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メモ帳みたいな記事(深夜の思考)

SNSで声が主張が強く大きい声を上げる活動家資質がある人間に共通しているのはどんな主張であれ、人を扇動し共感を集め声を上げさせるのが上手い。

大抵は特定の属性を社会の弱者、被害者と仮定し自らが矢面に立ち発言し共感する人間を集める。

まではいいんだが、そういう人を見ていると僕自身昔見た哲学者の言葉(ベーコン)

「反乱の材料には二種類ある。多くの貧困と、多くの不満である。」

これを抱えている人間の心に踏み込むのが非常に上手い。

そして敵と味方の構造を文章の表面だけを見ると実に論理的に見える「演出」するのが上手いし、弱者への寄り添いの言葉が実に狡猾。

そして同じ事案で争っている人間の共通しているのはその活動の中である程度の影響力を持った瞬間、仲間として役に立たない人間の切り捨てが実に荒い。

そうした人を見ていると僕としては

「反乱の材料には二種類ある。多くの貧困と、多くの不満である。そしてそうした気持ちを抱えている人間は操りやすく、労働や搾取(金だけではなく情報含め)の対象でしかない」

と思い至る。

まあ、敵と言う存在がいなければ自らの社会的な存在意義を見出すことが出来ない、という活動家の基本的な姿勢だし、その活動家を悪と断じて活動している人も同類に見える人が多い。

戦争と同じで、異なる思想を持った人間同士が冷静かつきちんとした言葉を用いた議論ではなくケンカになった時点で「どっちもどっちの低俗な思想」になり果てている感はある。

外部からみたらチンピラ同士のケンカにしか見られていない事にも気が付かないのだろう。

そういう「見た目だけは高尚」な人を見るために昔は街頭や集会場に赴かないとならなかったがSNSで気軽に見れてしまうのも時代だね。