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真に怖いのは何においても他人事になってしまうことかもしれない

ある時チャネリングで下されたお告げの話。
「波が揺れる海を見ている灯台にあなたがいる。
いつどこで津波が起きるか見守っているのがあなただ。
今は問題ないが、いずれ大きな波がやってくる。
それを見極めてノアの方舟に人々を乗せるのだ。」

と。

なんのことだかわからないが、
このところ2024年初頭に地震が起きたりで
なんとなく言われたその意味を察することができた。

「私が見た未来」

まぁXデーに関して言えば諸説あって
世間で割と有名なのが
「2025年7月5日」。

まゆつば話にも思えるだろうが
天王星が移動する2日前なのでまんざらでもないと思っている。
確か311の時もそうだったはずだ。

2025年に虹を描けるように
年内かけて事実の究明に尽力したいと思っているが

なかなかこの解析だけに集中できずにいる。
あれだけ危機感を感じたのに、もう忘れてしまったのだろうか?

311の時にあれだけ日常を崩される思いをしたのに。

何かあってから気づく、
「もうちょっと早くやれなかったのか?」と。

別に誰かに早くやれと強要されているわけじゃないだろうが。
「それがベストエフォートだった」というけど僕はそう思ってない。

思うのは「動かないで後悔したくない」こと。

本当に怖いのは大災害なんかよりも
「悪魔」のような奴らがいて

本当は自分ごとで捉えるべきことを
あたかも対岸の火事の気持ちにさせられる、
ということかもしれない。

東京の満員電車見ればそれが如実で
毎日同じような日々が同じようにループされる。

そうした日々の繰り返しで
「誰かの人生のゴール」をあたかも
「自分の人生のゴール」であるかのように勘違いするようになってしまう。

「悪魔」「塔」におけるサターンリターンで容赦無くブチ壊されるまでが様式美だ。

「自分の人生のゴール」じゃないのだもの。
壊されて当然だ。

跡形もなく壊されて初めて、
「自分の人生のゴール」に向けての旅路が始まる。
「希望」というのは「自分の人生のゴール」を探すことをいう。

「悪魔」の誘惑に打ち勝って
自分のゴールに向かい続けていくことが、本当に大事なことなんだろう。


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