短編「隔世の境」

 冬には流氷が接岸する、海に面した地方都市──網走。自然ののどかさとは程遠く、仕事という波に揉まれる一人の男性がいた。彼の名は月本渚つきもと なぎさ。仕事のない週末に、神社仏閣巡りをすることを日課としている。
 渚は自室でノートパソコンと睨み合っていた。
 「僕の体験談を含めて大まかなストーリーを構成していくか……。ああぁ考えがまとまらなくなってきた! 今日の仕事は切り上げるか」
 彼は頭を掻きながらノートパソコンを閉じた。連日のリモートワークの疲れが次第に押し寄せてきたのだろう、ベッドに身を沈めて長く息をつく。
 「今から参拝に行ったら時間帯がなあ……。明日は土曜日か。参拝は朝に行こう」(夕方に参拝するのはお勧めしない、と参拝時間の目安を検索したら書いてあった気がする。えーと、『逢魔が時』だったかな)
 陽が沈む中参拝することはリスクが高いことを渚は思い出していた。
 週末の日課をずらすことに慣れを感じ始めた彼は、食料の備蓄を確保するために、宵闇の空の下スーパーマーケットに足を運んだ。


 翌日の早朝、渚の姿は社の境内にあった。周りを木々に囲まれているからなのか、より厳かな雰囲気だ。賽銭を入れた渚は、小さく柏手を打つ。その様子を社務所の近くで見ている男性がいた。
 「……よし。今週を無事に乗り越えることができた感謝の気持ちを伝えられてよかった! 来週も、この時間帯に参拝しようかな」
 「へえ……こんなに朝早くから参拝とは感心したよ」
 「はっ?! びっくりした!」
 「さっきは驚かせてすまない」
 「あの……いつからここに来ていたの?」
 「君がここに来るより少し前かな」
 渚の様子を見ていた人物は泉谷恭平いずみや きょうへいと名乗った。
 「僕、月本渚といいます。渚と呼んでください」
 「分かった。渚くん、よろしくね」
 (現世の様子を調査するように黒崎くろさき様から言われたけど、あの方はどこまで知っているんだ? 現世の流行りに乗ったりしているとこもあるから、謎が多いな……)
 と、ふと難しい表情で考え込む恭平。
 「恭平さん、どうしましたか?」
 「ちょっと考え事をしてた」
 「この後、朝ご飯一緒にどうですか?」
 「えっなんか申し訳ないなあ」
 「遠慮しないでいいですよ」
 「ああ、ありがとう」(突然話しかけた俺を朝飯に誘うとは……。なんと気さくな人だ!)
 誘いに乗った恭平は、渚の家に寄って行った。

 海を一望できる森林公園にさしかかった所で渚は歩みを止める。
 「渚くん、どうした?」
 「たまに、家の近くの森林公園に寄りたくなるんです」
 渚の浮かない顔に、恭平はおそるおそる様子を伺う。
 「もしかして、俺マズイことを聞いた感じ?」
 「学生時代、色々あって……。悩んだり、落ち込んだ時はこの公園で息抜きしていました」
 (そういえば……。何年か前に黒崎様の命で、森林公園辺りを調査しに行ったことがあったな。あの時、高校生くらいの子が何か考え事をしていた気がする)
 「恭平さん、家に着きましたよ!」
 「あれ、通り過ぎてた?」
 「東屋の所まで行ってましたよ」
 「俺そんな行ってたの?!」
 「はい」
 恭平が過去の記憶を漁っているうちに、渚の家──一人暮らしには少し広い平屋である──に着いていた。
 「あの、玄関入ったところですいません。ちょっと部屋の中片付けていいですか?」
 「俺、全然気にしてないよ。おじゃましまーす」
 渚が部屋を片付けている間、何やら家具の倒れる音が……。
 (ん? 部屋の片付けと言ってたけど、家具がやたら倒れる音してないか……?)「待って鈍い音聞こえた気がするんだけど大丈夫か?! 上がらせてもらうよ!」
 恭平がリビングに駆け込むと、キッチンマットで派手に尻もちをついた渚の姿があった。
 「痛いところはない?」
 「ご心配ありがとうございます。昔からドジなもんで……」
 「念のため手当てしておかなきゃね。救急箱ってどこにある?」
 「タンスの下の引き出しに入ってます。手当てするほどの怪我はしてないですよー……。さっきので腰を痛めたかも」
 「マジか! 湿布貼るからちょっと待ってて」
 渚の手当てをきっかけに恭平との距離が近づき、朝食を済ませる頃には打ち解けていった。

 「渚って、一人暮らししているのか?」
 「うん。実家も網走ここにあるんだけどね」
 「ん? それってどういうこと?」
 「地元で一人暮らしもありかなぁと」
 「ああ、そういう形もあるってことかな?」
 「そう。一人暮らし始めてから二年経って、やることがマンネリ化してきたんだよ」
 「そうか……。俺、渚のことをもっと知りたいし、応援したいんだ。だから……一緒にいてもいいかな?」
 渚が笑顔で頷いたのを見た恭平は、喜びを隠せずにいた。
 「ありがと!」
 「そうと決まれば、まず役割分担だね。共同で部屋の掃除と料理はどうかな?」
 「そうだね。共同でやった方が効率良いもんな。俺は水まわりの掃除するよ」
 「わかった。僕は日用品の管理やるね」
 「あと大事なこと忘れてない?」
 「大事なこと? そういえば、最後に家計簿つけたのいつだったかな……あっ」
 「それ一番忘れちゃダメでしょ!」
 家事の役割を決めた後、渚と恭平は共同生活を始めた。


 渚が恭平と共同生活を始めてから三週間が経った時、恭平は頭の片隅にある違和感を感じていた。
 ──このまま自分が現世にいることで、渚に何かあってからでは遅い。早い段階で自分の素性を明かすのもいいけど、渚がどう受け止めるか分からない、と。
 内心で恭平は機会を伺いながら、渚との買い物を楽しんでいる。二人は洋服屋でお互い似合う服を探したり、ゲームセンターに寄ってリズムゲームやプリクラで盛り上がっていた。

 その日の夜中に、渚は寝ぼけまなこを開く。隣りのベッドで寝ていたはずの恭平がいないと分かった渚は、家中を隅々捜しまわる。
 「どこ行ったんだろ……外に行ったとか?」
 恭平が外に出たと推測した渚は、じんわりとした熱気の中を半袖ジャージ姿で駆け出した。
 渚が捜しまわっている間、恭平は森林公園にいた。
 「はあ、やっと追いついた……。アンタ達、あの厳しい監視網を、どうやってくぐり抜けてきた? 現世への干渉は、俺をはじめとした役人と、閻魔様の許可が必要だと決められているんだよ」
 彼は息を切らして両手のトンファーを構え、臨戦態勢をとっている。その鋭い視線の先には、地獄での責め苦にうんざりして現世へと抜け出した二人の怨霊。現世に対しての激しい憎悪と、執着にも似た未練のこもった眼差しを恭平に向けている。
 「俺のように現世と冥界を行き来したいからといって好き勝手されると、その分こっちの仕事も増えてしまう。どうか理解してもらえないだろうか──」
 恭平の言葉を遮って、怨霊たちは容赦なく襲いかかってきた。恭平の耳を、怨嗟と執念にまみれたうめき声がつんざく。彼は次第に追い込まれて、隙を見せてしまった。
 (しまった!)
 恭平は眼前に迫った憑依のリスクから逃れられないと悟った時、鈍い音が聞こえた。恭平はおそるおそる防御体勢を解くと、上司の黒崎繁くろさき しげるが怨霊たちの前に立ちはだかっていた。
 「く、黒崎様?!」
 「渚くんも、泉谷を心配していたよ」
 「恭平、大丈夫だった……って何かいる!!」
 目の前の状況に動揺する渚に、恭平は耳打ちをした。
 「俺と関わりをもって時間たったからだと思う」
 「二人とも、ここは危ないから下がってほしい」
 「俺も加勢します!」
 泉谷の申し出は、あえなく却下された。
 「泉谷を、これ以上危険な目には遭わせたくない」
 繁は一言言った後、前に進み出る。
 「私の部下を乗っ取ろうとするとは……。一度痛い目に遭ってもらわねばならないな?」
 繁は道服仕事服の袂から取り出した悔悟の棒を怨霊たちに突きつけた。
 鬼気迫った場の空気に、恭平と渚は圧倒された。

 怨霊たちを鎮めて冥界に送り返した繁は、恭平たちに背を向けたまま手刀で空を切った。それまで息苦しさを覚えるほど辺り一帯を包んでいた淀んだ空気は、霧が晴れるように澄み渡った。ようやく仕事を終えた繁が振り返ると、緊張から生じた疲労で脱力感に襲われる恭平と、彼を介抱する渚の姿があった。
 「恭平、無理してない?」
 「このくらい、平気だって。ちゃんと歩けるから……あっ、やっぱり無理だったわ」
 「一旦、家に戻ろうか。怪我しないで歩けそう?」
 「うん。何も事情を話せずに、外に出てごめんね」
 気まずそうな表情で謝る恭平だったが、渚は気にしていない様子。
 「私が駆けつけるまでよく頑張ってたよ。泉谷、一回寝た方がいい」
 「わかりました……。ところで、肩が重く感じるのは気のせいですかね?」
 「気のせいだろう」
 「僕も気のせいだと思う。ほとんど同じ姿勢で仕事をしていた、とか?」
 「多分それだわ」
 ひと騒動あった中、渚は繁と共に恭平を見つけることができた。


 家に戻った後、恭平をベッドに寝かせた渚は、リビングで繁と話し合っていた。
 「この度は、泉谷が世話になりました。彼に現世の調査を頼んだ責は、しかと受け止めます」
 「黒崎さん、そこまで頭を下げなくていいですよ。僕、霊感とか全然ないので」
 「そうでしたか。泉谷のことですが、渚くんと共同で生活したいと言った時は驚きました」
 「あの時の様子を見ていたんですか?!」
 「直接というわけではありません。鏡を通して現世の様子を見ていました」
 「鏡……。もしかして、僕たちの生活も?」
 「いいえ。私生活まで見ていないので、ご安心ください」
 「よかったぁ……」
 安堵する渚を見た繁は、ふと恭平の様子を見に立ち上がる。ほぼ同じタイミングで、恭平が部屋から出てきた。
 「おぉ、いいタイミングで来た。泉谷、今後の動きについてだが……現世との往来を控えてもらいたいと考えている」
 「え……。黒崎様、それはどういうことですか?」
 繁の考えを聞いた恭平と渚は、突然の別れを切り出されたことに驚きを隠せなかった。
 繁は改まった態度で続ける。
 「冥界の役人が現世に永くいると、先程のように怨霊や浮遊霊たちが現世に蔓延って、悪い影響を与えかねません。この状態が続くと、いずれは百鬼夜行へと発展する恐れがあります」
 「あの時、憑依されかけたのは覚えています」
 「これ以上の被害を防ぐための最善策です。了承いただきたいのですが──」
 「その提案ですが、撤回をしていただけないでしょうか」
 繁の言葉は恭平に遮られた。
 「渚と会ってから、色々と現世の詳しい情報を知ることができて、渚とも仲良くなって……彼のことを、俺は応援したいと思っています」
 渚も続いて訴えかける。
 「僕からも、お願いします! 恭平との共同生活で、役人の仕事や命の大切さを教えてもらいました。恭平のことを、僕のできる限りサポートしたいと思います」
 少しの沈黙の後、二人の熱意を受けた繁は切り出す。
 「私は、二人の意見を尊重したいと思います。しかし、それぞれの相対する世の理に欠く行動をしないこと。これだけは守ってほしいです」
 「よっっしゃぁぁぁぁ!」
 繁から条件付きでの共同生活の許可が降りた。ガッツポーズをする二人を、繁は
静かに注意した。
 「二人とも、今の時間帯わかっていますか……?」
 「……あっ、すいませんでした」

 二人が明け方に目を覚ました時には、繁は恭平のスマホをテーブルに置いて冥界の役所に戻っていた。
 「あ……これ止むを得ない場合事情があった時、連絡かかってくるパターンだな」
 「黒崎さん、やっぱり心配してるのかも」
 「ああ、そのことなんだけど。黒崎様は稀に俺を含めて、部下四人のことが心配で駆けつけることがあるんだよ。夕べのような余程のことがない限りね」
 「サラッと怖いこと言わないで?!」
 窓から朝陽が差し込む中、駄弁り合いながら台所に向かう二人。
 こうして、相反する世の境を越えた彼らの共同生活は続いていった。

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