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句養物語 花野篇⑥

観覧車の頂上付近にある一台のゴンドラが、日没の深い赤と、二人の愛らしきものに染まろうとしていた。


まさに、その時である。


ドーンという大きな音が遠くから聞こえた。二人は咄嗟に重ねた唇を離して、辺りを見回した。どこからその音がしたのか、すぐには分からなかったが、悪いことに次の轟音はすぐそばで響いた。大きな地鳴りがして、白煙が上がる。そしてすぐに、もう一度同じような音が続いた。二人は何が起きたのか、すぐには判断できなかったが、大きな地震か、あるいは戦争でも起きたのかというくらい、尋常ではない音と地響きが続いた。そして間もなく、二人の目に俄かには信じがたい光景が飛び込んできた。

空から何か降ってきているのだ。もしかしたらミサイルかもしれないと、太郎は思ったが、どうやらそれは「火球」のようなものらしかった。しかも一つや二つではなく、いくつも、つまり流星群のように辺りへ降り注いでいたのである。二人は突然の事に理解が追い付かなかったが、それが人災ではなく、天災の一種であることは分かりつつあった。観覧車のゴンドラは、この時点ではある意味で安全かもしれなかったが、逃げ場がないという意味では危険だった。そして、遊園地の現状を一望できるがゆえに、二人は事態の恐ろしさをまざまざと思い知らされることになり、恐怖心に苛まれていくのだった。

この流星群のようなものが、今地球にどの程度落ちてきているのかは定かでなかったが、とりあえず二人から見える範囲内では、短時間の間に断続的に多数、降り注いできている事は確かだった。その内、各地で火が上がり始め、遠くからサイレンが聞こえ始めた。二人は何も言葉を発することはできず、ただゴンドラと言う密室で身を寄せ合っていることしかできなかった。辺りの火災が徐々に広がり始め、地上からは人々の悲鳴が聞こえた。

次の瞬間、一際大きな轟音が響いたと思うと、ゴンドラが大きく揺れた。どうやら、火球の一つがこの観覧車の根元を直撃したらしい。観覧車はバランスを崩し、傾きを増していくのが分かった。このままでは落下する…二人はその恐怖に駆られていた。そして実際に観覧車はその形を保つ事が難しくなりつつあった。下の方から徐々に崩れていき、すでにゴンドラのいくつかは地上に転がり出されるような状態だった。二人のゴンドラはかなり高い所にあったが、観覧車がゆっくりと順番に崩れていったので、崩れた分だけ高度が少しづつ下がってきてはいた。しかしもちろん外へ出て飛び降りたのでは助からないような高度である事に変わりはなかった。さらに悪いことに、火球に由来すると思われる火の手が所々にあり、外に出て鉄の支柱などを伝って降りるのも危険を伴う手段に思えた。

二人にできるのは、助かると信じる事だけだった。地上からは子供の名を叫ぶ親の声も聞こえている。明美の頭にふと、一つ前のゴンドラに少年が一人で乗っていた記憶が蘇った。もちろん彼の心配などしている余裕はないのだが、すぐ下のゴンドラは死角になっていて、様子を伺い知ることはできない。しかし、次の瞬間、そのゴンドラのあたりから声が聞こえた。大人の男性の声で、子供の安否確認をしている様子だ。太郎と明美は消防士がはしごで救助に来てくれたと思い、心に一筋の光明が差した。そして、死角になったゴンドラから聞こえてくるやり取りに耳を澄ませた。

「いいか、少年!今からこの鉄柵を伝って、あの辺りまでなんとかして移動するぞ。その真下にマットがあるんだ。ボクはそこまで一緒に行ってあげるから、君はそこから飛び降りろ!」

二人は救助が来た事に喜びを覚えていたものの、その内容は思っていたほど安心できるものとは言えなかった。飛び降りる…とは言うものの、それがどの程度の高度からなのか、二人からは見えなかったからだ。だが、「ボク」と言った男性がすぐ下にいる少年を誘導し、救助しようとしているのは間違いなかった。順番で言えば、次は二人のいるゴンドラの所へ来てくれることだろう。二人はその可能性に賭けるしかなかった。

その男性が少年を誘導し、再び二人のいるゴンドラまで上がってくるまでの時間は、とてもとても長い時間のように思えた。その間に世界の全てが終わってしまうのではないかと思われるほどに。しかし、その長い沈黙を蹴破るように、ゴンドラのドアはこじ開けられた。初めて会う体格の良い元格闘家のような中年の男性が、二人に話しかけてきた。いや、正確には、太郎に向けてだった。

「にーちゃん、お待たせっ!」

「…え?」

「悪いんだけど、ねーちゃんの方から先に降ろすから。」

「…あ、は、はい…」

二人は事態が呑み込めなかったが、その男性は太郎と面識があるような話し方をしていた。こんな状況下にありながらも、気持ちを落ち着けようとしてくれているのか、男性は太郎に向って信じられない一言を投げかけた。

「どうだった?…愛の俳句は。」

「…!!」

二人は呆気に取られて黙り込んでしまったが、太郎はすぐに何かを悟ったようだった。

「あなた、もしかして…!?」

「そのもしかして、かもね~。種明かしは、みんな助かってから、安全な場所でやろう!まずはねーちゃん、ボクについてきて。一人ずつ誘導するよ。勇気振り絞って、マットに飛び降りてもらうからね!」

「…は、はい!!」

明美はもう、その通りにするしかないと腹をくくって答えた。

「大丈夫だよ、さっきすぐ下の少年も飛び降りたけど、無事だったから。」

「あ、彼女を宜しくお願いします!!」

「おう、にーちゃん、あと少しだけ待っててな。」

男性はそう言い残すと、明美をゴンドラの外へと誘導した。空は日暮れ間近の黒みがかった赤で、あちこちから上がる炎の揺らぎを映しているかのようだった。明美は最後に振り向くと、太郎と視線を交わし、二人同時に強く頷いた。男性は明美をフォローしながら、飛び降りるポイントまで彼女を誘導してくれた。もちろん明美は飛び降りることを躊躇ったが、先ほどの少年の成功例を聞いていたから、覚悟を決めて、ついには下へ飛び降りたのだった。下に用意されていたマットが、明美を強く受け止めた。男性は明美が指示された通りに一定の距離まで避難したことを確認すると、太郎を残したゴンドラへと引き返した。

太郎はもうゴンドラから身を乗り出して、男性の戻りを待っていた。男性はすぐそばまで戻り、ゴンドラに手をかけると、太郎へこう告げた。

「愛の俳句、今日やるって、Twitterで言ってたでしょ!ボク、居ても立ってもいられなくてさ…!」

男性の言葉が確かに太郎の耳へ届いて、二人はお互いがTwitterのフォロワー同士であることを、瞬時に悟ったのだった。SNS上でのこれまでのやり取りが、太郎の脳裏に瞬間再生された。その奇跡の出会いを、二人は心からの喜びとして分かち合った。しかし無情にもそれは本当に、本当に、一瞬の出来事になってしまったのだ。


ゴンドラが二人を乗せたまま、地上へと落下したからだ。



句養物語 花野篇

【完】


句養物語 蓑虫篇
https://note.com/starducks/n/nbccdc771f8d1


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