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天才というよりは聖杯

いきなりのモジャモジャおじさんですみません。あ、茂木様にも失礼!しかも長尺。でもとても面白いお話なのでまずは見てみて下さい。茂木さんは何故こう「天才」というものにこだわるのでしょうか?「天才」の語源についてググってみましたが、元々英語のgeniusはやはりキリスト教の守護神から来ているようですね。

動画の通りだとすれば、「天才」はまさに「天災」。ただし、歴史を振り返ってみれば「天災」は避け難く、人間の叡智をもってしてもしても防ぎようのないもの。文脈から外れて生きている私ですが、小さい頃から何をしても叱られたことは殆どなく、自由奔放に生きてきました。ですから私には罪悪感がありません。勿論、人のものを勝手にとってはいけません、とか人を傷つけたり人を殺めたりしてはいけない、位の最低限の罪悪感は持っています。まあ、一応最低限「常識的」ではあると自負しております。無論、自身の事を天才だなど思ったことはありません。凡才(ポンコツ)です(笑)。

話はちょっと書いている私も読んでいる読者の皆さんにもしんどいかも知れませんが、私は身体の病の他に心の病を抱えています。統合失調症です。昔は「分裂病」などと言われ少々おどろおどろしいイメージがありましたが、100人に一人は抱えていると言われている(つまり日本でも100万人以上の患者さんが存在する)それほど珍しい病気ではありませんし、実際、私の病状は(現在は)極めて軽いものです。

映画『ビューティフルマインド』では天才数学者ジョンナッシュの闘病記録が盛り込まれていますが、あれは結構脚色されてい流と思われ、同病仲間でもあれほど酷い病状の患者さんはおりません。しかし、彼が妄想の中でスパイとして暗号とを解く場面はとても共感を持ちました。症状としては「全能感」と申しましょうか、「自分には特別な(天賦の)才能がある」と思い込んでしまうのです。

表題に戻りますが、私は時たま(でもないかな)自分が「神」ではないかと思う時があります。というよりは「聖杯」つまり(あくまで宗教の中のお話ですが)「護られるべきもの」として、「自分は死なない」とまで思ってしまう時があります。また、数々の試練を(大袈裟ですが)潜り抜けて参りましたし、普通なら「神様に感謝」すべき所を「自分には(神様に)護られる理由がある」と思ってしまうのです。

何だか荒唐無稽だし、引かれた方はどうぞ中途退場して下さいね(笑)。更に続きます。思考伝播という症状はコメディ映画『サトラレ』をご覧いただくと非常に分かりやすいと思うのですが、所謂「電波系」なところもあります。私の場合は「世界の中心に自分がいる」というよりも「自分の脳みその中に世界が存在する」と思ってしまう節があるのです。映画で言うと『トゥルーマンショウ』なんか「統合失調症」的な発想で出来ています。

何だか詰まらないし理解不能なお話が続いておりますが、最後に一つだけある映画を挙げておきます。もし視聴可能であればご覧くださいませ。

これは私のために作られた映画だと信じてやまないのです。

そろそろお時間です。
もう終わりにしよう。