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昔の人はすごかった

創業者の小林元二氏という人に私はお会いしたことがありません
ただ元二氏や二代目の恒美氏が残してくださった
資料を目にすることができます
このお話もその資料の中にありました


1923年に粂ボートー工場から独立し、叔父とふたりで創業

当時はもちろん機械などなく、フイゴ金床、大小ハンマ、ハシ、タガネなどで製品をつくっていたようです
 ⇒11月8日には鞴(ふいご)まつりが行われます

その後はいち早く「ギムネ」に着目、機械を導入し製品を作りはじめます
「小林式ギムネ」をつくる機械も自社で製作していました
これは当時から現在まで続く強みのひとつです

現在のスターエムの基盤は元二氏と恒美氏によってつくられているのだと改めて思います
今年でスターエムは100周年を迎えますが
その半分の50周年で作成された記念誌
中を見ると今でなら出来ていて普通のことかもしれないけれど
この当時にもうこれだけのことが出来ていたのかと驚くばかりです

50周年記念誌

記録が残したもの

今でこそ機械化も進み、世の中も便利になりましたが昔は多くのことがアナログだったはず
今だったらすぐに出来ることも当時はかなりの労力が費やされていたのではないかと思います
しかし資料の中には製品についての検証結果、どういう経緯で「ギムネ」が伝わってきたかなど様々なことが記されています
そこには自分たちの考えていることや行っていることを次世代へ伝えていこう、繋げていこう、残していこうとする元二氏や恒美氏の思いがあるように思います
戦争も経験し、自分たちの思う製品をつくることができなかった時期もありました
そんな中でも生き抜くために、社員を守るために何をすれば良いのかを考え、それを実行していった
厳しい時代を乗り越えて今があるのは先達の知恵と努力があったからこそ
本当にすごいなと思います

昔はギムネを製造しているところも多くありましたが
現在国内では弊社を含め3社ほどでしょうか
近年店頭には海外製品が多く並ぶようにりましたが
made in Japan 、made in Miki
この技術は守り伝えていかねばなりません
 

恒美氏とのプチエピソード

私が入社した当時は恒美氏が社長でした

⇒ ラセン階段を一歩ずつ
当時は庶務課の所属だったので、出納帳を社長室へ持って行き確認をしていただくということがありました
社長室に行くにはラセン階段をのぼります
まず持って行く段階で緊張、さらに内線での呼び出しがあった際には緊張を通り越し恐怖でした

⇒ 社長宛の電話
お相手のお名前を聞き直しても「さようのさかなやさん」にしか聞こえない
実際は「佐用の坂本さん」
私は社長になんとお伝したのだろう・・・

⇒ お飲みものは紅茶
コーヒーは飲まれません
紅茶にレモンを添えてお出しします
レモンの厚みには注意
そういえば三代目もコーヒーは飲まれなかったな

⇒ お茶の泡はスプーンですくう
お茶を入れたときに器の周囲につく泡
この泡はスプーンですくわなければいけません

⇒ 生家へおじゃまする
社長を退かれ、相談役となられてからは会社の前にあった生家にいらっしゃることが多かったです
時々、PCのことなどでお聞きになりたいことがあると内線がかかってきておじゃますることがありました
ちょっと秘密の場所に行くみたいでした

⇒ 入社当時にいただいた言葉
「継続は力なり」
入社当時に社長が話された言葉です
私自身特別な技術や知識を持っているわけでもありません
人前に出るのはもちろん話すことも苦手です
でも小さなことでもコツコツと継続していくことで、これまでに身についたことはあると思います

三代目とのエピソードもありますが
それはまた機会があれば・・・