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掲げる灯り: 揺れて、止まって、また進むまでの

気温と気圧の差が激しすぎる東京より、こんばんは。
少しnoteから遠ざかっていた最近でした。
読むのも、書くのも。

心がしばらく前からもやもやと低空飛行を続けています。
ホルモン治療の副作用が耐えがたくしんどい、だとか、仕事が単調でやりがいも見出せない、だとか。
小さな不調が溜まってきていたのかもしれません。

治療が続けば続くほど、つらい気持ちが蓄積されてしまっています。
それが別のつらい気持ちを誘発したり。
最近の低空飛行の主な原因は、つらいの連鎖であるように思います。
都度解消していけば良いのですが、そう毎回うまくいかないこともまたわたしの人生。
もともとストレス解消が下手で溜め込むタイプのわたしは、こんなときは些細なことが心にヒビを入れて、なかなかそのヒビを直せません。
この下書きも、書いては閉じ、閉じては書き足し、を繰り返していました。

どうやって立っていたいのか。それが揺らいだとき、きっと気持ちが落ちてしまうのかな。
どうやって進んでいきたいのか。自分の指針を、見失ってしまったみたいで。

指針を持っていることが、生きることのマストではないと思います。
けれど、気持ちが揺らいで落ちてしまったときは、指針を灯りとして掲げた方が周りが見えると思う。
だから、ゆらゆらな今、わたしは日々に流れながら、掲げる灯りを手繰り寄せてる。
頼れる羅針盤として。行動の導として。心に、指先に、灯りを灯す。

どうやって立っていたいのか。
どうやって進んでいきたいのか。

できない理由ばかり探さない。
犯人探しをしても前には進めない。
手に入らないものばかりに目をやらない。
ない、で終わる言葉はネガティヴなようでもあるけれど、自分を奮い立たせる着火剤になる。

あぁ、書き直しを重ねたこの記事を、今夜やっと投稿できそうです。
好きなだけ立ち止まったから、もう立ち止まるのはおしまい。また、歩き出せそう。

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