愛してなんか居ないのに

「理央(りお)の手、温かいね」
 私が布団から顔を出すと、隣で一緒に横になっていた彼氏の理央が手を両手で包み込むように握りながら頬擦りをした。
 仕事からの帰り道、雪が降っていた。私の住む水門町(みなとまち)では比較的温暖な地域なので雪が降ることは珍しいことなのだが、今季は例年より気温が低いらしく雪が降ってもおかしくない気温らしい。積もるかは分からないと今朝見たお天気キャスターの女性が言っていたが、この調子で降り続けば確実に積もるだろう。
 そんな寒い日の夜は理央の手を取って温かさを分けてもらうのが、私なりの愛情表現だったりする。それを知っている彼は、「真奈(まな)の手が冷たすぎるんだよ」と笑いながら今度は私の両手を大きな手で包み込んでくれる。それに応えるように「あったかい」と零した私の言葉に理央は「でしょ?」と答え、無邪気な顔で笑う。私は子どものように笑う彼が好きだった。
「冷え性って治らないの?」
 私の手を握ったまま理央は訊ねる。
「治さないの」
 あえて、私は治さないと否定した。
「なんで?」
「私の手が冷たかったら、理央が手を握ってくれるから」
 いつもなら「俺も手冷たいときあるよ」と返してくれるのだが、そのタイミングで理央のスマホの通知音がひとつ鳴った。それに反応して理央はベッドから起き上がり、スマホを操作する。付き合い始めた当初は消音モードにしてくれていたはずなのに、最近は二人でいる時でも消音モードをオフにしないままで居る。
「最近、消音モードにしてくれないね」
「うん、まあ」
「どうして?」
「仕事で何かあった時、大変じゃん」
 再びベッドに入ろうとした彼の目が一瞬泳いだのを見逃さなかった。でもそれを隠すように横になった彼は私の目を見つめ、誤魔化すように手をぎゅっと握りしめる。
「浮気してる?」
 冗談交じりで理央に訊ねてみた。すると彼は真っ直ぐに私の目を見て「してないよ」を否定する。その声色と瞳に感情は見えない。
 でも私はなんとなく気付いている。それは理央がいつもより早い時間にお風呂に入っていた時、たまたまリビングに置かれた彼のスマホを見たのが始まりだった。何の気なしに覗いてみると、そこには『明美』という名前と『今度いつ会える?』という文字が表示されていた。
 彼に姉妹は居ないし、可能性としてあるなら母親だろうが、わざわざ名前に設定するとは考えにくい。そう考えると友人という可能性が出てくるが、ロック画面が私とのツーショットのままだから、それは否定したい。なにより大前提として、同棲もして結婚前提に付き合っているのにわざわざ異性と会う約束をするだろうか。本人も「約束を守れない奴は嫌いだ」と言っていたけど、でも、もし私の予想が当たっていたなら。私は裏切られたことになって__
「大丈夫」
 不安が顔に表れていたのか、理央が私の頬に手を触れ私の目を真っ直ぐと見つめる。それはまるで迷子になった小さい子の顔を安心させるような優しい表情をしていた。
「俺は真奈だけを見てるから」
 そう囁いて唇を重ね、彼は腰に手を回す。その仕草は妙に手馴れていて、私以外の女にも同じような言葉を囁いて一夜を共にしたのだろうかと余計に不安にさせた。浮気した証拠もないのに、どうしてか涙が溢れそうになる。そんな感情を紛らわすように私は両手を彼の顔に当て、もう一度キスをせがむ。苦しくなるのはきっと、この感情のせいだ。
 愛して。
 絞り出すように出したその声が、彼に届いたかは分からない。



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