食べる、ということ
最近たべたものが美味しかった。
テレワークなとある日のランチは旦那さんの作ったドライカレー。
生モノが嫌いな彼は、目玉焼きも完熟派。
結婚5年め。
最近、わたしの卵は少しトロっとしてるくらいで先にくれるようになった。
誕生日は未だに覚えてくれない彼が、わたしの卵の好みは把握してくれている。
これを奇跡と呼ばずして何と呼ぶのか。
またとある夜、親愛なる友人とのディナーでいただいた、天ぷらとお蕎麦。
控えめながらも丁寧であたたかいおもてなしを受ける。
畑と海の天ぷらは素材も衣も美味しい。
お蕎麦もいい具合に締まってて美味しい。
蕎麦湯も濃くて、美味しい。
なんと、クリスマスだからと最後にデザートを出してくださった。
また来よう、とその場で決めるくらい、満ち足りた夜。
そしてまたとある日、素朴なカフェでチャイとおやつ。
並んだ甲斐があった。
シェリー酒みたいに淹れられた紅茶にホワイトチョコの白いチャイ。
スパイシーなクッキー、バナナのマフィン、ほんのり生姜のミルクプリン。
ご一緒した麗しい方からは、紅茶の贈りものをいただいた。
離れていても同じお茶を飲めるって嬉しい。
わたしはもともと、食事を摂ることが好きじゃなかった。
上手く言い表せられないのだけれど、ものを食べて咀嚼して飲み込んで消化して出す、という一連の流れが何だか気持ち悪く感じられて。
でも、食べることは好きじゃないけど、食べないと生きられない。
好きじゃなくても毎日行われる行為なら、美味しいものが食べたかった。
食べることが好きじゃないから、せめて美味しくないものは口にしたくなかった。
食べることというのは、わたしにとってそんな程度の扱いだった。
それが今年になって、なんとなく少しずつ変わってきた。
美味しいものは、美味しい。
美味しいものを分けあえたら、嬉しい。
嬉しいと思えることを、分けあえるひとがいて、しあわせ。
長く食事は好きじゃない、重要には思えなかったことなので、この変化は喜ばしい。
わたしにとっては、とても大きな変化。
気持ちを振り回されてしまうことも多かった2020年だけど、個人的には、年末に気持ちの変化が起こっているように思う。
大きな氷が少しずつ融けていくような、そんなイメージ。
最後の欠片が、ゆっくり融けていくところ。
穏やかに、今年を終えられるといいな。