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「美しさ」について私が考える時、私の姿は「美しい」のか。

美しさ、それは何処からやって来るのかいつも不思議に思う。カメラのシャッターのように「美しさを捉える審美眼」を持つかのごとく、物事の本質を捉える賢さを持ちたい。

例えば猫は、一見すると愚かしい事はせずに自由気ままで奔放な生活を送っているように見えるが、果たして猫にはストレスになるような悩みや相談事はあるのだろうか? 

思うに、美しさというものは極めて主観であり、一見して客観的に美しさを追い求める事を必要とされる学芸員でさえ、「好き」か「嫌い」か「興味がない」のいずれか何れかの感情はあり、そう言う感情は何らかの形で発露されているように思う。

「もののあはれ」とはよく言ったもので美しさも儚い。蓮の花が朝に開き昼過ぎにはその花弁を閉じてしまうように、時として美しさは虚ろであり、残酷である。様々に理由付けが出来はするが、「人生は美しい」という考えは、結局はその儚さや危うさにあるのではないかと私は思います。

「人生は一瞬の煌めき」

明後日、納骨です。

貴女は永遠に美しい姿のまま私の心に生き続けます。

亡き母に捧ぐ。