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父の日

はじめに プレゼントを渡さなかった男の心境の変化

さて、もうすぐ父の日である。
私が父の日、母の日を意識し出したのは
ほんの3年も前のことである。
2021年になって初めて母の日プレゼントというやつを渡したのである。

こう言っちゃあなんだが、この私が「普通」の育ち方をしていれば
父の日、母の日にプレゼントを差し出すのは「常識」なのであろう。
その流れを「企業が作ったムーブメントに乗りたくねぇ」と私は逆らっていたわけだから
まぁムーブメントに乗らないそのこと自体異常、と言えるのかもしれん。

しかしあるときから、自分の父母とまともに父の日母の日過ごせるのが
後何年あるんだろう?両親がまともな時にそれができるのがいつまで?
そう思うとやらざるを得ない、と思って意識し出したのが
3年前の2021年のことだった。

ステップ的にはちょうどヒーラーに行き始めたあたりのことであった。

「人を喜ばすのが大事」というのは起業塾時代にも散々教わったことだが
私はそれができておらず、自分が生き残ることで精一杯だった。
そんな私が初めて他人のことを気に掛けたという意味で
ヒーラーになった年は思い出深い。

母の日って明らかにヒーラーになる前のことだから、
そこに至るまでの心境の変化もあったんだろう。

ヒーラーというのはよく考えてみれば他者に対しての献身が必要なので
タイミングといえばタイミングだったんだろう。

そのことをシェアしていきたいと思う。

なんで私はプレゼントをあげるようになったのか

そう思うようになったきっかけとして、
すでに故人である父型の祖母の存在があった。

生前によく可愛がってもらったのだが、そのことに対して孝行ができなかった。

祖母が亡くなった当時は起業塾に通っていたのだが
その当時の思考として
「私が起業で月商7桁稼げて、たくさん稼げた金で孝行する、それまでは起業に集中する」
という邪悪極まりないスタンスであった。

そうして右往左往している間に祖母の訃報を私は聞かされた。

「そう思うなら今やれ」ということに気付かされたわけだ。

「祖母にできなかった分、他の人に孝行したい。
生の時間が限られているのならば、後悔する前にやりたい」

そのことが私に、人生初めての母の日プレゼントを買うという行動を起こさせた。
もうあの時の二の舞を繰り返してはならんのだと。

同世代に比肩して遅れていた思いやりの心

私はテレビとか見ないし、とことん世間のムーブメントに乗らない男である。

他人どころか両親と歩調を合わせないで歩くのが私の常だったので
いつも私の周りには誰もいない。
常日頃から、私は唯我独尊状態だったわけだ。

ある時、同世代とのギャップに気付かされたことがあった。

それは起業家時代の当時、同年代のビジネス活動家の友人たちと会食に行った時だった。
ちょうどその時母の日のあたりだったので

「母の日プレゼント」のことが話題に上がっていた。

友人は自分の恋人とプレゼントを相談して選んだといっていた。
「母の日プレゼント」の話が私に振られたんだけど、
私は答えが出なかった。

なんせ人生で一度も母の日にプレゼントなんてしたことがないからだ。

私の両親やその親族は、何かにつけて
「いいよいいよ」といって他人からものをもらいたがらない人間ばかりだった。

いや、それだけじゃないだろう。私がくれてやらなかったのは。
何をすれば人を喜ぶとかそういうところまで
思慮が足りていなかったのだ。

私は母の日とかっていうのは所詮企業が作り上げた戦略に過ぎんと思っていたから
ずっとシカトをしていた。

母の日プレゼントでなんとかしてやろうって気持ちが私にはよくわからなかった。
母の日のプレゼントの話を流暢にする友人と私の間に
埋めようのない「ギャップ」「コンプレックス」

そう言ったものがあった。

総括・人を喜ばすことの大事さ

人に喜びを見出し、もたらしたか、というのはヒーラーの時にも言われること。

私は他人とコミュニケーションする機能が人より遅れて成長するのもあって
私はそういうのを理解するのが人一倍遅いのだ。

思慮が足りねぇよなぁと思うことも何度もあったが
持って生まれたもんでどうにもならないもんだと思ってた。

私が、昔の私にアドバイスできるとしたらどういうことがあるか。
「大切に思ってるならプレゼントくらい気前よくくれてやれ」
ってところか。

失ってから気づくんじゃ遅いんでね。
人間は大事なものをいつも失って初めて気づく。それじゃあ遅いんだ。
そうなる前に人を喜ばすことの大事さを知ってほしい。

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