祝・さよならFacebook6周年記念。

さよならFacebookしてから6年が経った。
アデプトになってから6年が経過したとも言える。

奴隷を辞めたいと思って悪戦苦闘を続けてきた。
来たのだけど、それが叶わずここまできた。
いろんなものを捨ててここまできた。

主に人間関係が多かったか。500人近くはいた。

「いた」というだけで心からのつながりを持てたわけじゃなかった。

500人いて、この6年でどれだけ残ったのか。

後々再会した人もいるが、大半は消え去った。

結論で言えば、500人「友達」がいて誰も本当の「友達」でなかったのである。

500人いて、確かに私を気にかけてくれた人はいたが
Facebookやめてから、もうそれっきりである。

私の人間関係を振り返って思うが、もう過去には戻れないということ。
私を気にかけてくれた元同僚であったり、

あるいは微魔女軍団だったり。思うところあんだけど。

なぜ500人いて、誰も残らなかったのか?

私のことでなく、私の財布の中を見ていたのだと思う。私もそれは同様で。

金の切れ目が縁の切れ目、というのが理由であろう。

いまさら気前よく戻りに行ったところで元に戻ることはないだろうな。

500人友達を作って、結果が出ない。
結果が出ないからアデプトを受けたり、アダムカドモンになったり
或いはキンソロを受けた。

色々エネルギーを注入することで、自分が一皮も二皮も剥けていったんだと思う。

本質的な原因で言えば、エネルギーの違いが生じて、しまったんだろう。
500人いて、誰一人として残らなかったのは、予想外だが。

さよならFacebookすることで大きなエネルギーの手放しが起きた。
頼りにしていた元同僚についても縁がなくなったし。色々頼りになる情報源でもあったが、
同時に変なエネルギーが流れているなと感じる部分もあった。
ここから先は自分で作るしかないんだと。

500人お世話になった人がいて、それでもなお切り捨てるとはどういう神経なのか、

というところだよな、普通の観点からすると。

俺は普通じゃねーからやるんだが。

繰り返すが500人いて、一応今に至るまで残った人はいるが
大体が離れてそれっきりである。

仲良かった朝活仲間や起業塾の同期など、ことごとく会う機会を失した。

さよならインスタグラムもやるんだろうか?それはわからない。
かつての500人いて誰も残らなかった時のようなエネルギーであれば

再来もあるであろう。


もしSNSをやめることになったら、誰が残るんだろう?

それでも残るなら本当に「友達」と言えるだろうー。

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