#2 大人の遠足、持ち物は丸い地図
西洋占星術で使う星図(ホロスコープ)を曼荼羅に見立てて、世界の全体像を紐解いていこうっていうプロジェクト。「世界」ってのは、「全部」って意味の世界。宇宙って言ってもいい。存在するもの、しないものを含めた、過去も未来も含めた、ぜーんぶ。
そういう世界の全体像、宇宙の仕組みだとか構造、宇宙規模のルールのことを宗教家は「真理」という。真理はコレだ!と考え抜いて、それに沿った解釈を伝えるのが宗教ね。
西洋占星術は宗教ではないから、これだ!という真理を提示するものじゃないんだけど、西洋で生まれ育った「術」だから、ベースには西洋的な真理、宇宙観が反映されているんだと思う。そして私は日本で生まれ育ったから、特定の宗教や信仰は持ち合わせていないんだけども、それなりに日本人的な、仏教や神道で表されるような東洋的な宇宙観で世界を見ているはず。
行先の決まっていない大人の遠足
「世界の全体像を紐解いていく」ってことは、「真理を見出す」ってことになるんだけど、私は真理だとか真実だとか、定まった「正解」を目指して解釈を当てはめていくつもりは全くなくて。むしろ、その都度その都度見えてくるイメージだとか、世界観の変化を楽しんでみたい。行先の決まっていない大人の遠足。100人いれば100通りの「世界の全体像」が見えてくるだろうし、その違いも楽しみたい。
そして今、なかなか出発せずに開会の儀を長々と喋る校長先生になっている私。
遠足の地図「ホロスコープ」
西洋占星術の星図、ホロスコープ。これを地図にする。
こんな円盤。星の位置が記されている図。とってもシンプル。西洋占星術は星の位置からいろんな「意味」を読み取ろうとする術のこと。カラフルな円盤の外周に書いてある記号は12星座で、その内側に散らばっている記号が、太陽とか水星とか星を表している。牡羊座とか魚座とかって星座は星の位置を示す座標になっている。時計の文字盤が星座になってるイメージ。この時計には針がないけど、それぞれの星がどんな角度で結びついているのかを表す線がピッピと引かれている。
西洋占星術とホロスコープ
西洋占星術は、それぞれの星の「意味」と、その位置(星座)の「意味」、それから星同士が形成する角度の「意味」を掛け合わせて、全体像としての「意味」を発見しようという試み。
もともと占星術は、ナイル川の氾濫や乾季の訪れといった自然のリズムを見出す術だった。大きなリズム(星の動き)と連動する小さなリズム(身の回りの環境)に気付いて、それを観察したデータベースが引き継がれてきた。
星々を見つめ、何かを感じ取り、何かに気付いて、それをどう自分たちの生活や人生に結び付けてきたのか。そのデータベースが占星術。ホロスコープはごくごくシンプルな円盤に圧縮された、文明のZIPファイル。
文明のZIPファイルを解凍する
冒頭で「西洋占星術で使う星図(ホロスコープ)を曼荼羅に見立てて、世界の全体像を紐解いていこう」と書いたけど、ホロスコープを「占い」とは違う視点で読み解くことで、文明のZIPファイルを解凍することができるんじゃないか、って考えたわけ。そういうと壮大なハナシになっちゃうけど。
ホロスコープと言うデータベースに触れて、ニンゲンが星から学び命を繋いできた歴史に思い馳せながら、洋の東西を超えて、何千年も時を超えて、古代から蓄積されてきた「世界の全体像」を、自分でも解凍、再構築してみようってプロジェクトなの、イメージは。
データベースではあるけれど
データベース、というと「統計」を思い浮かべるかもしれないけど、私は占星術が統計ベースの「診断ツール」としては見ておらんのです。
むしろ統計的態度とは逆方向につきすすんでいくオモシロさがあると思っている。全く関係のない「意味」と「意味」を結び付けるのが占星術であって、その意味同士の結びつきも単語帳の裏表のような一直線の関係とはちと違う。
特定の星の動きAと、Bという出来事に繋がりを見出した。A→Bになったという「原因と結果」に注目するのは統計だけど、占星術のデータベースってのは、A→Bという出来事、そしてAとBふたつの一見関係ないことを結び付けた人(人々)の心の動き、その関係性を全部含めた「世界の捉え方」を伝えるものなんじゃないかな。
統計だと「これは関係ない」「誤差」ではじき出される些細な繋がりも拾い上げるのが占星術。自分の気付きを含めた「意味」の全体像をつかもうと試みるのが、占星術。
だから、確実な正解や答えを得るためのツールじゃなく、「学び方を学ぶ」ツールとして私は占星術を楽しんでいるし、それを共有したいと思ってる。
ホロスコープは折り重なる意味の全体像、曼荼羅に見立てて一緒に読む「大人の遠足」。校長先生の長~い開会のあいさつも、遠足の一行程なのです。
もりもり書くエネルギー(''◇'')ゞ燃料投入ありがとうございます!!