短編小説「閻王黒崎の苦難」

現世への出張準備を済ませてから三時間が経過した昼下がり、場所は人の気配がほとんどない荒れ地。曇天の下で臨時訓練をしていた敦史あつしたちは妙な胸騒ぎを覚えていた。
 「……何か胸騒ぎする」
 「敦史さん、俺もです。それも、いつ力が暴発するか分からない程」
 「すくな、一旦落ち着こうか」
 「裕樹ゆうきさんも声震えてますよ」
 四人の落ち着かない様子に、しげるも胸騒ぎで表情が強ばっている。
 「この胸騒ぎ……蝶野ちょうの達もか」
 「はい……」
 「何か、身体がうずうずしている感覚で……」
 「……黒崎くろさき様?」
 相づちを打ったきり、うんとも言わない繁の様子に不安を感じた恭平きょうへいが恐る恐る呼びかけたその時──。
 ピシッ! と、空間に亀裂が入ったような音が聞こえてきた。その音を聞いた瞬間、繁の心臓が跳ね上がる。
 (まさか、何者かが侵略をしかけようなんてことは……)
 繁の中で一つの可能性が浮かぶと同時に、それは現実となった。
 パリンッ!! パリンッ!!!
 ガラスを割ったような音をたてながら、ヒビの入った空間の壁が崩れ落ちる。そして、そこから現れたのは──。
 「!?」
 黒い翼を持った天使のような姿をした者達だった。彼らの歪な表情に、敦史達は恐怖を覚える。
 「なんだあれ……」
 「あの姿って……まるで……」
 「悪魔じゃねぇか! 天使の面しやがって!」
 「彼らは一体……」
 「おい! 早く逃げた方がいいって!!」
 「皆、こっちへ来てくれ!!」
 突然の出来事に呆然と立ち尽くすしかない敦史達に、すくなと繁が大声で避難を促す。
 「あっ! 待ってください!!」
 裕樹が慌てて二人の後を追う中、敦史はその場に立ち尽くしたまま動けずにいた。すると、黒い羽を生やした天使の一人がこちらへ向かってくる。恐怖心から身動きが取れなくなった敦史の前に繁が立ち塞がり、両手を広げて庇う姿勢を取った。
 「黒崎様!!」
 「大丈夫だから、二人共先に行ってくれ」
 「嫌です!!」
 「お願いだ……言うことを聞いてくれ」
 そう言って振り向いた繁の顔を見て、すくなと恭平は何も言えなくなってしまった。そこには悲しげに微笑む主がいたからだ。
 「いえ、俺たちはここにいます。最後まで一緒に居たいんです」
 すくなの言葉を聞いた繁は、敦史達の方に向き直ると口を開いた。
 「今すぐここから逃げるんだ。あいつらは私が何とかする」
 「でっでも!」
 「頼む……」
 敦史達が何も言えないでいると、
 「……行きましょう」
 と恭平が促す。敦史は少し迷ったが、恭平と共にその場を離れた。
 二人が引き下がった後、黒い羽を生やした天使たちが一斉に襲ってきた。繁は彼らの猛攻を防ぎながら反撃の機会を伺う。
 「くっ……キリがないな。このままではジリ貧だぞ……」
 次々と襲いかかってくる相手に苦戦しながらも、繁はあることに気づ いた。
 (……おかしい。何故、奴らの狙いは私だけなんだ?)
 他の四人には目もくれない。
 (奴らは、冥界を治める私の力を狙っているのか)
 体勢を立て直した繁は、黒い羽の天使達に悔悟の棒を突きつけた。彼の周囲を蒼炎が囲む。
 「私の部下を唆そうとした罪は重い。天使であろうとも、悪意を持って近づく者は容赦しないぞ。……断罪の刻だ」
 次の瞬間、繁を中心に巨大な焔の渦が現れた。
 「悔い改めよ」
 そして、その渦が消えた時──。先程まで目の前にいたはずの天使達の姿はなかった。代わりに、彼らが持っていたであろう武器だけ──大剣、三叉の長槍、メイス、ダガー、ランス──が残されていた。
 「さすがに疲れるな……。だが、油断はできない」
 そう呟いた途端、繁の意識が遠くなり始めた。
(ああ、もう限界か。蝶野達は無事だろうか……)
 彼はそのまま地面に倒れ込んだ。

 「……ここはどこだろうか。荒れ地……ではなさそうだ」
 目を覚ました繁が見たものは、見慣れぬ天井。起き上がろうとするが、身体が思うように動かない。すると、部屋の扉が開き誰かが入ってきた。
 「あら? 目が覚めたみたいね」
 部屋に入ってきたのは、黒髪ロングの女性だった。彼女はベッドの横にある椅子に腰掛けると、繁に向かって話しかけてきた。
 「気分はどう?」
 「身体が重たいですね……」
 「まぁ、あれだけの傷を負っていたものね」
 (傷……そうだ!)
 繁はハッとして自分の身体を見ると、白い包帯でぐるぐる巻きにされていた。
 「……お名前を伺ってもいいですか?」
 「私は神無月澪かんなづき みおよ。あなたの治療を担当したの。あなたの部下達も避難させたから大丈夫」
 「……ありがとうございます」
 「気にしなくていいわ。それより、お腹空いてない?」
 「……」
 繁は無言のまま首を横に振った。すると、澪は苦笑いを浮かべながら話を続けた。
 「食欲が無いのは分かるけど、何か食べないと治るものも治らないわよ」
 「……」
 「……分かった。じゃあ、せめて飲み物だけでも飲んでくれる?」
 繁がコクリと首肯したのを確認すると、澪は彼に水の入ったコップを手渡した。
 「ゆっくり飲むのよ」
 「はい」
 繁は言われた通りゆっくりと水を飲んだ。喉が渇いていたせいなのか、思っていたよりも勢いよく飲み干してしまった。
 「美味しかったです。ごちそうさまでした」
 「それは良かったわ。もう少し寝ていてもいいから、まだ休んでなさい」
 「はい。ところで、ここって病院ではないですよね?」
 「ええ、違うわ。ここは私の家よ」
 「どうして私達を助けたんですか?」
 「……助けたかったから、じゃダメかしら」
 繁は黙り込んでしまった。そんな彼をみて、澪は微笑みながら語りかける。
 「それにしても、あんな大怪我を負っていたのによく助かったわよね」
 「そういえば、どうやってここまで運ばれたのでしょうか」
 「覚えてないの?」
 「ええ、気がついた時にはこの部屋の中にいました」
 「そう……。運ばれてきた時のことは、部下の人が教えてくれたのよ。確か……『黒崎様が大変なんです!!』とか言ってたような」
 「まさか……水島みずしま達か!?」
 「水島君って……あの青年のこと?」
 「ええ、彼らなら無事よ。今は隣の部屋で眠っていると思うわ」
 「そうですか。……よかった」
繁の顔に笑みが浮かぶ。それを見た澪はホッとした表情を見せた。
 「そういえば、私達はどれくらい眠っていたんでしょうか」
 「そうねぇ……。二日ぐらいじゃないかしら」
 「二日間も……」
 繁は自分の腕を見ながら呟いた。
 「ねえ、一つ聞いてもいいかしら」
 「何でしょう」
 「あなたの名前を教えてくれる?」
 「……黒崎繁と言います」
 「そう……。繁さんっていうのね」
 (名前を教えただけで、こんなにも嬉しそうな顔をするなんて……)
 繁には目の前にいる彼女が理解できなかった。
 すると、澪は真剣な顔つきで話し始める。
 「繁さん、単刀直入に言うわ。あなたは狙われているの」
 「やはり……」
 繁の言葉を聞いて、澪は悲しげな目を向けた。
 「おそらく、あなたが思っている以上に危険な状態よ」
 「……」
 「だから私達の組織に入って欲しいの。その方が安全だと思うから」
 繁は何も言わずに俯いている。その姿を見て、澪は優しく声をかけた。
 「急で驚くのも無理はないわ。でも、どうか考えてくれないかしら」
 「……少し考えさせてください」
 「分かったわ。いい返事を期待してる」
 澪は立ち上がると、そのまま部屋から出ていこうとする。しかし、扉の前で立ち止まると振り返らずに声をかけた。
 「……もし、答えが決まった時は連絡してちょうだい。いつでも待ってるわ」
 そう言い残し、彼女は去っていった。一人残された繁は、しばらくの間天井を見て自分達の状況を整理していた。ベッド横にふと視線を落とした時、彼の荷物は整頓された状態で置かれていた。
 (この様子からすると、蝶野達の荷物も整頓されているだろうな。神無月さんには、何とお礼を言えばいいのか……)

 澪は敦史達のいる隣の部屋に行き、繁の置かれている状況を説明した。
 「黒崎様が狙われているとは……」
 「俺、合わせる顔がありません」
 「繁さんは、敦史君たちに被害が及ぶことを踏まえて対応したのではないかと思うの」
 「そうだったのですか……。状況を教えていただき、ありがとうございます」
 裕樹と恭平は気まずい空気を変えようと平静を装っていた。
 澪は敦史達の様子を気にかけつつ部屋を後にする。その後、敦史達は各々自責や後悔に駆られていた。
 (私としたことが……不覚)
 (あの時俺は連携を取れていたのかよ。こりゃあ黒崎様に合わせる顔が無いよ)
 (全体の状況を混乱極まった中で把握するのにごたついた、なんて言えない……)
 (あの状況、どう申し上げたら……)

 「……んっ」
 繁が目を覚ました時、すでに朝方になっていた。起き上がると、彼の身体に巻かれていた包帯は全て無くなっていた。
 「もう傷が塞がったのか。我ながらすごいな……」
 彼はベッドから降りようとしたその時、部屋の扉が開いた。
 「あら、起きたのね」
 扉を開けたのは澪だった。彼女は手に持っていたトレーを置いて、ベッドの横にある椅子に座ると、繁に向かって話しかけてきた。
 「体調はどう? どこか痛むところはある?」
 「いえ、大丈夫です」
 「そう。良かったわ」
 繁は改めて彼女の服装を見る。白衣姿と紺色のタイトスカートを身に包んでおり、胸元に名札をつけていた。そこには『神無月』と書かれている。
 「……医者の方ですか?」
 「ええ、そうよ」
 繁は納得した様子をみせたが、澪は不思議そうにしている。
 「どうかしましたか?」
 「いえ、何でもないわ。それより、お腹空いてない?」
 繁は首を横に振る。すると、澪は苦笑いを浮かべながら話を続けた。
 「まだ食欲が無いの?」
 「そうですね……」
 「まあいいわ。とりあえず、これを食べてもらえる?」
 繁は黙ったままコクリとうなずく。澪はスプーンを手に取ると、スープのようなものを口に含んだ。
 「……!」
 満足げに笑う彼女を見て、繁は戸惑いながらも食事に手をつける。そして、ゆっくりと味わうように食べ始めた。
 (久しく感じていなかった温かさだ。何ヶ月振りだろうか……)
 懐かしさを覚えた繁は、気付かぬうちに野菜スープの入っていた器を空にしていた。
 「ごちそうさまでした」
 「全部食べられたみたいね」
 繁は黙って食器を置く。その様子を見た澪は微笑みながら問いかけた。
 「それで、答えは決まった?」
 繁は黙って俯く。しばらくして、顔を上げると澪の目を見ながら答えを出した。
 「私は――」

 繁達が澪の家に来てから四日ほど経ったある日、繁と澪の二人はとある建物の中に入っていた。この地では一般的な洋風の建物である。
 二人が入ってすぐ正面には受付があり、そこで手続きを行った。
 「予約した黒崎です」
 「黒崎様ですね……。確認が取れました。こちらへどうぞ」
 繁は言われた通りについていく。その後ろからは、澪がついてきていた。しばらく歩くと、大きな部屋に通された。
 そこには机とイスが並べられており、患者と思われる人達が多く座っている。
 繁は指定された席に座り、澪は彼から少し離れたところに腰掛けた。
 それから数分後、一人の男性が入ってきた。男性は白いシャツに黒のズボン姿、首元に聴診器を掛けている。
 「では、問診を始めます」
 その言葉を皮切りに、診察が始まった。

 数時間に及ぶ診察を終えた繁は、待合室で休んでいた。隣に座っている澪も疲れた表情をしている。
 「今日は長かったわね」
 「そうですね」
 「そういえば……もう傷口は完全に塞がったんでしょう? ならどうして病院に来たの?」
 「傷が塞がったとはいえ、表面的なものだと思って」
 「そうだったのね。これからは、どうするつもり?」
 繁はその質問に答えることなく立ち上がり、出口に向かって歩き出した。
 「ちょっと……どこに行くのよ!」
 澪の声を無視して、彼はそのまま外に出ていった。澪は慌てて追いかける。
 「ねえ! 何があったの!?」
 繁は何も言わずに立ち止まった。澪は心配そうな目を向ける。
 「やっぱり、何かあったんじゃ……」
 「先程申し上げた通りです。部下達が心配していると思うので、元いた所に戻ります」
 「……分かったわ。でも、気をつけてね」
 「はい」
 繁は再び前を向いて歩いていった。澪は彼の後ろ姿が見えなくなるまで見送る。
 (繁さん、敦史君たち。どうか気をつけて)
 澪は繁から去り際に渡された連絡先のメモ書きを祈るような気持ちで握りしめた。

***
 その日の夕方には、敦史達は人知れず冥界へ戻っていた。
 「いやあ……一時はどうなるかと思っていたけど、何とか戻って来れた」
 「荷解きが終わり次第、俺と恭平であの事件について話し合って来ます!」
 「分かった。私達はその分裁判員の仕事や八大地獄・八寒地獄の巡回に力を入れるよ」
 先輩・後輩組の二手に分かれて作業する一方、繁は自室兼用の仕事部屋執務室でパソコンと向き合っていた。
 「……よし。次は見回りに行くか」
 仕事を終えた繁は、パソコンを閉じて部屋の外へ出た。すると、彼の前に数人の男達が立ちふさがる。その手には拳銃が握られていた。
 「……通してくれないだろうか」
 「断る」
 男の返答を聞いた繁の顔つきが曇る。次の瞬間、衝撃波がほとばしる。男は勢いよく吹き飛ばされ、壁に激突した。他の仲間達は驚きのあまり固まっていたが、すぐに銃口を繁に向けた。
 しかし、繁の方が早かった。彼は軽快な身のこなしで、次々と相手をなぎ倒す。わずか数秒で、その場に立っているのは繁だけとなった。
 「貴方達に構っている暇は無い」
 彼はそのまま廊下の奥へと消えていく。残された者達は、しばらくの間呆然としていた。

 繁は人気の無い路地裏に入ると、足を止めて振り返った。そこには先程の男達が立っていた。彼らは繁を睨みつけている。
 「……勘違いしないでもらいたい。私はただ命令に従っただけだ」
 「誰の命令だというのだ?」
 「それは言えない」
 「言え!! さもなくば──」
 「私の命をかすめ取る気か?」
 繁の言葉を聞いて、リーダーの男がたじろぐ。しかし、すぐさま威勢を取り戻した。
 「撃てぇ!!」
 彼らは一斉に銃弾を放つ。繁の正体を知らずに。
 「私が、罪人を裁く閻魔だと知らずにか……」
 銃弾は結界術によって弾かれる。繁は彼らに鋭い眼差しを向けた。
 「この場にいる貴方がたを、私の手で牢獄へと誘いましょう」
 繁の何度目かの無慈悲な一面が現れた瞬間だった。

 繁は一連の出来事を片付けた後、電話をかけてきた澪にこれまでのことを説明した。
 『まさか、繁さんの三代前の方が指示を出していたとは……私の力不足です』
 「謝らないでください。片付いたことなので」
 『そうでしたか……。差し支えなければ、繁さんの過去を聞かせてくれますか?』
 繁は語り始めようとした時、部屋に近づく気配を感じた。
 「一度、保留にしますのでお待ちください」
 繁は部屋に近づく気配の正体を探る。気配の主──敦史は扉越しに様子を伺ったのを上司に見抜かれて気まずくなった。
 「取り込み中でしたら後ほど失礼します──」
 「蝶野、これから件の出来事について神無月さんと話し合う。終わり次第、入室してくれ」
 「……分かりました」
 敦史は、この時繁の過去が明かされることを知らずに引き下がった。
 「神無月さん、待たせてしまいました」
 繁は、静かに口を開く。
 「私の三代前──鬼灯ほおずきさんの代に起きたことです。役人の不詳事が多くて、私は鬼灯さんと共にその処理に追われていました。当時から、あの方は不正を働いた役人に対して厳しいので、彼の態度に不満を抱き難癖をつける者が多くいました。私が先程牢行きにした者達も、含まれています」
 『代替わりした時を狙った、ということですか?』
 澪の問に、繁は静かに頷いた。彼は淡々と話を続ける。
 「ようやく一段落着いたと思っていましたが、まだ先日の出来事について謎が残っていました」
 繁は澪に助けられた時のことを思い出す。
 「あの時は、私の他に蝶野も狙われていました」
 『ということは、やはり繁さんを狙っている人が他にもいるんですね……』
 「はい。ですが、今回の件はおそらく別です」
 『別の人、というと……?』
 「私を含めた、歴代の閻王に恨みを持っている人物です」
 『……心当たりはあるんですか?』
 繁は黙って俯く。澪はそれ以上何も聞かなかった。
 『とにかく、今は身体を休めて下さい。それでは失礼します』
 「お気遣いありがとうございます」
 そう言って繁は連絡を終えた。
 「……どうぞ」
 「失礼します」
 入室してきた敦史と額を突き合わせるも、虚しく時間は過ぎていった。敦史が退室した後も、繁は考え込んでいた。

 その間、後輩二人は記憶を頼りに、事件の概要を小さな手帳に書き出していた。
 「臨時訓練をしている時、俺達が胸騒ぎを覚えてからどの位で異形の天使達が出てきたんだっけ? アイツらの歪な表情、夢に出る程怖かった」
 「二分も経たないうちに、こっちの空間をガラス同然に割ってた。何者かの手先の可能性もあるよなぁ……。破れた空間はあの後どうなった?」
 「割れた部分が段階を経て修復するような感じで元に戻った」
 「……と見せかけているんじゃないかな? 実はこうやって話し合っている時も、向こうは……」
 「恭平、それ次荒れ地に行った時、ほんとにあったら怖いって!!」
 「あくまでも仮説なんだけどね……」

***
 繁は翌日、自分に私怨を向けている人物の手がかりを探しに、件の荒れ地に向かった。そこには、部下の四人の姿があった。
 「黒崎様、目的は私達と同じですか……?」
 裕樹に問われた繁は、
 「手帳を広げている様子……明らかにそうとしか思えない」
と苦笑い。
 荒れ地で合流した彼らは、後輩二人がまとめた記録をもとに、先日あった出来事を確認する。
 「あの時片付いたと思っていたが、囮の可能性もあるということなのか?」
 「僕はそう推測していますが……首謀者が来たら詰みです」
 「これ以上増援とかはやめて欲しいですよ……」
 二人が手帳をしまった時、すくなが嘆いたことと恭平の推測が、現実になるとは思ってもいなかった。
 「……え」
 再び空間の割れ目が現れ、異形が姿を見せる。前回の天使達に加え、牛頭を思わせる悪魔は鉈を手にしていた。それだけではなく、馬頭を想起させる悪魔は機関銃を所持している。
 「……前より増援が来ている。懲りない連中だ」
 繁は忌々しげに呟く。その後ろにも、空間に開いた穴から多数の化物が。
 「後ろは俺と裕樹さんで対処します!」
 「……分かった」
 部下達の言葉を受けた繁は、かつての戦いと同様に蒼炎を立ち昇らせる。
 揺らめいているそれは冥界の者の霊力を増幅させ、状況によってはカタルシスの効果を持つが──真相は扱う本人のみぞ知る。

 戦の火蓋が切って落とされた。
繁の部下達は苦戦を強いられている。数の差もあるかもしれない。
 だが一番の理由は、彼等に劣らぬ連携で動きを封じられていることだ。
 (まずいな……。このままでは、黒崎様の負担が大きくなる)
 敦史は焦っていた。自分のせいで、繁に多大な迷惑をかけてしまったからだ。すると、突然誰かの声が聞こえた。
 「蝶野、遠慮はするな! 泉谷も後ろの二人に加勢して、一気に決めてくれ!!」
 「はいっ!!」
 声の主は繁だった。彼の言葉を聞いた四人は一斉に行動を起こす。
 「行くぞ!」
 裕樹はクナイを、恭平はトンファーを構えて異形の群れに飛び込み、距離を詰める。強烈な攻撃で怯ませた後、符術を用いて動きを封じ込めた。
 「二人とも、今だ!」
 「焼かれて灰になれ!」
 隙を与えず、すくなと敦史が炎を放つ。燃え盛る業火の勢いに呑まれて、化物達の断末魔が上がる。
 「ナイスタイミングだったよ!」
 「いや~それほどでも」
 「油断は禁物だ。まだ終わった訳ではない」
 敦史に釘を刺されたすくなは、ハッとした。
 裕樹は気の引き締まった表情で戦況を把握する。
 「後は……黒崎様への加勢だな」
 「アイツら、前と違う武器で来てるけど俺達ならいける! 気を引き締めていきましょう!!」
 「了解!!」
 四人は繁の元に駆け出す。

 その頃、繁は目の前の敵に集中していた。次々と襲いかかってくる敵を薙ぎ払うその表情は、余裕そのもの。彼の背後に忍び寄る影にも、錫杖で一突き。悪魔は機関銃を取り落とすも、槍に持ち替えて応戦する。 繁は咄嵯に避けるも、右腕を掠ってしまった。傷口は浅いものの、血が滲み出る。
 「黒崎様!」
 「大丈夫だ。それより、そいつらを頼んだ」
 「はいっ!」
 部下達が異形の相手をしている間に、繁は先程負傷した箇所を治癒術で治す。その間、彼はあることを考えていた。
 (蝶野達が時間を稼いでいる間、あの天使達と異形を確実に塵にする策を考えなければ……。以前は炎で対処できていたが、今回は耐性をつけていると見た)
 繁はふと、ある作戦を考えついて笑みを浮かべた。
 「……あの手があったな」
 一方、部下達は苦戦していた。
 「くっ……この野郎っ!」
 「……っ! これじゃあキリがない!」
 「一発一発の攻撃が重すぎる……」
 「相手も、こちらに引けを取らないほどの連携をとっている……」
 敦史は敵の攻撃を何とか防ぐも、恭平とすくなは体力の限界が近づきつつあった。裕樹も、防戦一方で息切れを起こしている。
 その時、後方から声がした。
 「蝶野達、時間稼ぎ助かった。後は私が片付ける」
 繁がこちらに向かってくる。彼はそのまま距離を詰めて、寒風を帯びた錫杖で悪魔達を滅多打ちにする。間髪をいれずに蒼い炎を纏わせ、天使達を灰に還す。
 「黒崎様!」
 「ありがとうございます!」
 「礼には及ばない」
 繁は微笑む。敦史達は、そんな彼を尊敬の眼差しで見ていた。
 「ところで、あの破れた空間は?」
 「あの先に、首謀者がいるかもしれない」
 敦史の問いに、繁は真剣な眼差しで言う。
 「ならば、急がなければ……」
 「僕も行きます」
 「……私も」
 「俺も同行します。よろしいですか?」
 「……分かった」
 こうして、五人は破れた空間の先へと足を踏み入れた。

***
 そこは、先程いた所と似たような……否、より荒涼とした大地が広がっていた。
 「ここって、さっきと似たような……?」
 敦史は呟く。他の者達も同じことを思っていたに違いないだろう。 
 「おそらく、此処は我々のいる空間から隔絶された別空間……」
 繁は冷静に分析する。
 「空間に足を踏み入れた時に微かに感じた気配の主が、我々を呼び寄せたのだろう」
 繁は後ろを振り向いた。そこには、一人の男が立っていた。
 「貴方が、この事件の黒幕ですね」
 敦史は男を睨みつける。男は黙って佇んでいた。
 「答えなさい。何故、こんな真似をしたんですか?」
 敦史の問いかけに対し、男は口を開く。
 「お前達に、知る権利はない」
 「何だと? ふざけたことを言うな!!」
 「待て、蝶野」
 激昂する敦史を、繁が制止する。
 「落ち着いて。怒りに身を任せては、勝てる戦いも負けてしまう。貴方はそれを望んでいるのか? ……まずは、話を聞きたい」
 繁の言葉を聞いた敦史は、落ち着きを取り戻す。
 「そういえば、自己紹介がまだでしたね。私は、黒崎繁と言います。貴方の名前は?」
 「……業野一忌ごうの かずき。鬼灯の代に、役人だった身だ」
 繁の質問に、ようやく答える業野。すると、すくなが一歩前に出る。
 「……俺達は、黒崎様に恨みを持つ人物を追っています」
 「ほう……それで、誰だと言うのだ?」
 「貴方ですよね。黒崎様を執拗に狙っていたのは」
 「……そうだ。それがどうしたというのだ?」
 「……っ!」
 業野の返答に、すくなは唇を噛んで俯いてしまった。裕樹は、彼の肩に手を置く。
 「僕達が追っている人物は、貴方なんですよ」
 恭平は口を開いた。
 彼は敦史と共に仕事道具を構える。だが業野は動じないどころか、不敵な笑みを浮かべていた。
 「なるほど……そういうことか。面白い」
 「何を笑っている!!」
 「……蝶野、落ち着け」
 「しかし……!」
 「今は、彼の話を聞くべきだ」
 「……分かりました」
 繁に諭されて、敦史は渋々引き下がる。
 「黒崎さん、目的を述べても宜しいか?」
 「ああ」
 「君達を呼んだ理由はただ一つ……。俺と戦え」
 「戦う?」
 「そうだ。戦って勝つことが出来たら、君の望み通りにしてやる。何がしたい……復讐か?」
 「復讐は望まない。罪を償ってほしいのだが」
 「ああ、約束しよう。ただし、条件がある」
 「……なんだ?」
 「先程言った通り。俺に勝てたら、の話だ」
 「なるほど。それはまた、随分と舐められたものですね」
 「そんなことはしないさ。これはゲームだ。君達が勝てば、俺は潔く罪を認めよう。但し、負けた場合は……その身に烙印を押されることになる」
 「つまり、勝った場合のみ貴方を裁けるということか……」
 繁は顎に手を当てて考える。
 「蝶野、君はどう思う?」
 「私は構いませんよ。黒崎様の言う通りにします」
 「ふむ……」
 敦史は即答だった。
 「私は業野に聞きたいことがある。だから、勝負を受けても構わない」
 繁は闘志を示す。
 「貴方がそう仰るなら、俺は従います」
 「僕も、従うまでです」
 「黒崎様が決めたことに、私は従うだけなので」
 敦史に続いて、すくな、恭平、裕樹の順に発言した。彼らも闘志を漲らせている。
 「決まりのようだな」
 「ああ」
 「それじゃあ、始めようか」
 こうして、繁達と業野のそれぞれの命運を懸けた戦いが始まった。

 戦いが始まってから、数十分が経過しようとしていた。
 「ハァッ!!」
 敦史は疾風を纏った刀を振るうも、避けられてしまう。
 「甘い」
 「くっ!」
 業野は薙刀を構えて、敦史に襲いかかった。彼は咄嵯に防御するも、力の差は歴然であった。敦史は吹き飛ばされてしまい、壁に激突する。
 「ぐあっ!」
 「敦史さん! くそっ!」
 「余所見をしている暇はないぞ」
 「!?」
 すくなは薙刀の突きを間一髪で躱す。だが、左頬を掠ってしまった。
 「っ……」
 「どうした? 動きが鈍くなっているが」
 「うるさいっ!」
 恭平はトンファーで突こうとするが、全て防がれてしまう。業野は隙を突いて、すくなと恭平を柄で突き飛ばす。
 「ぐぅっ!?」
 二人は地面に倒れ込んだ。
 裕樹と業野は炎と雷を纏った刃をぶつけ合う。互いの技がぶつかり合い、衝撃波が生じる。
 両者一歩も引かない状態が続いていた。
 繁は業野に問いかける。
 「何故、貴方はこんなことをしたんだ」
 「お前には関係のないことだ」
 「貴方がやったことは犯罪行為に等しい。何故、分からないのか?」
 「俺にとって、アンタや鬼灯といった邪魔者は消すだけだ」
 「それが貴方の考え方か……」
 そう呟く繁の声は、どこか失意に満ちていた。
 「……それなら、お前から消してやろう」
 業野は標的を変え、薙刀を振り下ろす。繁はそれを受け止めるが、衝撃に耐えきれずに膝をつく。
 「黒崎様!」
 裕樹が駆け寄ろうとするが、
 「来るんじゃない!! ……来れば、君も巻き込まれる」
 と繁が叫んだため、足を止めるしかなかった。
 「どうした? もう終わりなのか?」
 「まだ……だ」
 「黒崎様から離れろぉっ!」
 すくなが業野に攻撃を仕掛けるも、簡単に受け止められてしまう。そして、腹部を蹴り上げられる。
 「っ!」
 すくなはそのまま地面へと倒れた。敦史と裕樹は二人掛かりで攻めるも、業野に圧倒されていた。
 「何なんだ、こいつは……」
 敦史は歯を食いしばりながら呟いた。
 「諦めたらどうだ?」
 「……」
 敦史は業野の言葉を無視して、刀を構える。すると、敦史の身体を眩い光が覆った。
 業野は未だに余裕の表情だ。
 「……ほう」
 光はやがて、刀に集まっていく。
 「これは……!」
 敦史は目を見開いた。彼の持っている刀が、紅く染まっていたからだ。     
「蝶野!」
 「はい!」
 繁に名前を呼ばれただけで、敦史は何を求めているのか理解した。
 「……行くぞ」
 彼は立ち上がり、繁の背中に触れる。
 「……はい」
 敦史が刀を横に振るった瞬間、斬撃が放たれる。
 「ちっ」
 業野はそれを避けようとしたが、避けきれなかった。肩を切り裂かれ、鮮血が滴り落ちる。
 「今だ!」
 敦史と繁は同時に走り出す。
 「……面白い」
 業野は不敵な笑みを浮かべていた。
 「これで、終いだぁっ!!」
 敦史は跳躍して、刀を振るおうとする。しかし──
 「!?」
 敦史の動きはピタリと止まった。否、止められてしまったのだ。
 「馬鹿め」
 いつの間にか、すくなによって敦史は羽交い締めにされていた。
 「すくな! 何をしている!? はやく、離れろっ」
 「申し訳ありません……。俺が油断してたばかりに、一時的に傀儡くぐつと、なってしまい……」
 すくなは俯いて言った。その瞳は涙を堪えている。
 「くそっ」
 敦史は抵抗するが、振り解けなかった。その間にも、業野は薙刀を敦史に向けている。
 「蝶野!」
 繁は錫杖を横薙ぎするも、それは空を切った。
 「どこを狙っている?」
 「!?」
 敦史は背後の声に振り返ると、そこには無傷の業野の姿があった。
 「くっ」
 敦史は懸命に抵抗するが、無駄だった。すくなも業野に抗おうとしたが、無情にも彼らに薙刀が振り下ろされる。
 すくな達に刃が迫った直前、業野は後方へ吹き飛んだ。
 「ぐあっ!」
 そのまま身体を大地に強打する。敦史は後ろを振り返ると、見覚えのある人物が立っていた。
 「……大丈夫か?」
 そこにいたのは、息を切らした繁であった。
 「……黒崎様、どうしてここに……」
 「君達が……心配でな」
 「そうですか……」
 「随分と、苦戦していたようだな」
 「ええ……」
 「だが、安心しろ」
 「はい」
 敦史は安堵した表情で返事をした。
 「……さて、反撃といこう」
 繁はすくなの方を向いて言う。
 「……分かりました」
 すくなは涙を拭って、力強く答えた。
 「ふっ、まさかここまでやるとはな」
 業野は薙刀を支えにして立ち上がる。
 「余裕ぶっていられるのも、今のうちだ」
 「ほう? では、見せてもらおうか」
 敦史は刀を構えながら、業野に向かって走る。
 「ふんっ」
 業野は薙刀を振るう。敦史は刀で受け止めるが、力の差がありすぎて押し切られそうになる。
 「くぅっ」
 敦史は歯を食いしばって耐えようとするが、
 「そこだっ!」
 恭平がトンファーを振り下ろしたことで、敦史は解放され距離を取ることが出来た。
 「すまない。助かった」
 「いえ、気にしないでください。礼には及びませんよ」
 敦史と恭平は互いに顔を見合わせて微笑んだ。

 「はああっ!!」
 裕樹は雷を纏ったクナイで斬りかかる。
 「無駄だ」
 業野は裕樹の攻撃を全て受け流し、裕樹を蹴り飛ばした。
 「うっ……」
 裕樹はそのまま地面へと倒れ込む。
 「裕樹さん!」
 すくなは急いで駆け寄る。
 「お前達如きに負ける俺ではない」
 「……そうか。ならば本気で相手をしよう」
 繁は錫杖を構えて一突きした。すると、彼を中心に辺りが黒炎に囲まれていく。
 「へぇ、本気を出すということか?」
 「……これ以上は、黙ってはいられない」
 「ならば……元四天王のこちらも、全力を出させてもらおう」
 繁以外の四人が驚愕のあまり言葉を失う中、業野は薙刀を地面に突き刺した。
「お前達には、頞部陀あぶだ地獄の寒気を耐えられるか? 頞部陀の寒気よ、この薙刀に宿れ!」
 凍てつく程の冷気が、業野の薙刀を包み込んでいく。冷気が収束した時には、大小様々な氷塊が周囲に散らされていた。
 「業野が……元四天王だと……」
 敦史は唖然としながら呟いた。 
「……行くぞ」
 業野は薙刀を勢いよく振るった。その瞬間、氷の刃が放たれる。
 「皆、避けるぞ!」
 繁は咄嵯に叫ぶと、全員は一斉に回避行動を取った。
 「……」
 繁は静かに業野を見据える。彼の身体は業野と反して熱くなっていた。以前より闘志を燃やしていた証だった。
 「……これで終わりだ」
 「……いや、違うな」
 「なんだと?」
 「まだ、終わった訳ではない」
 「何を言うかと思えば……戯言か」
 「私達は、諦める訳にはいかない」
 「黙れ!」
 業野は再び薙刀を振るおうとするが、その前に繁が地を蹴っていた。
 「はぁぁぁっ!!!」
 繁は錫杖を横に振ろうとするが、業野は薙刀を縦にして防ぐ。
 「まだまだぁっ!」
 繁はさらに錫杖を押し続ける。
 「ぐっ……」
 業野の顔は徐々に余裕を無くし、ついに薙刀を落としてしまった。
 「どうやら、ここまでのようだな」
 「くそぉ……っ」
 繁から距離をとった業野は悔しそうな表情を浮かべている。
 「黒崎様! 今のうちに!」
 「わかった」
 敦史は裕樹、すくなと共に、繁の元へと駆けつける。
 「大丈夫ですか?」
 「ああ」
 繁は敦史に錫杖を託し、渡された刀を構える。
 「あとは私に任せろ」
 「わかりました」
 繁は、刀に蒼い焔を纏わせる。
 繁と業野は同時に走り出し、間合いを詰めた。
 「はああっ!」
 繁は跳躍して刀を振るう。だが、それは防がれてしまう。
 「ふんっ」
 業野も薙刀を振るうが、それも受け止められる。そして、互いの攻撃がぶつかり合う。
 「……流石、元四天王だ」
 「貴様もな」
 二人は一旦距離を取ると、再び動き出す。
 敦史達が息を呑んで見守る中、何度も激しく衝突する音が響き渡る。
 「はああっ!!」
 「おおおおっ!!」
 二人の戦いは互角だったが、両者の差が如実に現れ始めた。
 「!?」
 繁の肩に切り傷がつく。
 「どうやら、ここまでのようだな」
 業野は余裕の笑みを見せた。
 「ぐっ……」
 「黒崎様っ!」
 敦史達が叫んだ直後、業野は薙刀を大きく振りかぶる。
 「さらばだ」
 「……!」
 繁は目を瞑った。その時、
 「黒崎様に……手を出すなああっ!!!!」
 すくなの妖力が鎖となって業野を締め付けていた。
 「がはっ……」
 業野はそのまま膝をつく。
 繁はすかさず悔悟の棒を突きつけて、業野を見下ろすように立つ。
 「何故、俺にトドメをささない?」
 「貴方は罪を償う必要がある。それに、助けたいと思ったからだ」
 「……分かった。罪を認めるとしよう」
 互いの命運を懸けた激闘は、繁達の勝利で幕を閉じた。

 「業野。これも、償いの一つだ」
 「役所に戻った後、俺の処遇について話し合うんだろ?」
 「……もちろん」
 その後、空間の綻びは繁と業野によって閉ざされ、異界から化物が出てくることは殆どなくなった。

***
 繁の下に集合した敦史達は、業野の処遇を話し合う。
 「業野の犯した罪は、決して許されることではありません。叫喚に配属させた方が良いかと思います」
 「あの後に罪を認めましたが、それで減刑では無いですよね? 黒崎様」
 敦史とすくなに詰め寄られる形で提案を聞いた繁は、暫く考え込む。
 「そうだな……じゃあ、こうしよう」
 二人は固唾を呑んで繁の意見に耳を傾ける。彼は続けて言った。
 「業野を、私の補佐に任命する」
 「……え?」
 「どういうことですか?」
 繁の意見に、敦史とすくなは耳を疑う。
 「彼は良心の欠片もない訳ではないし、私の元で働いてもらう方が、監視もしやすいだろう? 罪人によっては、極刑の阿鼻に配属させるよりも酷なことだと思っている」
 彼の考えを聞いた敦史は、やむを得ず納得の表情を浮かべる。
 「確かにそうですね……」
 「だから、よろしく頼むよ」
 「……分かりました」
 敦史は渋々といった様子で承諾すると、恭平が口を開く。
 「……ところで、これからどうします?」
 「まずは、今回の件を罪業管理課に報告する。それから、胡蝶の怪我の治療だ」
 「裕樹さんは、大丈夫なんでしょうか……」
 「心配はいらない。命に別状はない」
 「良かった……」
 恭平が安堵した時、扉をノックする者が。
 「どうぞ」
 「失礼します」
 聞き覚えのある声の後に入ってきた人物──裕樹は松葉杖をついていた。
 「胡蝶、怪我はどうだ?」
 「ああ……だいぶ良くなりました」
 「快方に向かっているとはいっても、安静にしておいた方が良い」
 「はい。実は……」
 裕樹は、敦史に治療してもらっている間の出来事を話し始めた。
 「そんなことが……」
 「でも、無事で何よりです!」
 「裕樹さんの仕事は、俺達で補います」
 「裁判員の仕事とかもあるけど、大丈夫かな?」
 「それについては、敦史さんと僕が補います」
 「分かった。敦史、あの時はありがとう」
 裕樹に感謝を伝えられた敦史は、照れくさそうな表情を浮かべる。
 「……とりあえず、彼の処遇については以上だ」
 「はい」
 こうして業野の処遇は決まった。
 敦史達が退室した後、繁は業野に声をかける。
 「……改めて聞きたいことがある」
 「黒崎さん、そんなに腰を低くしてどうした?」
 「話を掘り返すようで悪いが……業野は、どうしてあの事件を起こした?」
 「ああ、その話か」
 業野は落ち着いた口調で話す。
 「あの当時は、部下が不祥事を起こした責任を取るという名目で鬼灯に役所を追われたんだ。それからは、代替わりを狙って異空間を通じて刺客を送っていた」
 「そうだったのか……。刺客の中に、異形の天使達がいたのは覚えているか?」
 繁の質問に業野は面食らった。
 「……待て、そいつらを刺客として送った覚えはないぞ」
 「何だと?」
 「役所を追われた後に風の噂で聞いたことなんだが……その異形達は、冥界を治める者の力を狙っているんだとよ」
 「私の見立てが、的中していたのか……」
 業野が聞いた情報と自身の見立てがほとんど一致していたことに、繁は頭を抱える。
 「黒崎さんは、そいつらに襲われたことがあったのか……。何か、悪いな」
 「気にすることはない。二度も襲われたが、どちらも撃退した。建物に被害が出ないように、荒れ地で訓練しているが……まさか、それが原因なのだろうか」
 繁が独り口の混ざった返答をした後、二人はその場の沈黙に支配されていた。
 「……そういえば、黒崎さん。貴方は何故、あそこまで強いんだ?」
 「地道に鍛練を続けて来た為かな。それに、巷で四天王と恐れられている蝶野達彼らと不定期で模擬戦をしているのもある」
 「……そうか」
 業野は少し考えると、口を開いた。
 「俺が言えることは、黒崎さんの実力は俺と同等……いや、それ以上だということだ」
 繁は驚いたような顔を見せる。
 「私が、業野と同じ……か」
 「ああ。俺は相手の強さをある程度把握できるが、黒崎さんは例外だ。あの時の戦いの中で、貴方は俺と対等に渡り合っていた。つまり、そういうことだ」
 「……そうだったな」
 繁は納得したように呟くと、続けて言った。
 「では、私からも言いたいことがある」
 「……ん?」
 「今後の模擬戦に参加しないか?」
 繁の突然の提案に、業野は再び驚く。
 「どういう風の吹き回しだ?」
 「業野の力が、この先伸び代があると見込んだからだ」
 「……分かった。参加させてもらおう」
 業野の返事を聞いた繁は、嬉しそうな顔をする。
 「ありがとう。助かるよ」
 「こちらこそ」
 こうして、彼らは和解をして仲を深めた。

 その一方、敦史達は罪業管理課に報告し終えて廊下を歩いていた。
 「やっと解決しましたね」
 「ああ。今回の件は、本当に疲れたよ……」
 恭平と敦史は、お互いに安堵している様子で話す。
 「まぁ、お陰で色々と得るものはありましたけど……」
 「そうだな。特に、恭平は強くなったと思う」
 「ええっ!?」
 「自覚無いのか?」
 「いや、ありますけど……」
 「だったら良いじゃないか。これからも頑張ろう」
 「はいっ!」
 恭平が元気よく返事をした時、裕樹とすくなが合流する。
 「二人とも、これからどうするつもり?」
 「そうですね……。とりあえずトレーニングは続けます」
 裕樹の質問に答えたのは、すくなだった。
 「すくなは相変わらずだな……」
 「その分サボる時は全力でサボっているような気が……」
 「そうでもしないと、メンタル面とかで切り替え辛くなるでしょ?」
 すくなの反論に、恭平と裕樹は納得のいく表情をする。
 「裕樹さんはどうします?」
 「うーん……」
 恭平に聞かれると、裕樹は暫く考え込む。
 「……私も、敦史達と一緒に鍛えようかな」
 「本当ですか!」
 「じゃあ早速、稽古場に行きましょう! 俺は鍵を開けに行ってます!」
 「わかった。それにしても、黒崎様も元四天王だったとは……」
 「敦史さんは気づいていたのですか?」
 「いや、全然気づかなかった」
 四人はより一層鍛練に励むのであった。──自分達の慕う上司が元四天王だったことに、驚きを隠せぬまま。

***
 あの事件が解決した二日後、業野は繁の部屋に来ていた。
 「ここが黒崎さんの部屋だったな」
 扉の前に立った業野が呟くと、中から声がした。
 「……業野か。入っていいぞ」
 「ああ。失礼する」
 業野が部屋に入ると、壁に寄りかかる繁の姿があった。左側の壁近くに浄玻璃鏡じょうはりのかがみがあると気づいた業野は、内心ヒヤヒヤしていた。
 「どうしたんだ? そんなところに突っ立って」
 「何でもないさ」
 業野は誤魔化すと、繁の向かい側に座る。
 「その手に持っているのはなんだ……?」
 「ああ、これか」
 業野の問いに対して繁は考える素振りを見せた後、口を開く。
 「あの壁に掛かっているものの力を、コンパクトミラーでも任意で使えるようにした。出張先での仕事もあるからな」
 繁の説明を聞いて、業野は思わず感嘆の声を上げる。
 「凄いな……。それがあれば、どのタイミングでも見れるってわけだな」
 「そういうことだ。ただ、出張先ではプライバシーの問題があるから、そういったものは見ることができないように制限をかけている。それには依頼者の許可を得る必要がある」
 「なるほど……。俺の用事はもう済んだから大丈夫だ。それより、黒崎さんの方こそ何か話したいことがあるんじゃないか?」
 業野に指摘されて、繁は思い出すような顔になる。
 「そういえば、前から思っていたことだが……」
 「何だ?」
 業野はやや身構える。
 「そんなに緊張しないでくれ、悩み事だから。私は、以前から客観的な考えで仕事をするように心がけているが……いくら私でも、どうしようもない罪人に関してはお手上げだ」
 繁の言葉に、業野は首を傾げる。
 「今までも、黒崎さんは自分のできる範囲で仕事してるんだろう?」
 「……肯定も、否定もしないとだけ言っておく。判断に任せる」
 「わかった。心がけと現状それは傍から見れば矛盾してると捉えられるかもしれないが、黒崎さんはどう思う?」
 業野の質問を聞いた繁は少し考えた後、口を開いた。
 「……そういえば、最近は妥協が多いような」
 「黒崎さんって、はっきりしているようで意外とグレーなんだな」
 業野の返しに繁は驚いたような顔を見せると、ふっと微笑んで言った。
 「これからは、根を詰めすぎないように仕事に取り組むよ。……業野、この後一杯どうだ?」
 繁は、いつの間にか用意したグラスに飲料を注ぐ。──炭酸割りの甘酒だ。
 彼らは、親睦の証にグラスを交わした。

 その夜、繁の姿は自室に密かに併設した隠し部屋にあった。仕事道具の管理を済ませた彼は、蝋燭の照らす中、普段よりも神妙な面持ちで錫杖を手に取る。相変わらずの道服姿仕事服で。
 (この錫杖には、魔障降伏の力が込められている。私はこれまで多くの魂を裁いて来た。激務の時は、これを使わざるを得ない状況もあったな……)
 繁は自身の過去を振り返り、この先どうすべきかを考えていた。
 (私にできることは、これからも自分の使命を全うし続けることだ)
 彼は決意を固め、時に重大任務を抱える日々を過ごしていくのであった。

 ──夜ごとにこの場所で錫杖を一突きし、常世とこよの安寧をいのっていることを、部下達に知られることなく。

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