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句養物語 流れ星篇 第7話

【7】


二人が降り立ったのは、だだっ広い野原のようなところで、オッサンも言っていたように、いわゆる何もないところだった。暗くてハッキリとは分からないが、野原の先には湖らしき水面も見えていて、チカチカと瞬く星々が映り込んでいるようだった。


もうすぐ、夜が明ける。太郎は、その前にこの「契約」を満了するための「儀式」をする必要があった。その為に、彼はこの場所を選んだのだ。

昨今のアンドロイドは大変機能性に優れている。顧客のニーズに対して細部まで忠実に再現され、高い満足度を維持している。アンドロイドの高い知能は、人間そのものを脅かしかねないということが分かっていたため、アンドロイドの個体使用期間は、一定期間に制限されていた。出始めの頃は素材の問題で環境問題に大きな影響を及ぼしたので、現在は改良されバイオマス原料を主としていて、契約満了の儀式が終了すると、製品は自然に還るように設計されている。

太郎が明美というアンドロイドにしていたオーダーは、3つである。

①一年契約

②自分を愛してくれる

③自分の趣味には干渉しない

ただし、③についてはメーカー側から、詳細な説明を求められた。太郎は自分が俳句を趣味にしていること、そしてそれを一人で楽しんでいること、その為の時間だけは奪わないで欲しいから、干渉しないで欲しいとの旨を伝えた。そして最後に、「いっそ俳句を嫌いな設定で」と追記したのだった。

そして、明美はその通りの存在でいてくれた。太郎はその事に感謝していたが、もちろん明美は自分にそんなオーダーがかけられていたとは、知る由もないのである。


二人は何もない野原で向き合って立ち、お互いの顔を見つめあっていた。明美が先に口を開いた。

「ねえ、本当にこれで終わりなの?」

真っ直ぐな目で明美は言った。その目には既に涙が浮かんでいた。

「うん。もう夜明けが近いから。契約は契約だよ。」

太郎の答えはあまりにドライなものだったので、明美は思わず叫んだ。

「なんであんたはそうなのよ!こんな形で終わって満足なの?私がアンドロイドだからって、どうなってもいいわけ!?」

明美の言葉はもはや、人間から発せられたものとしか思えないものだった。この身体も、心も、顔の表情も、声質に至るまで、全てがプログラムによるものだと、誰が信じられるだろうか。しかし、太郎は分かっていたのだ。アンドロイドを人として認識してしまうと、結果として自分自身を苦しめることになるのだ、と。

「私は俳句なんて…!」

明美が何か言おうとしたが、太郎はその先を聞いてはいけないと直感的に感じた。

太郎は両手で明美をグッと抱き寄せて、力いっぱいに抱きしめた。そして、すぐに顔を起こして、両手で明美の頭を挟むように支えながら、最後の言葉を遮るようにキスをした。

明美は、自分の身体の中にある熱という熱の全てが、身体中を這いずり回るのを感じずにはいられなかった。太郎の唇から流れ込んでくる熱はもちろん、自らの心に植え付けられた得体の知れぬ「熱」が、彼女の体内を支配していた。それは「愛」への昂りなのかもしれなかったが、自分の時間が終わろうとしている事に対する「畏怖」なのかもしれなかった。

太郎は唇で唇を塞いだまま、右手を彼女の後頭部へ運んだ。そこには小さな窪みがあって、太郎はそこに指をひっかけると、ハッチを開けた。中にはボタンがひとつあって、太郎の指によって、それは長押しされた。永遠のように長いほんの数秒で、明美の身体を自然へと回帰させるシステムが作動した。

明美の機能はシャットダウンされ、身体からは力が抜けて、手足がだらんと力なく垂れた。太郎は明美から唇を離して、さっきまで明美だった物質を見つめた。それは、まだ明美の形をしていたが、立っているというより、浮いているようにも見えた。爪先から徐々に自然への回帰が始まっていたからだ。消えゆく足元に、俳句石がひとつ転がって来た。


『接吻を真二つに裂き星流る』

(恵勇)


二人の最後のキスは、星が流れるようにあっという間に終わった。二人が唇を重ねたその瞬間に、2つの「願い」は1つになり、そしてすぐに、それぞれの「願い」へと分かれていったのだ。


ゆっくりと、しかし確実に、自然への回帰が進んでいく。

足元から順に、下半身が徐々に薄れていく。膝の辺りまで足が消えた時、関節のあたりからポトリとひとつ、石が落ちた。明美の身体から生まれたその石にも、句が記されている。


『椅子ふたつ据えて湖畔の流れ星』

(野地垂木)


本当はまだ、おしゃべりしていたかった。

話したい事はまだまだあったのに。この一年間は、一晩で振り返れるほど短いものじゃない。この夜の出来事となると、尚更に。一晩で、私は大きく心を動かされた。それはきっとあなたのせいだけど、同時に私の意思でもあった。最後にこの「愛」について話したかった。でも、それは叶わなかったみたい。この椅子に座れないままの私達を、あっという間に星が通り過ぎていく。

明美の声を代弁するかのように、石はこの運命を受け入れつつも、少し悔しがっているようにも見えた。

太郎の目の前で、明美は時を遡るように自然へと還っていく。回帰が腹部の辺りまで上がってくると、身体から分解された粒子はキラキラと輝き、またひとつ、石を生み出した。


『終焉や意地の煌めき流れ星』

(ノアノア)


もうそこにはいないはずの、明美の心の声がこだまする。

私はアンドロイドであって、人間ではない。だけど、最後まで「女性」であり続けた。あなたに好かれたくて、あなたと同じものを好きになろうと努力した。それなのに、あなたは私を見てはくれなかった。だから私は最後まで輝く。夜空に瞬く星のように、この恋心は輝き続ける。あなたが、私の「好き」に目を向けてくれるまで。


彼女の身体は、心は、なおも輝きながら分解されてゆく。もう、胸から下は何も残っていない。さっきまで抱き寄せていた肩も今にも消えてなくなりそうだ。その肩の辺りから、石がまたひとつ、転げてきた。


『だぶだぶのシャツの匂ひや流れ星』

(里すみか)


雨の日、あなたが貸してくれたシャツは、私には大きすぎた。だけど、その時香っていたあなたの匂いは、もう見つけることはできない。記憶の中でどんなに繰り返し再生させても、本当に香ることはない。せめてもう一度、あのシャツに袖を通せないのかしら。


そうしてついに、明美の残骸は、顔の部分を残すのみとなっていた。その顔も、目の前で静かに、静かに消えようとしている。彼女の口だったところから、石がポロっと落ちてきて、まるで語りかけるように、太郎の掌を転げた。


『三万年後迎えに来てね流れ星』

(嶋村らぴ)


彼女は、現世で叶わぬ恋の続きを、遥か未来の自分に託したのだ。遠い遠い未来に、人間やアンドロイドはどのように存在しているのか、誰にも予想はできないだろう。しかし、明美はアンドロイドなりに理解していた。人間が愛と呼ぶものの普遍性を。恒久の時を経てたとしても、待ち続ける価値がそこにはあるのだと。


太郎は一連の流れを唯々立ち尽くしながら、眺めていることしかできなかった。俳句が嫌いなはずの彼女の、その想いの全てが575で綴られていることが、自分への偽りなき「愛」の証に感じられた。

彼女の顔も残すところ上半分だけになり、耳のところから、石が転げてきた。太郎は手でそれを受けると、目で句を読み上げた。


『流れ星いっそなかった事にして』

(明美)


太郎の目から、遂に涙が溢れた。

明美はもうすぐ完全にいなくなる。その時、この愛は「なかった」事になるだろうか。そうなったとして、余りにも切ないその願いは、叶えられたと言えるのだろうか。


そして明美は、眼だけになった。その眼も、すぐに眼ではなくなり、石に変わった。その石は今までの石と明らかに異なり、半透明の水晶のような材質だった。太郎は中を覗き込んでみると、文字が書いていない代わりに、自分の顔が映っているのだと分かった。石は静かに光っている。まるで、あなたの返事を聞かせて、と言わんばかりに。

太郎は最後の石を握り締めると、それを自分のおでこに当てながら、明美の「俳句」への返事を呟いた。半透明だった石は、透明度を下げていき、太郎の言葉を俳句としてその身に宿した。


『飛べ飛べ星よ一筆書きの愛よ』

(太郎)





最終話それでも星は流れゆく

https://note.com/starducks/n/ne907d61e0f6e


それとも第6話を振り返る

https://note.com/starducks/n/n9d115a6ec097

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