現実と理想の乖離。会社に対する恨み節

引越しまであと何ヶ月、というカウントダウンをして、
2年更新の日が来るたびに「この土地を出て新天地に行き、ブレークスルーを果たす」
と2年おきに目標を立てていたが、その度にそのゴールを叶えられず
何度も更新する羽目になって、愕然としてきた。

あいにくだが何ヶ月我慢しても会社を辞められませんでした、オレは。
それどころか辞めさせてもらえない沼にハマった感じがしてならない。

2年おきにチャレンジをしては会社を辞められず、と悔しい思いをしてきた。

会社における束縛だらけの茶番劇にウンザリしており、
チャンスがあれば即辞めるとずっと考えていた。

現実は甘くない

社畜なんぞやっていると、毎日の電車に乗る予定ばかりが気になり
忙しさのルーティンに飲み込まれ、やがて生きる目的を考えることすら忘れる。
溜まったモンじゃねぇ。

と思っていても、だ。
会社を辞めようなどというのは簡単であるが
会社を辞めて食っていく保証もない。

辞めるにしてもしっかりした計画を立てねば
辞めてから生きるというのは、容易ではない。

『会社を辞めたい』と言って独立しても結局5年も持たずに
元の会社に戻った者たちが、一体どれほどいたのか??

起業塾を2年間見てきたが、やはり現実は厳しい。
会社に頼らず生きていけるなんて、ほんの一握り。
どんなに気に食わなくても会社無くしては生きていけない。

会社でくだらねぇ茶番劇ばっかり繰り広げさせやがって、と思うが
くだらない仕事を毎日真面目にやって
「安定」した生活をしていた方が安心なのである。

「悔しくないのか!?」
「自由になりたくないのか!?」
「プライドを捨て、理不尽なヤツらに媚び諂う生き方に
いったい何の意味があるというのだ!?」

サラリーマンを見ていると反吐が出る。吐き気がする。
フリーランスになる前には
「サラリーマンは給料が安いから自分のことしか考えない」と教わった。

俗っぽい教えであるが、いろんな意味でその通りに思えたので、
なんとも言えない吐き気がした。

満員電車に座っている時もアホづらして寝てやがる。
ただただ怠惰に身を任せ、ルーティンに浸かるだけの日常。
まぁ何も考えてねえんだろうなってのがわかる。
こういう奴らと同じ空気を吸いたくないので
起業塾時代では、ずっと現状の超越を夢見て求めていた。

なかなか帰れねーと思う会社帰り。

目の上のたんこぶな会社をいかにしてなぶり潰してやろうか。

宝くじで1億円を当てたら速攻で辞めてやるのに、
なぜわざわざ”会社”なる忌々しい領域で
好き好んで束縛せねばならぬ??

しかしどんな理不尽でも、人間が生きるにあたって
「金」なるものが必要になる。
理不尽極まりないが、金をエサに理不尽を受け入れざるを得ない。

「もし宝くじで1億円当てたなら」などと言う夢物語を言うのは簡単だが
悪魔の支配せし物質世界は決して甘くない。

そうは言っても、束縛が嫌すぎる。

「写真」

そんなに文句言ってんなら、起業の準備をすれば良い。
まずは自分の写真が必要だ。
良い写真を撮ってもらったりする必要がある。

写真。
別に俺は写真撮られるのが嫌いなのでない。

これでも起業家時代にプロの写真家に撮ってもらったことがある。
その当時は滅多に着ない高いスーツを整えてポーズを決めて撮っていた。

俺からするとそれもブランディングのためにやったこと。

「とっとと会社辞めたい」といっても
「まだその時期でない」と言われたり、
1日でも早く一流にならねばという焦りがあった。

まぁ毎日茶番劇を演じながら
精密精緻かつハイレベルなエネルギーのことに頭が回るか、
と言われたら確実に「NO」だろう。

だとしたら茶番劇を完全に頭から切り離した状態でのチャレンジの方が望ましい。

自分のビルドのことというのは頭を悩ませることばかり。

「自分がどう生きるか」、
こればっかりは学校や会社とか、
それに両親が教えるわけがない、勝手に決めてもらうものでないので
自分の身一つで考えるしかないし、自分に向き合って考えるべき。

ブランディングのために、とやったのは良いのだけど、その高いスーツというのは
普段の業務で着ることは全くなく、
普段は安いスーツでほぼほぼ擦り切れるくらいまで毎日着用していた。

当時はスーツが普段着のようなもので、会社ではスーツが義務付けられていたので、
好き嫌いに関わらずずっとスーツを着込んでいた。

毎日来ているのは安いスーツばかりで、高いスーツを使うのは写真に映るような、
異業種交流会やイベントに行く時くらい。

そんな感じのスーツ運用だったので、ボロボロのスーツを着ているのが常で
良いスーツを着るのは会社終わった後にイベントがある時くらいだった。

つまり、写真を撮ってもらってはいたが完全に「よそ行きの自分」だったのだ。
普段の自分ではない。

いかにもイケている起業家風の自分を描いた写真。
バリバリ、毎日起業活動で活躍している風を描いている。
実際は起業どころか社畜の仕事に押しつぶされて起業もままならず、
なす術なく会社の言いなりになる人生だった。

イケてる自分を演じたかったが、それが出来なかった。
アデプトになってからかになってからか、
その写真がだんだんよそ行きな自分の生き様が目についてしまった。
よそ行きだから成功していないのだろう、と。
やがてその写真は「俺らしくない」と感じるようになったので、全部処分した。

どんなことでも唾を飲んで受け入れ続けるのがなお続く。
そこから抜け出し、真の自己実現に至るまで
いかほどの時間がかかるのか想像もつかない。

総括

真の自由を手に入れるにはとてつもない覚悟が必要。
相当の覚悟が必要というのは、会社員を辞めてフリーランスになる時も
相当頭を抱えた記憶は残っているので。

起業なんて言ったらもっとだろう、周りの反発にも合うだろうし、
自分の基盤を大きく変えるときは大きく悩むもの。

そう考えると「悩まなくて済んでいる」分には幸せなのかもわからない。

「何も変えなくていい」
「同じことをし続けててささやかな幸せさえ感じればいい」
ということに幸を感じないが。

「何かを変えるのを余儀なくされる」としたらどういう気持ちになれるか、
どういう覚悟を持てるか。

「何も考えないで土日祝日をいかに楽しく過ごすかだけ」
これを考えた方が楽だが、そうではあるまい。

答えなき旅が続く。
そうした自問自答を抑えながら日々を過ごしていくー。


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