見出し画像

句養物語 花野篇⑤

この遊園地には、いくつか特徴がある。まず、看板アトラクションと言っても過言ではない、巨大な観覧車「後光」を中央に配しており、それはかなり遠くからでも見ることができたが、そこから眺められる絶景は、なかなか他に代えがたいものであったので、多くの人が訪れる大人気スポットとなっていた。そして、そこから遊園地を一望する事ができたのだが、かなりの敷地面積を誇っているため、その広さたるや敷地内の全てを踏破するのが困難なくらいであった。故に、各アトラクションへの道標として、案内役のモアイ像が随所に配置されていた。なぜモアイなのかは、誰にも分からないが、大方オーナーの趣味なのだろう。そして、これもその趣味の類なのかもしれなかったのだが、遊園地の外れに小さなお花屋さんがあった。遊園地で花を買うのは珍しい風習と言えるが、どういうわけか、この花屋で花を買って、観覧車のてっぺんで愛を誓うのがトレンドになっていたのだった。しかもこの花屋さんで働くスタッフが、その流れを汲んで、趣味で作っていた蝶のブローチを花束の下にくくり付けて販売するサービスを始めたところ、これが当たって、この花屋は敷地内でも上位の売上を誇る優良店舗となっていた。店はこのサービスを継続するために量産体制を敷いて、従業員を増員、花とブローチを湯水のように売り捌いていった。ただ、これはどうしても仕方のないことであるが、例えその通りの段取りを踏んだところで、愛の告白は必ずしも100%成功するとは限らない。販売される花の数が増えれば増えるほど、破れた恋の残骸も多くなっていった。その多くは道端に置かれていたり、モアイ像に立て掛けられたりしていて、一見すると献花のようにも見えたのだった。蝶のブローチは良くできたものだったので、花より捨てる人は少なかったが、それでもやはり叶わなかった恋の象徴として、敷地内に花と共に置いて帰る人も一定数存在していた。そんなわけで、清掃員が片付けても片付けても、敷地内には至るところに常に花や蝶が置かれていたから、若者たちの間では、この遊園地を「花野」と称する者も多かった。

明美は、この遊園地の一角にある花屋で、アルバイトをしている。何を隠そう、彼女こそが、花に蝶のブローチを付けるアイデアの発案者である。花と蝶で作り上げられた恋の物語が、多くの人に受け入れられた事は彼女にとって何より幸せな事であった。破れていった数々の恋についても、当初は自責の念に駆られる事も多かったが、それも年月を重ねる事で徐々に赦されていったのだった。決定的に踏ん切りがついたのは、あるお客の言葉がきっかけだ。何度か来たことのある男性が、明美の心中を慮って、こんな事を言ったのだ。

『コスモスに吹く風君のせいじゃない』

明美はあっけに取られてしまった。その日、店先にはコスモスを飾っていたのだが、お客はそれを引き合いにして、「俳句」を詠んでくれたのだった。明美はそんな事をされたのが初めてで、ビックリしてしまった。男性は持っていた小さめの色紙に筆ペンのようなものでサラッと書き留めて、それをプレゼントしてくれたのだ。

男性の名は「太郎」。無類の俳句好きだ。何度かこの遊園地に来ているうちに、明美とこの花や蝶との関係性を悟り、気を利かせて俳句を贈ったということらしい。二人はこの事がきっかけで、親密な仲になり、やがて付き合うようになっていくのだった。

明美は花屋で働いているが、太郎と会うときは早番の日と決めていた。仕事終わりに太郎が店へ迎えに来て、そのまま遊園地をデートする事ができたからだ。その日も夕方から店先で待ち合わせた二人は、いつものように園内を並んで歩いていた。お互いによく知った場所とは言え、とにかく敷地が広いので、どこへ行くにも時間がかかってしまう。その日は二人が出会ってちょうど三年の記念日だったので、大観覧車「後光」に乗ろうと決めていた。それは確かに記念日ではあったが、三年という歳月は、二人の間に若干ではあるが溝のようなものを作り上げていた。つまり、良いところも悪いところも、そろそろ身に沁みて分かる頃合いだという事だ。特に二人の間の最大の温度差は、太郎の俳句熱があまりに高すぎることだった。明美はその事に理解を示していたものの、自分自身は俳句をやらないものだから、際限なくその話ばかりされると面白くはなかったし、太郎がその情熱と同じ熱量を自分へ注いでくれているようには思えなかった。しかし、だからと言って明美の心が太郎から離れる事はなかった。なぜなら太郎の熱量の対象が俳句だとしても、一心に没頭している彼の姿に惹かれていたのも事実だからだ。太郎はといえば、明美のそんな気持ちに勘づくはずもなく、自分の「好き」ばかりにのめり込んでいく悪い癖があった。だからその日も、彼は記念日であるという事を早々に忘れて、形としてはデートを楽しんでいるものの、実際には俳句のタネを探すのに夢中になっていたのだ。それはまるで、デートとは名ばかりの「吟行」の様相を呈していたのだった。少なくとも明美には、そう見えていた。

この遊園地では、そのあまりの広さゆえ、毎日迷子のお知らせが響いているような状況で、二人にとっては聴きなれたアナウンスだったが、この日は同じ子供と思われる捜索願いが繰り返し流れていた。

「ずっと言ってるわね。見つからないのかしら。確か高知県から来たっていう子でしょ。もう覚えちゃった。。」

「高知県…高知かぁ。よさこい…よさこい……。よさこいの城は…」

「ちょっと、俳句にしないでよ?」

「あぁ、ごめん…」

明美に諭されるようにして、太郎は自重したが、彼はこんな調子で何でもすぐに俳句へ紐づけようとする癖があったのだ。逆に明美には、特にこれと言った趣味があるわけではなかったが、花屋で働いているからか、花の知識だけは太郎も及ばなかった。彼は元々花の句を苦手としていたのだが、花に詳しい明美と親しくなった事がきっかけで、花の句を詠むようになったし、野花に対しての関心度も上がっていったのだった。明美は彼が花に詳しくなっていく事を内心とても喜んでいた。自分と同じ温度で、彼が花に対して向き合ってくれる事が嬉しかった。しかしそれは同時に、自分も彼の好きなものと向き合うべきなのではないか、という自問を繰り返す事になるのだった。明美はどうしても俳句が好きになれなかった。嫌いというより、苦手と言うべきものかもしれない。なんだかちょっと小難しい印象があったし、何より、彼女の中には大きな嫉妬があるのだった。自分は花への愛情よりも、彼への愛情が強いと思っているのに、彼は自分に対して、俳句と同じ熱量の愛を注いでくれているように思えなかった。それゆえ、明美は自分の事を添え物のように捉えてしまう節があるのだった。明美は太郎の俳句的な好奇心に応える形で、花の名前を教えていたわけだが、太郎が一つ花を新しく知る度に、なんだか心が遠ざかってしまうような気がしてならなかった。

明美の心にはいつもこの問題が鎮座していたから、気づかないうちに考え込んでしまうこともしばしばだった。彼女が黙っている時は、決まって太郎も無言だった。しかし太郎が無言なのは、単に俳句のタネ探しに夢中だからであり、明美はその事もよく分かっていたから、悩ましいだけでなくて、退屈な時間を過ごすことになるのだった。そして彼女はやりきれなくなると、欠伸とも溜息とも深呼吸とも取れるような息をついて、心の空気を入れ替える努力をしていた。今日だって3周年の記念日のはずなのに、もう3回も心の空気を入れ替えているのだ。

ふと太郎の方を見ると、至る所に置かれた蝶のブローチを見つけては、本物の蝶を指すような素振りで、人差し指をくるくる回している。全く私の気持ちも知らないでのんきなものだ…と内心思っている明美だったが、それを口に出す事はしなかった。

遊園地には実に多彩なアトラクションがあったが、そのラインナップは極めてオーソドックスで、ベーシックなものばかりだった。コーヒーカップやメリーゴーラウンドなどの乗り物からは、楽し気なメロディや歌が流れてきていて、その至る所に恋の破れた証である花が置いてあるような状況だった。暮れ始めていた空が、遊園地全体をオレンジ色に染めつつあり、辺りに響く歌や曲が、少し哀愁を帯びてきていた。まるで、置かれた花や蝶が歌っているかのようにさえ感じられた。

二人はやがて大観覧車「後光」の乗り口に辿り着いた。告白スポットとして名を馳せていたこともあって、カップルたちの行列ができていたが、太郎と明美のすぐ前には、小さな少年が一人で並んでいた。すぐそばにある水のアトラクションで遊んできたのだろうか、服に白い泡がついたままだった。少年は一つ前のゴンドラに一人で乗り込み、太郎たちはその次のゴンドラに二人で乗り込んだ。秋の夕焼けがさらに赤みを帯びて、少し不気味なくらいな色合いになっていたが、二人はここへ来てやっと恋人らしい時間を過ごすことができていた。二人には、ここで行う恒例の儀式があって、今年もそれを行う時が来たのだ。

「懐かしいわね。あれからもう一年経つの?」

「そうだね。今年は上手く行くといいけど。」

「どうかしら。去年のは、どんなだっけ?」

明美が太郎に聞いたのは、太郎が趣味の「俳句」で愛の告白をするというイベントなのだった。去年も二人はここでそれを行っていたのだ。もちろん太郎はそれを覚えていた。

『秋蝶の詩は君いろ夕花野』


「ああ、そんなのだったわね。」

「はい。凡人査定でした~」

太郎はおどけて笑って見せた。

「だってこれ、季重なりじゃない。私でも分かるわよ。」

「仕方ないだろ、明美がやってきたことを考えれば、秋蝶も花野も外せなかったんだよ。」

「私の中では、最初に読んでくれたコスモスの句を超えるものはないわ。」

明美のその言葉に偽りはなかったが、太郎にとっては俳句に対して自分の成長を見出したい気持ちがあるから、最新の句を褒めて欲しいという思いが強くあるのだった。

「それじゃ、今年の愛の句をどうぞ。」

明美に勧められて、太郎は渾身の愛の一句を披露した。

『愛よりも花野なら秋蝶を抱け』


「へぇ~、不思議な語順でよく分からないけど、まぁまぁなんじゃない?」

明美は俳句の良し悪しが分からないから、言葉そのものを正面から受け止めていた。

「今年も季重なりです!しかも、分かりますか、この技法!」

「…何?」

「花野の擬人化です!!そして、557の破調です!!!」

明美は苦笑いを浮かべるしかなかった。俳句の詳しい方法論などどうでも良かった。彼が紡いでくれた17音は、自分への想いに他ならなかった。今年は去年よりも、それが強く伝わってきたのだ。

「う~ん、才能アリ…かな!?」

「やった!!」

太郎は思わず明美に抱きついた。もちろん明美も嬉しかったが、太郎の喜びの根幹が、「愛」にあるのか、「俳句」にあるのか、そこは定かでなかった。明美がそんな悩みをこっそり抱いているうちに、太郎はそのまま唇を重ねてきた。夕焼けの赤がゴンドラを包んで、二人の影が一つになった。


句養物語 花野篇⑥

https://note.com/starducks/n/n9920487bd016

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?