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思考を停止すな。社畜的日常との戦い

ある年に、知り合いのヒーラーさんに
「あなたの生きる意味ってなんだと思いますか」って
哲学的質問を突きつけられたことがあった。

これはいつだったかな、確か2018年か2019年だったと思う。
「生きる喜びってなんだ」って聞かれても答えられなかった。

その当時はコロナ禍でないので毎日会社に出社していた。
会社に行く日というのはいつにも増して心の余裕がない。
朝早く出ないとならないし、夜も遅くて自分の時間を取れるのが少ないしで。
こうして俺らから時間を奪うことで、社畜精神を植え付けてゆくのだな、
全くよくできた仕組みだと思ったものだ。

喜びも何もあったもんじゃない。
まぁんなこたァ、わかっちゃあいたよ。

邪悪な空気感が充満する満員電車で死にそうになりながら
私は「会社以外の生き方」というのを探していた。

思考停止

満員電車は心の余裕のなさが露わになった空間。
電車が発車しそうになると脇目を振らずダッシュして入ってくるし、
駅員に押し込められてもお構い無しに我が身を犠牲にし、
何が何でも会社に行こうとする。

その熱意を自分自身を知るという探究に使えないもんかね。

満員電車って本当に醜悪な現実を見させられているのに等しい、
この空間はまじで気持ち悪い…
どいつもこいつも、こぞって思考停止していて、
伺い知れるのはその日暮らしのことばかり。

奴隷の人生に満足しきっている空気感が半端なく、
エクソシズムが必要な空間であるのに関わらず、
この空間に当然そんな整備はされていない。

悪いエネルギーばかりでホンマにめまいがして吐きそうになる、
政治家連中は満員電車みて何とかしようと思わねーのかな、

などなど、当時のスマホのメモにはたくさん恨み節が書かれていた。

やはり会社を辞めない限りはいつまで経っても
ここでの戦いを繰り広げることになるんだろうか。

存在意義のない会社が悉く消滅してくれれば良いのだが、
そういうムーブメントになる気配もない。

社会人になってから、時間の大半を会社に費やしている。
好きなことに時間を使えないのも、
会社に縛られる時間が長いからだ。

好きなことができるわけでないが、電車が遅延したり
ぎゅうぎゅう詰めでストレスを溜めながらも、
満員電車の中で色々考えることはあった。

こうやってサラリーマンみたいな思考停止の人生を謳歌していると
離婚とかって別に何も問題じゃないよなと思ったりね。

毎日同じことの繰り返しの生活で何の疑問を持たなかったものを
ようやく思考ができるようになって、
自分の人生を生き切ろうと思えるんだから。

こうやって少しでも思考停止の沼から抜け出せるのが良い人生かもしれない。

会社を辞めるための戦い

俺は満員電車で頭が痛く、吐きそうなのを堪えていた。
どいつもこいつも思考停止したゾンビばかり。
こいつらに冷水ぶっかけてやりたい。電車内に充満する負のオーラがヤバすぎる。
これでなんも感じない方が熱中症で頭やられちまったんじゃないかってくらい頭おかしい。
通勤にとられる時間が明らかに無駄だ。

こういう日々に歯噛みしながら
生活のために耐えて凌ぐというのが辛いからこそ、
「会社を辞めるための闘い」に身を投じたのだ。

そして会社のビルにたどり着いて、多くの人間がビルに行くその姿を見て
夢も希望もない奴隷がビルに群がっているようにしか見えなかった。
俺は疲れてしまったのか、頭が痛くてたつに及ばず、
会社を前にしてうずくまってしまった。

何でこんな人前でなんとも情けない姿を晒してしまったんだ、オレは。

ついにオレは通りがかりの人に心配されてしまった。
ご心配おかけしました。

頭痛いし吐きそうなのに変わりはなかったが
帰るくらいの体力はなんとかある。
しかし本当に満員電車は行きも帰りもマジにしんどい。

枠組みにとらわれると本当に自分を失ってしまう。
毎日何も考えずに同じスーツばかりで
ファッションについてなんも考えられる余力もない。

言われたこと「だけ」キッチリやるのがサラリーマン思考と言うのは起業家時代に教わった。
誰かに支配された、言いなりなってる状態で、
こんな中でも「やりがい」とかって言えんのか?笑わせてくれる。

こういう生活をしているのが悔しいからこそ」
会社を辞めるための戦いを日々繰り広げている。

自分の本質と向き合わなくて良いところ、
生活が安定するところは確かにいいところだろうが
思考を進めない限り本質を生きない限りは先には進めない。

総括

満員電車に乗る多くのサラリーマンは、日々の生活のために満員電車に乗る。
とっても言い方は悪いが、日々の電車は
守銭奴がたくさん乗っているという感じであろう。

「金のためじゃない」と心底から言える人生がいかほど素晴らしいか。

金は自然発生しているものじゃないのに、
いつまでも金に振り回され、満員電車に揺られ、
社畜として酷使される生活をよしとすることになる。

金は宇宙から持ってきたものじゃない。

「誰かのために」「金じゃない」そういえる生き方、
宇宙の意志に沿った生き方ができるようになれるとしたら
それ以外、いらないのでないだろうか。

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