コミュスクで得たもの

社会人の前半期は会社という自分が活躍しなければ
生きていけない世界であることを突きつけられた。

希望してきた仕事でなく割り当てられたのは全く違う仕事で
しかもその仕事で周りとのコミュニケーションもうまくいかない、
無力感を感じ続けてきた時期だった。
そのことで生命危機を感じて「どうすれば俺は会社で生き残れるのか?」と考える。

考えた末にコミュニケーションスクールに通った。

1年間通い詰めたが、結局はノウハウマスターにとどまるような感じで終わったように思える。
というのも、新人の頃というのもあいまって
会社の業務を覚えるのに専心していた部分もあった。

会社の業務を覚えないと「自分は生きてはいけない」という恐れが強くあったのも手伝った。

対面での下手くそさは1年目も2年目もそう大差がなく
その違いで言えば「自分が得意な相手をいかに選ぶか」に特化したにとどまる。

行った意味ねーじゃんって言われたらそれまでだが何を得た?

大学の友人のような人間がいないので違うタイプばかりで苦労する。
経験したことのないケースばかりで対処の仕方がわからない。
だからスクールのノウハウが必要と思っていた。
「そもそも根本的に話すことそのものがダメ」だと思っていたからだ。

コミュニケーションが苦しい、たすけてくれの一点張りだったもんでね。

コミュスクで学んできたことが全くの無駄だったのか?と言われるとそうではないと思っている。

第一に、本当の意味で同じ悩みを持つ仲間がいたことは救いになったことだ。
会社の人間がことごとく救いにならないのは明白なので、俺だけ孤立していた。

何度も言うが「俺は1人で闘ってきた」。
会社で協力しながらやるのが当たり前だから
「1人じゃない」「独りよがりだ」というが
そうじゃねーんだよ。
俺の他に悩みを共有できる人間がいなかったからだ。
だから俺は「1人で闘っている」と言っているんだ。

第二に、他人の目線から見て自分のコミュニケーションがどんなものかを見れたことだ。
俺の場合は一対多で話すケースでも一対一で話すような身体の使い方をしていること。
気をつけるようにしてはいるが。

コミュスクの結論として、今でも残っている人脈は「たったひとり」しかいない。
おそらく50人くらいいたグループで、故あって解散したこともあって。
1人だけだ。総合的に判断すると、そこで人脈を獲得しても、
そんなに役に立たなかったと言える。

とはいえ無駄にはならなかったと思っている。
その1人は「仲間」であるのが分かったし
それだけでも行った甲斐は十二分にあったと言える。

特に俺は学生時代にアルバイトをしたことがなかったので
学校や会社以外の世界を知る方法がなかった。
「外の世界を知る」ということができたのは良かった。

第3に人の弱さを知ることができたということだ。

過去の中にも財宝はある。そこで出会ってきた気の合う仲間たちに会えたことだ。
人の数だけ心の弱さがある。あなたはノウハウを集めにいく過程で多くの人と巡り合ってきた。
そのことで「人の心の弱さ」というものに触れてきた。なぜ人は人を頼るのか?
そのロジックに触れるだけでもあなたにとって大きな収穫であり、そして王たるものは臣下を見ねばならない。
心の弱さに触れるというのは、外の世界にでなくては、回り道をしなくては見れないもの。
だからこれは「導かれていた」のだ、とすら思う。

遠回りには違いないが、近道をさせられたつもりでも、結局引き戻される人というのも少なくない。
遠回りはするべくしてするものだし
ゴールへの道がしっかりしたものでなくては何の意味もないんだ。

過去の中にも財宝はある。そこで出会ってきた気の合う仲間たちに会えたことだ。

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