されている。

本書『情動はこうしてつくられる』では、この従来の説をひっくり返してしまう仮説を裏付ける数々の実験、これまで参考にされてきた情動にまつわる実験の重大な落とし穴をさらけ出す。この流れもめちゃんこオモシロイんだけど、細かい部分はぜひ本書を読んでワクワクしてね♡このnoteではポイントだけかいつまみつつ、先に進むよ!

★マークの位置取り『気分』に対して、それはどんな意味を持っているのか、どんな情動を表しているのかって解釈を加えたものが「情動」。そしてその解釈は、そのときの状況、環境、経験や知識、その人の抱く価値観や文化的背景によって左右する

免疫系や皮膚の発汗レベル、脈拍や表情筋の分類と解釈の結果は、必ずしも一致しない。というか、「一般的な分類(ステレオタイプな情動表現)」と実際の現れ方は、ほぼ合致しない。表情だけとっても、怒り、悲しみ、喜びはそれぞれにバラエティ豊かな表現方法がある。同じ情動カテゴリーの中であっても全く違う表現がわんさかあるし、違うカテゴリーでも表現方法が重なることも多々ある。
脳の構造を思い出してみれば、特定のニューロン群(脳内の物理的位置)や特定の神経パターンが、特定の行動や感覚に対応しているわけじゃなかったよね。
(※『バレット博士の脳科学レッスン』まとめnote)それと同じハナシで、情動と脳、情動と身体も、1対1の対応関係があるわけじゃないってこと。

STEP4. 「情動」という仕分け先は学習された『概念』

気分(内外の情報のまとめ)に対して、過去の経験や知識、文化的背景をもとに解釈したものが「情動」。バレット博士の理論はここんところにもう一歩踏み込む。その解釈、分類される先にある「情動のカテゴリー」自体が、そもそも「本能的(生得的)なもんじゃなく、学習された概念」なんだ!と。

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「情動」という概念BOXの中には「怒り」「喜び」「悲しみ」インデックスが分類されている。それぞれに収められているのはバラエティ豊かな表現パターン。
例えば「ふっとため息を漏らすように笑う」カードは「喜び」カテゴリーだけじゃなく「落胆」や「悲しみ」カテゴリーにもタグ付けされていたりする。人によっては「手汗」カードや「めまいがしそうなほど心臓バクバク」カードを「恐怖」や「緊張」「恐怖」カテゴリーだけじゃなく「歓喜」カテゴリーにもタグづけしているかもいれない。そういう人は、大きな大会前に感じる『気分』を「武者震い(オラ、強ぇやつ見るとワクワクすっぞ!!)」として経験するかもしれない。

この情動BOXの中にどんな情報カードを収納するか。それぞれのカードにどの情動カテゴリーをタグ付け🏷するか。それは先天的な本能由来の普遍的な反応なんかじゃなく、後天的に学習(意識的にも無意識でも!)した結果として現れる。

ここで「情動は本能的な反応だ」っていう古代ギリシャから受け継がれてきた人間観にビンタがくらわせられる。身体的反応、あるいは神経系のパターンという情報カードが、「情動」という最初から準備されているインデックスごとに分けられるわけじゃない。「情動」は後づけのタグのようなもの。
「嬉しいときは口角を上げた表情をつくるものである」という社会で共有するステレオタイプであったり(なんと「微笑み」が「喜び」の表現として普及したのは中世以降!)、これは怒るべき案件だ!という判断基準を学ぶことで、私たちは「情動」というタグを手に入れる。そして過去の経験や知識、周囲の反応等の情報と照らし合わせつつ、イチバンふさわしいタグを引っ張り出す。そのタグに記されている「情動」を「経験」する。

本書で言う『概念』は、ここで言うタグ🏷みたいなもの。もうちょっと丁寧に説明してくれてる(そんでもってその内容がめちゃんこオモシロイ!!)んだけど、それについて書くとそれだけで何本も記事にしなくちゃいけなくなりそうだから、ここではざっくりイメージだけ紹介しておくよ🙌

STEP5. 他人の「情動」を判断するときも、自分が持っている「情動」BOXのタグを参照する

さてさて、私達は他人の「情動」をいかにして判断するのか。従来の説だと、それは表情や声色、ふるまいから「読み取」れるはずだった。だってそれは人類に普遍的な、共通する表現であるはずだから。でも実際はそうじゃない。ひとつの「情動」をとってしても、その表現はバラバラ。全く同じ反応を、正反対の「情動」として自覚されることもある。じゃあ文脈を読めばいいのか?そのほうが正解率は高いだろうけど、忘れちゃいけないのが、あなたが相手を見て最終的にピックアップするその「情動」タグ🏷、それはあなた自身のタグだってこと。あなたはあなたの手持ちの『概念』でもって、相手の「情動」を〈予測〉することしかできない。

〈予測〉の鋭い人もいれば、そうでない人もいる。〈予測エラー〉が明らかになればデータベースを修正して「学習」できるんだけど、こと「情動」に関しては、あまりフィードバックが機能してない気がするんだけどどうでしょうな。だって、立てた〈予測〉が現実として現れるわけでしょ?コイツ怒ってるわ!って〈予測〉を立てたとしたら、もう相手が怒っているという現実が見えちゃってるわけで。「え、怒ってないよ」「ほんと?」「ほんとだよ」「え〜、怒ってるでしょ」「怒ってないって」「うそだぁ、どう見ても怒ってる」「怒ってないってば!」「あ!ほら!やっぱり怒ってる!」てなもんで。〈予測エラー〉は負荷がかかるから、それを避けるために〈予測〉じゃなくて現実の方(見え方、聞こえ方、感じ方)を修正するってのは脳の常套手段なわけだし。

自分が「情動」の〈予測〉に鋭いと思っている人、共感能力が高いと思っている人の中には、〈予測エラー〉のフィードバックを受け付けてないタイプの人も(案外たくさん)いると思うんだよな。。

とはいえ、他者の身体と「同期」しやすい人ってのはいる。呼吸や脈拍、体温、諸々のリズムをシンクロさせるのが上手い(もしくは、そのつもりがなくてもしてしまう)人。その場合でも、シンクロしているのは『気分』のレベルでしかないってことは心に留めておくべきだと思う。その『気分』にどんな解釈を見出して、どの「情動」として経験するのかは、あくまでも自分自身の「情動」BOXを参照しているんだから。

STEP6. 手札(手持ちのタグのバラエティ)が豊かな人は、世界とうまく付き合いやすい

バレット博士は手札の豊富さを『情報粒度』と呼ぶんだけど、ここではとっつきやすいように「解像度」ってコトバで言い換えておこうかな。手持ちタグがたくさんある人は、画素数が大きい(高解像度の)カメラで世界と向き合うことができる。外側の世界だけじゃなくて、自分の内側の世界ともね。現実として「経験」しているのはタグに書かれたカテゴリー(概念)の部分なわけで、自分が持っていないタグは経験することができない。(現実として存在しない!)

ある『気分』に対してどのタグをピックアップするか…それは周囲の状況や他の情報と組み合わせたピンポイントの文脈、所属する文化の価値観や習慣という社会的な文脈、そしてその人の知識や過去の経験といった個人的なデータベースを参考に決められる。

ここで選ばれるタグが脳の立てる〈予測〉になるんだよね!目に見えるもの、手に触れた感覚、耳にする音…そういう五感的経験と同じく、「情動」もまた物理的刺激に先立つ〈予測〉なんだってこと…!その〈予測〉はなんのためかって、『身体予算を管理する』ためだったね。

脳は過去の経験、手持ちの情報をもとに〈予測〉を立てて、身体のエネルギー配分を調整する。手持ちの情報、立てられる〈予測〉の数が少ないほど、〈予測エラー〉は生じやすい。〈予測エラー〉は余計なエネルギーを消耗しちゃうから、身体に負荷がかかる。けどたくさんの手札(タグ)があれば、それだけより細かく〈予測〉の調整ができるよね!配管工事に取り組むときに、基本的な工具を数本腰にぶら下げただけの装備よりも、大きさも種類も様々に取り揃えた工具箱を持っているほうがより丁寧に作業に取り組めるってもんさ。水漏れ、エネルギー漏れが起こらないように。

配管工事は、自分の身体の内側だけじゃなくて外側にも行われている。人は『身体予算管理』を共同して行うことで発達してきた社会的な生き物だからね🤝メタファーじゃなく、私達はリアルにエネルギーの調整をし合っている。さすってくれる手が、目を見て頷く表情が、声や言葉が、あなたの存在が、私の脈拍や体温、ホルモンや免疫バランス、『気分』とそこから導き出される「情動」や五感に影響を与える。

自分の内外に張り巡らされるエネルギーの配管工事を、いかに効率よく、うまいこと調整できるか。柔軟かつクリエイティブに〈予測〉を立てられるかどうか。それがつまり、いかに世界とうまく付き合うことができるかってこと。「情動」の解像度の高さはそこにかなり影響する。つまり、健康にダイレクトに関わってくる。

STEP7. 「情動」は病気(心か身体の区別なく)と密接に関係している

心と身体は繋がってるから、心の不調は身体の不調として現れる。この考え方は、今じゃ割と受け入れられるようになったよね。バレット博士は「情動」が生まれるしくみ、脳の特性と身体の関係を踏まえてもっと刺激的な仮説を提示する。「情動」が結びついているのはいわゆる心の病だけじゃない。というか、心の問題なのか身体の問題なのか、って視点がそもそもズレている。「病気」そのものに注目してみれば、心と身体の区別はないってことがわかる。

私の見るところ、独自の「心の病」と考えられているいくつかの主要な疾病はすべて、身体予算のバランスの慢性的な乱れと、抑制のきかない炎症に起因する。しかし私たちは一般に、それぞれを異なる疾病として分類し、別の病名で呼ぶ。これは、同じ身体の変化を異なる情動として分類し、違う名称で呼ぶのと非常に似ている。

一般的に、私達は「病名」に対応する「症状」があると考える。でも、この病名ってやつも、よくよく考えてみれば「怒り」とか「悲しみ」っていう情動名と同じように『概念』カテゴリーの分類なわけだよね。だから同じカテゴリーに分類された(同じ病名を診断された)患者さんでも、その症状や現れ方は全く同じってわけじゃない。そして同じ症状でも、違う病名に振り分けられることもある。

心の病は身体にどんな影響を与えるのか?もしくは、脳のどの部位の問題が心の病に関わっているのか?情動はいかに痛みに影響をおよぼすのか?うつ病と不安障害はなぜ併発しやすいのか?
これまでの問いは、全部「病気や障害は、それぞれ別のカテゴリーとして分かれている」っちゅう、領域展開!的な考え方を前提にしてたんだよね。
でも実際は、障害の区分はハッキリきっぱり境界線を引けるわけじゃなく、ただ同じタグでくくったカテゴリー分類ってイメージが近いんじゃないだろうか。

身体予算を管理するための〈予測〉はうまく立てれているか?〈予測エラー〉に対応できているかどうか?体内外の情報を取りまとめ、経験と文脈で「解釈」したものが「経験」になる。そうやって視覚や聴覚、情動が「現実」として登場する…ってのは繰り返し述べてきたとおり。バレット博士はさらに、「痛み(痛覚)」や「ストレス」も、〈予測〉からオーダーメイドされる「現実」のひとつだ、と言う。
「オラァ、ワクワクすっぞ!」と喜びの興奮を感じるか「怖いよ、怖いよ」と恐怖を感じるか、がその人の解釈(文脈と経験から導き出される〈予測〉)次第なのと同じように、「苦痛(痛み)」や「ストレス」「プレッシャー」もひとつの解釈のあり方なんですって。

同じ神経反応を示していても、違う「解釈」に分類されると身体の予算配分が変わるってところに注目してほしい。
ヤヴァい!怖い!あぶない!って〈予測〉を立てるときと、ウェーイ!やったるでぇ〜!って状態を〈予測〉するとじゃあ、エネルギーの発揮どころが全然違うでしょ。回復や防衛を必要だと判断するとき、武装したソルジャーが派遣される。派遣先は血液が集中し、体温が上がって、腫れる。そう、これが「炎症」ってやつ。炎症は回復させよう、防衛しようと頑張ってる状態なのよね。炎症に対して、私達は疲労や具合の悪さを感じる。「情動」が病気に深く関わっているってのは、ここにポイントがある。どの「情動」をピックアップするか、その解釈がソルジャー派遣の判断を左右する。炎症を促すこともあれば、抑制することもある。

炎症の抑制がきかなくなったとき…
〈予測〉が過剰に働いて、人員不足や兵糧不足に関わらずソルジャーをむやみやたらに働かせるとどうなるか?エネルギーが枯渇しかけているのに、炎症は回復に貢献せず、不快なフィードバックがさらに〈予測〉を掻き立て…って悪循環に陥る。このドツボ状態が、「病気」として現れる。そこまでいかなくても、ソルジャーが疲弊してあちこちで炎症のコントロールが上手くいってない状態を想像してみよう。そんなときに敵軍(にっくき、数多の風邪ウイルス!)が攻めてきたら?普段ならさっさと撃退できるレベルの相手であっても、敗戦して陣地を乗っ取られやすくなる。

風邪のひきやすさは性格と関係しているっちゅうショッキングな研究がある。ネガティブ思考の人、内向的な人は風邪をひきやすいらしい。(あ、バカは風邪を引かないってのは、陽気だからひきにくいのか?)
内外の情報の「解釈」の偏りが身体予算の配分に影響して、予算を赤字にしやすいからじゃないかな。身体予算のバランスを欠いて、炎症のコントロールを失い悪化させやすい。そうなると、ソルジャーは能力を発揮しにくくなって、敵軍にやられやすくなる。

「心の病」と見なされるうつ病を、身体予算管理という視点で見てみると…↓

脳は、つねに代謝の需要を誤って予測し、そのために身体と脳は、慢性ストレスや慢性疼痛の場合と同様、実際には起こっていない感染と闘い、存在しない損傷から回復しようとするのである。その結果、気分のコントロールが失われ、消耗性の病気や疲労など、うつ病の症状が出現する。

同時に身体は、実際には必要とされていない高いエネルギー需要を満たすために、不必要なグルコースをただちに代謝しようとする。それによって肥満の問題が生じ、糖尿病、心臓病、がんなど、抑うつと同時に発生する代謝関連の疾病にかかる危険性が増す。

『情動はこうしてつくられる』

ただ、ここで気をつけなきゃいけないポイントがあって。こういった状態を「心の問題だ」「考え方の問題だ」で済ますのは違うんだ。それは「思考が情動をコントロールできる(すべき)」っていう従来の説に囚われたアプローチだから。だってほら、逆でしょ。情動が思考を規定してるんだから。

 抑うつに関する従来的な見方では、ネガティブ思考が負の感情を引き起こすと考える。それでは話があべこべであり、たった今抱いている感情が、次の思考、知覚、予測を駆り立てるのだ。

したがって抑うつ状態の脳は、過去における同様な身体予算の引き出しの経験に基づいて予測を行ない、同じことを執拗に行ない続ける。これは、困難で不快な状況を絶えず再体験することを意味する。
そして身体予算がバランスを失い続ける悪循環に陥り、場合によってはその状況が断ち切れなくなる。なぜなら、予測エラーは無視あるいは抑制されるか、そもそも脳の必要な領域に届かなくなるからだ。
こうして、予測はいつまでも訂正されず、その人は、代謝需要が高かった過去の逆境にとらわれたままになる。

『情動はこうしてつくられる』

また別の「心の病」、不安障害(パニック障害)もこの視点で捉え直してみよう。
不安障害は「情動を司る扁桃体の活動が過剰になり、理性を司る前頭前皮質がそれをうまく調節できていない」状態だと言われている。でもこれまた「認知が情動をコントロールする」っちゅう、情動vs理性モデルを前提にしてるんだよね。
これについて、バレット博士の指摘は手厳しい。

扁桃体はいかなる情動の拠点でもないし、前頭前皮質は認知を宿す領域ではない。さらに言えば、情動も認知も、相互に調節し合うことなどできない、脳全体による構築物だ。それにもかかわらず、現在でも時代遅れの考えが通用している。

『情動はこうしてつくられる』

バレット博士の見立てによると、不安障害は<予測エラー>に過剰反応している状態といえる。うつ病が<予測>を重視しすぎて過去に囚われているのに対して、こっちは<予測エラー>にふりまわされて次の<予測>が上手くたてられていない状態。<予測>が上手くたてられないから、次の瞬間何が起こるのかわからずに、むやみに脅威を予測したり全く見当違いな予測をたててしまったりする。あるいは、予測を立てることを放棄する。
不安障害の人の脳に共通するのは、ネットワークのつながりが弱くなっているってこと。『バレット博士の脳科学教室』(前のnoteでまとめた本)であげた空港の例えで言えば、各空港を飛ぶ飛行機の本数がぐんと少なくなっちゃって移動できる乗客や物資に制限がかかってたり、機体のトラブルやら天候不良で遅延が頻繁に発生していたりってイメージ。そうなると、その瞬間瞬間に合わせた最適な<予測>を立てるパフォーマンスは落ちるし、結果から効率的に学ぶことも難しくなる。
しかも身体予算が赤字続きになると、運ばれる情報はノイズまみれになって、脳に無視されちゃうからさぁタイヘン。やっと運ばれた乗客たちは滑走路に置き去りにされ、ワレワレいったいどうなるの?と途方に暮れる。繰り返される<予測エラー>に空港職員たちはてんやわんや。未来の見通しが立てられないということは、それに対する準備も整えられない。これはかなり辛い。

発達障害のひとつ、自閉症について。バレット博士は、自閉症はかなり複雑で広大な研究領域をなすものだから簡単にはまとめられないけども・・・と前置きをしたうえで、<予測>の障害という可能性をあげる。
私たちの脳は「情動」を含めいろんな『概念』カテゴリーのカードボックスをつくる。そのおかげで、いろんな意味を結びつけて応用する<予測>が可能になるし、効率的に学習ができる。私たちの脳はカテゴリーボックスをオートマチックに製造してくれている。それがうまくいかない場合・・・つまり全自動のフル稼働で<予測>ができない場合、環境のなすがままになってしまう。刺激と反応に駆り立てられ、意識的に努力して<予測>(ものごとの解釈)をたてなければならなくなる。これはなかなか大変だ。

〈予測〉と感覚入力のバランスと、そこから生じる心の姿

脳は外部からの感覚入力なしでも働き続ける。手元に情報がなくても、自らそれについて〈予測〉することができちゃうのよね。ね、そうでしょ?妄想癖のある、そこのア・ナ・タ…🧠

身体予算のバランス、そして炎症が心身の健康の「要」になっているという視点で、病気や障害へのアプローチを考えてみる。病気や障害の捉え方も、従来の人間観、情動や脳に対する「勘違い、思い込み」を前提にしている。特定の症状と特定の病気、特定の脳の部位と特定の機能を1対1で対応させて、「問題となる部位(特定の原因)」を探すのが、現代のアプローチなんだけど・・・脳の仕組み的に、それはナンセンスだってことがわかっている。全体のバランスと、ネットワークから捉えないと、見えてこないものがある。これは東洋医学的なアプローチに近いね。ただ、そのバランスの根拠が「陰のエネルギー」がどうのこうの、「気質」がどうのこうのって、思想的なイメージなんじゃなくて、もっと身体に根ざした具体的なものを対象としているのよね。

STEP8. 新しい「情動」理論を日常生活に活かす

『情動』は外界に反応して衝動的に動き出すものではない。文脈と過去の経験を参考に、手持ちの『概念』に当てはまるものを<予測>を立て、その予測を「経験」として現実に映し出している。どんな『情動』の<予測>を立てるかは、その人の身体の状態を方向づける。「気持ちの問題」ってやつは、見えている現実、感じている現実、そしてこれから展開する現実の在り方と重なっている

私たちは『情動』に振り回されることを「感情の波に呑まれる」とか「押し流される」と表現するけど、それはどこかからやってくるわけじゃない。自分が源泉、『情動』の創り手なんだから。

自己啓発書の類は、たいてい心に重きを置く。「考え方を変えれば、感じ方も変わってくる」ってハナシ。でもそれだけじゃ片手落ちなんだな!バレット博士の情動理論は、心と身体との結びつきに注目する。考え方は感じ方に左右されるし、感じ方は身体予算の管理状態(バランス)が前提にある。そして身体予算と感じ方を紐づけるのはその人が学習した『概念』だってこと。

バレット博士はこの本の後半に、たくさんの具体例を挙げて「自分の情動を手懐ける」方法を書いている。もちろん、従来の「理性で抑制せよ!」ってハナシとは全く違うよ。ざっくりポイントはこのふたつ。

①身体予算をGOODなバランスでキープする
②心の知能を高めて、解像度の高いレンズで世界と向き合えるようにする

言わずもがな、睡眠、食事、運動!ああ、耳が痛い・・・🐷(笑)呼吸法、ヨガとか快適な身体感覚は予算を潤沢にして管理運用をスムーズにしてくれる。誰かの手に触れてもらうこと、観葉植物やペットの存在、趣味や物語に没頭する時間、そして友人とリラックスした交流。身体と環境へのアプローチは、『情動』とうまく付き合うためのダイジな要素。

そして『心の知能』をアップさせよう。
心の知能といえばダニエル・ゴールマンの提唱した「EQ」を思い浮かべるかもしれない。ゴールマンいわく「EQはIQの2倍の重要性を持つ」とのこと。ただし、彼は従来の情動イメージ(抑えるべき動物的衝動)をもとに、「情動を制御できる能力」としてEQを提示している。バレット博士の言う『心の知能』は、『情動粒度』のこと。心の『概念』について、どれくらいの解像度で分類できるのかって能力。

STEP6で書いたように、解像度の高い人は、世界と向き合うための手札が豊富な人。手札が多ければ多いほど、より多くの<予測>をたててよりバラエティ豊かな対応ができる。身体予算を、より細やかに調整して、対応することができる。「感性豊かな人」っていうと、最近だと「相手の感情にひっぱられるんですぅ」って性質が強調されがちだけど、それは違う。「うまく言葉にできない」のは感性が豊かすぎるからじゃなくて、心の知能が低いから(と言ってしまうとコトバがキツイかな)。

身体予算は個別の身体という境界線を超えてお互いに調整し合うって特性を持つ。特に親しい間柄、信頼関係にある人同士は身体の「同期」が起こりやすい。そうでなくても、確かに「同期しやすい体質の人」は存在する。相手の身体予算の懐具合に、自分の身体予算の運用状態をシンクロさせる能力が高い人、もしくは、無意識にそうなってしまう人。

ただし、ここで思い返してほしいのは、写し取っているのは『気分』のレベルでしかないってこと。相手の身体予算の管理具合、帳簿を受け取っている状態。その帳簿を『情動』レベルで評価するのは誰か?

★の位置が『気分』のステータスを示す

全く同じ身体予算の情報を、「恐怖」や「怒り」と捉えるか、「興奮」や「緊張」ととらえるか、はたまた「未知への期待感」や「喜び」と捉えるか・・・
それは、あなた自身の『情動』BOXを参照して決めているんだよってこと!!!

同期能力が高くて心の知能が低い人は、「イライラ!」「うれしい!」とざっくりした解釈しか下せない。例え相手がもっと複雑で繊細な『情動』を感じていたとしても、あなたの語彙にない情動は経験できない(共感することはできない)

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世界の解像度が高く、<予測>を絶妙な塩梅で立てられて、身体管理もより詳細に適切にできる人は、『心の知能』が高い。それは、ネガティブな感情を感じないって意味じゃない。怒りや悲しみを抑制することができるってことじゃない。怒りは怒りだと、もしくはもっと細やかなコトバ(腹立たしい、義憤、憎しみ、遺恨、鬱憤…)で把握できるかってこと。もっと言えば、身体的ストレス、痛みといった不快感と、情動を分けて捉えることができるかどうか。(なんと、我々はこういったことをごっちゃにしてしまうそうな!)

恐怖症やトラウマの克服、肉体的な苦痛のケアに、『心の知能』を高めることで大きな成果が見られているってハナシもとっても興味深かったな。柔軟性、依存症の程度、攻撃性や寛容性、そして学習能力・・・『心の知能』はいろんな領域に影響を与える。コトバにする、対象や自分自身についてできるだけ詳細に描写する、その癒やしの威力たるや!

『心の知能』を高めるためになにができるかって?
いろんな経験をしよう!旅行でもいい、読書でもいい。映画や芸術、音楽を鑑賞したり、新しい料理や味に挑戦したり。語学もオススメだよ!たくさんの未知の『概念』が詰まっているからね。シンプルに環境を変えるのもいい。

それから、肯定的な日記を書こう。

↑この記事の中で紹介したエピソードでも、日記が自分の生きる世界を変えた例があったね。

深刻な自己不一致で心身がボロボロになった人のエピソードがあってね。彼が自己不一致の状態から自尊心を取り戻す過程の中で、大きな効果を発揮したのが「日記を書く」って行為だった。
(中略)
自分は何に同調しているんだろう?自分にウソをついた内容と、その状況について書き出してみる。自分のイイと思うことも、悪いと思うことも、そのまま文字にして書き出していく。
(中略)
自己不一致から自己一致へ。自己一致について、「自尊心」というコトバで語られていたのも印象的。自尊心をもつというのは私的な体験で、自分がどう考えどう感じるかってのが中心コアにある。他人の行動とか反応の中から見出すんじゃなくってね。それは自分の心を信頼して、自分は幸福に値すると信じること。

「他者が何を感じているのか、自分にはわかる」という思い込みを捨てよう。例え同期が得意だと自負していても、それをどう「経験」しているのかは、その人の過去の経験、学習した概念、その人が採用する文脈次第なんだから。その背景にあるものに、好奇心と関心を寄せよう

今回のnoteでは、個人のハナシに的を絞ってまとめたよ。身体を超えてつながっている脳のハナシ、そこから生まれるもうひとつの現実(社会的現実)のハナシもとっても面白かったんだけど。ここらへんは、これまでBOOK CAFEそらふねで紹介してきたハナシの総まとめ!!って感じで読み応えがあったな。。。あと、「動物は情動を経験しているのか?」って問いも刺激的でおもしろかった!!!「情動を」ってのがひっかけポイントなんだな(=∀=)

以上、リサ・フェルドマン・バレット博士による『情動はこうしてつくられる―脳の隠れた働きと構成主義的情動理論』でした!!



もりもり書くエネルギー(''◇'')ゞ燃料投入ありがとうございます!!