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寒いある日に思い出されること。走馬灯のように蘇る目的

人に使われている限り、ルールの中にいる限り結局は自由を感じないということである。

私はその昔、ゲーム会社に行きたいという理由でIT業界を志望し
そうしてIT業界に殴り込みをかけたが、やりたい仕事は叶いませんでした。

まぁこのエピソードに関しては何かの度にあげていますが
本当に悪いのはこの私です。

今思えば「やりがい」とか気前のいい言葉が撒き散らされているが
最初っから「やりがいのあること」「やりたい仕事」
そんなものはなかったのかもしれないですね。

私が与えられた仕事は「つまらなく」そして「辛い」仕事だった。
私の力量であればこなせたとしても
全く人生のゴールに対しての刺激を感じない。
全く楽しくないんだ。

平日はそんなストレスを溜めるが休日に酒を飲んで全て忘れる、その繰り返し。

だけど酒で消し飛ばせない「違和感」があって
その「違和感」を解消するために「自分探し」とか
実にいろんなセミナーに出てきましたね。

あちこち彷徨い続けた果てに、やがてIT業種を諦めることになった。
何のために高校から理系クラスに通って
大学4年間で情報系を学んできたのか…。

新卒の頃に配属された部署に入った時点で学生時代の志が水の泡だし
まるで大学時代までの努力を否定されたような気分でした。

もし「やりがい」があるとするなら、気の合う仲間たちと仕事すること。

そんなやりがいを見出せない職場でも仲良くなった人はいたが
仲のいいメンバーとも離れ離れになってしまった。

その度に会社という組織に対してフラストレーションを貯める。

ITを辞めて農業をやろう、と画策していたことがありました。
新潟県への移住を当初は考えていたのですが。。

最終的には「諦めた」んですね。

先日関東でも雪が降っていました。
関東ではたまにしか降らないが、雪がすさまじい。

新潟に住もうなんて思ってましたが、関東の寒さでも相当凹むので
現地に住むのはとてもじゃないが難しかったでしょう。

雪国に住んでいる人は偉大だ。。

農業向きのホロスコープじゃないのに農業をやろうとしていた。
小学校の農業体験の時、さつまいも掘るの楽しいなぁと思ったのに。
過去の思い出は言うほどアテにならないってことですね。。

仮に、新潟移住の決断を下してたらどうなってたか?
社会貢献はできるだろうから、それはそれで良かったんじゃないですかね。

自給率上がるでしょうし。

そんな「たられば」を考えても無粋か…。

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