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短編「かあさんがしんだ」
少し前に書いたものを載せます。
1
夏の日、お母さんが交通事故で死にました。大きなトラックにはねられました。
お父さんは泣いてました。お兄ちゃんも泣いてました。
僕は、泣きませんでした。
一年後、お母さんが死んだ日に、みんなでご飯を食べました。
あれから毎日、お兄ちゃんと僕が料理をして、お父さんが帰ってきたら、一緒にご飯を食べます。
その日は、お母さんの方のおじいちゃんやおばあちゃんもいて、いつもより賑やかでした。
でもみんな、最初はニコニコしていましたが、だんだん口数が減って、10分くらいした頃には、その場に居た全員が黙ってしまったので、僕もつられて黙りました。
テーブルの上のお皿が全部空になりそうになった時、いきなりお父さんが泣き出しました。
それが合図だったかのように、みんなが泣き出しました。
でも僕は、泣きませんでした。
みんなが悲しそう。みんなが苦しそう。
そんな様子を、僕は近くで見ているだけでした。
お母さんの存在が、僕たちの中でどれだけ大きかったのか、嫌でも実感しました。
毎日のご飯も、洗濯も、掃除も、買い物ですら、僕たちにはとても難しかったです。
見ているだけのときは、簡単そうなことだったし、むしろ休日に掃除機の音を聞かされたり、食べ物の好き嫌いをとやかく言われたりするのがうざったかったです。死んでから、お母さんのすごさが解りました。
あれから毎年、お母さんの誕生日と命日には、高いケーキを買ってきてみんなで分けて食べました。
仏壇が無いので、玄関に置いてあるお母さんの遺影に、毎日「行ってきます」と「ただいま」を言いました。
お父さんはたまにお母さんの遺影をボーッと眺めたまま、玄関にずっと座り込んでる時があります。
お兄ちゃんは、時々僕が生まれる前のお母さんの話や、僕が赤ちゃんだった頃のお母さんの話をしてくれます。そのあと部屋に戻って、一人で泣いてたりもします。
みんな、お母さんが死んだショックを少しずつ、少しずつ自分たちで治していってるようでした。でも、ふとした時にお母さんの記憶が甦って、ちょっぴりかなしくなるときがあるみたいです。
2
僕は、お母さんが死んだときは小学校低学年で、現在はもうすぐ中学生になります。
お母さんを思い出して、寂しくなるし、悲しいとも感じます。
でも、泣きませんでした。
お父さんやお兄ちゃんが、お母さんを思って泣いてるとき、僕は横に座って黙ってました。時々、涙を拭くティッシュを渡す役目です。
お兄ちゃんはそろそろ高校を卒業するのですが、最近様子がおかしいです。
お家に居ないことが多くなりました。帰ってくる時間は夜中です。何日も帰ってこないときもあります。
帰ってくる度に、髪の毛の色が変わってたり、耳にピアスがついてたり、へんな甘い匂いの香水をつけてたりします。
(香水はちょっとやめてほしいです。においで気持ち悪くなります)
それでも、お家に居るときは僕といっぱい遊んでくれるし、僕が好きなお菓子を買ってきてくれまりして、いつもの優しいお兄ちゃんです。
お兄ちゃんが外で何をしているのか、僕は知りません。知らないほうがいいと思いました。
お父さんは前とあまり変わらず、働き者のお父さんです。休みの日には一緒にゲームをして遊びます。楽しいです。
お母さんが死んでから、お家の中はだいぶ静かになりましたが、みんな少しずつ元気になっていってると思いました。
3
ある日、お父さんがお兄ちゃんの高校の先生に呼び出されました。
お兄ちゃんは半年も高校にまともに通っていないこと。
不良とつるんで喫煙をしていること。
飲酒していること。
暴力でお金を巻き上げたりしていること。
物を壊していること。
物を盗んでいること。
色んな悪いことをしていると、教師から聞かされたそうです。
その日のお父さんは帰ってきて早々、お兄ちゃんに電話をかけて「今すぐ帰ってこい」と怒鳴りました。
お父さんがあんなに怒っているのは初めて見ました。
夜の8時ぐらいにお兄ちゃんが帰ってきて、お父さんと二人でリビングでお話をしていました。僕は、二階の自分の部屋に居ろと言われたので、大人しく部屋で本を読んでました。
どれくらい時間が経った頃か解りませんが、一階のリビングから怒鳴り声や、何かが何かにぶつかる音が聞こえました。
びっくりして、僕は急いで部屋を出て、リビングに降りていきました。
お父さんと、お兄ちゃんが取っ組み合いをしてました。
初めて見る二人の攻撃的な姿に、恐怖で足がガタガタ震えました。
しばらくして二人は僕のことに気付くと、急にお互いに掴み合っていた手を離して、無言で立ち尽くしました。
「だ、大丈夫?」と、僕は二人に聞きました。
お兄ちゃんは鼻血が出てるし、お父さんは左目に痣が出来てました。どう見ても大丈夫ではありません。
「部屋に行ってろ」
お父さんは息を切らしながら言いますが、お兄ちゃんは
「いいじゃん、こいつにも聞かせてやれよ」
と、乱暴な口調でお父さんに言いました。
「親父は新しい女と結婚するんだとよ」
そう僕に告げたあと、お兄ちゃんの目には涙が溢れだしました。
4
僕も、正直あまり良くは思えませんでした。
お父さんは、お母さんのことが嫌いになったのでしょうか?
僕たちにとってお母さんは一人だけです。他の人に代えようがありません。
お父さんにとっては幸せでも、僕たちはそうじゃありません。
僕たちにとって家族とは、お父さんとお母さん、僕とお兄ちゃんの四人だけです。
お父さんが他の人と結婚してしまったら、もう家族ではないのです。
僕たちと築いた家族とはまた違う、別の新しい家族を作るのです。
僕たちのことは、きっといらなくなってしまう。
とても怖かったです。
お兄ちゃんがおかしくなったのは、半年前にお父さんからその話を聞いたからだそうです。
お兄ちゃんも、お父さんも、泣きました。
ぐちゃぐちゃになったリビングで、お兄ちゃんは「俺たちを捨てるのか」と泣いて、お父さんは「なんで解らないんだ」と泣いてました。
僕は二人に、涙を拭くためのティッシュを差し出しました。泣きませんでした。
お父さんは僕にありがとうと言って、ティッシュを受け取ってくれました。
でも、お兄ちゃんは僕の手からティッシュの箱を叩き落として、叫びました。
「なんでいつもそうなんだよ」
びっくりして、お兄ちゃんを見詰めていると、今度は頭を叩かれました。
すぐにお父さんが僕を庇うように、背中に隠しました。
「なんでいつも平気な顔をしてるんだよ。母さんが死んだことが悲しくないのかよ。
お前のその顔を見るだけでも腹が立つよ」
お父さんが、情けない声でやめろと言いました。 頼むから、やめてくれと。
お兄ちゃんがそんなひどいことを、僕に言ってくるのは初めてでした。
「一回ぐらい泣いてみろよ。お前どんだけ冷たいんだよ。母さんが悲しむよ……」
5
僕は、泣きませんでした。
ちょっぴり涙で視界が霞んだけど、我慢しました。
「だって、『あんたが泣くと私も悲しくて泣きたくなるよ』って、お母さんが言ってたから」
それしか言えませんでした。それ以上言ったら、僕は大声を上げて泣き出してしまいそうだったからです。
僕が今よりずっと小さかった頃に、泣いてる僕にお母さんがそう言ったのです。
だから僕は、お母さんが泣かないように、悲しくならないように、泣くのを我慢していたのです。
でも堪えきれずに、右目から涙が一粒、溢れてしまいました。お父さんの背中に顔をくっつけて、顔を隠しました。
我慢しなきゃ、我慢しなきゃと自分に言い聞かせますが、このときは上手に我慢できませんでした。
ずっと我慢していたものを吐き出すように、僕は泣いてしまいました。
お母さんごめんなさい。
僕は泣いてしまいました。悲しくならないで下さい。僕はちゃんと元気です。お兄ちゃんもお父さんも、元気です。だから悲しくならないで下さい。
お兄ちゃんは「ごめん」と言って、僕を抱きしめてくれました。お父さんも、僕とお兄ちゃんを抱きしめてくれました。三人とも泣いてました。
お母さんのことが大好きです。
お母さんが居なくて寂しいです。
でも、僕たちはきっと、大丈夫だと思います。
だから、いつまでも僕たちのことで、泣いたりしないでください。
その日は、三人でファミレスに行ってご飯を食べました。
とても楽しかったです。
おわり
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