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週5の酒盛り

「会社で生き残るための闘い」を繰り返した時期では、
会社に慣れるまでは本当に地獄と言って差し支えなかった。

いや、学生時代にアルバイトしなかったり
経験値を稼ごうとしなかった私の自業自得ではあるのだが。本末転倒ってやつなんだろうな。

だから新卒入って早々コミュニケーションスクール行く羽目になったんだ。

オレには、ここより下の地獄は無いってくらいに。
「会社で分かり合える人間は誰もいない」と言ったが

スクールの人間は俺の会社の同僚でもなんでもない。
だから会社の人間と嫌でも馴れ合うしかなかった。

新人の時は周りを見る余裕はほとんどないが、
同僚を見るにつれ線引きするようになった。
人間の「仕分けスキル」はかなり上達した。

少しずつ慣れていく中で、「こいつだけは絶対無理」と言う人間と
「この人なら大丈夫」の二分化を俺の中で実践していった。

ITの世界は男性社員が圧倒的に多く、
闘って勝ち取るものという男性社会の原理が色濃い会社だったと記憶している。
いや私が今まで見てきたIT企業なんてどこもそんな感じだった。
そんな世界なので「やるかやられるか」と言う日常。

会社員だった頃の俺は常に殺気立っていたと思う、今もそんな変わらないが。

そんな中でも仲良くしてくださった先輩はいた。
同じ部署の先輩で、同じ大学の先輩後輩繋がりで色々仕事を教えてくださった方がいた。
とてもいい人だった。週に5回その先輩と飲みにいっていた日もあった。
冷静に考えて飲みに行きすぎだろう。
これは若いからこそできた行動力なんだな。

とてもいい人でよくしてもらったが、長くは続かなかった。
その先輩はITでなく別の業種に転向して引っ越すということで
私が2年目を迎える前に退職することになった。

とても悲しかった、いい思い出が多かったので込み上げるものがあった。
会社で居場所を無くしかけていた私を受け入れてくれた人だったし
嫌な先輩から私を守ってくれた人でもあったし

そんないい人が辞めちまうってことで、感極まって仕事中に泣きそうになった。

「この人なら大丈夫」ポジションの人は
俺の人生の中で、常に入れ替わり立ち替わりだった。

心からやりたい仕事でないが、関わる人次第で大きく変わるんだなと。
でなきゃ長続きするわきゃあない。

私が思うにコミュ障という自覚があるんなら、仕分け機能を強化していくしかないと思う。
話しやすい人に話しかけるところから慣らしていくしかない。
私も全員と仲良くやろう取って思ったことがあったけど
それは無理だと気付かされた。だから仕分けるしかないのだ。

ずっと一緒に仕事したいと思っているが、私が選択の自由を奪っちゃいけないんだ。

たとえ彼らが間違った決断をしたとしても、だ。

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