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句養物語リプライズ『葉』

早いもので、私の娘も先日三歳になった。二歳の頃までは、いわゆる喃語の域を脱せないでいたのだが、最近ではハッキリとした言葉を使うようになり、母親である私を安心させてくれている。

私が休みの日には近くの公園へ行き、池の周りで遊ぶのが二人の日課である。たくさんの木々や花に囲まれた池は、まるで宝石箱のように、毎日違う表情を持って我々を迎え入れてくれていた。

この公園には滑り台やブランコなどもあったが、娘は遊具よりも、生き物に対する関心が高かった。彼女の好奇心を満たすため、一緒になって図鑑を調べていくうちに、私もある程度生き物に詳しくなってきていた。

池には様々な鳥がいたのだが、ある時、娘はとある水鳥に激しく心を奪われた。その鳥は、とにかく羽の色彩が突出して美しく、その見た目は、一瞥して明らかに他の種類と一線を画していた。だから、家に帰って図鑑で調べた時も、すぐに種類を特定することができた。それは「オシドリ」という鴨の一種で、オスはきれいな飾り羽を持っているものの、メスは地味な色をしているのだそうだ。

もちろん私は「おしどり夫婦」という言葉を知っていたが、その実物は知らなかった。逆に、娘はオシドリという存在を知ることになったが、夫婦という概念そのものは未だ知らないままである。何故なら、彼女が生を受けた時、父親はもう既にいなかったからだ。

私には、再婚という手段があるにはあったが、未だその手段は「選択肢」にはなっていない。私は女手一つで娘を育てていく事に、強い覚悟と決意を持っていた。娘は、大きくなった時に認めてくれないかもしれないが、それはそれで仕方がない。これは大人である私が、一人で選択した道のりなのだ。

「オシドリ」を知るということは、私にとって「夫婦」とは何かを再確認するに等しかった。そして、娘に「オシドリ」について教えることは、娘が「夫婦」という概念に触れる事を意味していた。

物の本によれば、おしどり夫婦とは言うものの、本物のオシドリのつがいは、必ずしも同じペアが生涯を添い遂げるものではないらしい。しかし、少なくとも私と娘の前では、オシドリのつがいは常に仲睦まじかった。いつもペアで行動していて、一定の距離以上、二羽が離れる事はなかったように思う。

それからというもの、娘は毎日、このオシドリのつがいを見るのを楽しみにしていた。「パパ鳥、ママ鳥」というふうに呼び分けて、つがいの様子をつぶさに私へ報告してくれた。

娘が一番お気に入りだったのは、地味なメスが、派手なオスの頬の辺りを突っつくような仕草である。オスの羽の色は非常にカラフルだったが、頬の辺りは赤とオレンジの中間のような、緋色という色に似ていた。私からすると、メスには明るい色彩がないから、オスの美しい羽に焼き餅でも焼いてるように感じてしまったのだが、娘はメスのその仕草がちょうどキスをしているように見えたので、よく「またチュッチュしてる〜」と嬉しそうに言っていたものである。

そうしてしばらくは、私達親子と、オシドリのペアが、毎日のように公園の池で顔を合わせることとなる。

しかしある日を堺にして、オシドリのオスだけが、見当たらなくなってしまった。ひょっとして、天敵に襲われたのだろうか。私は直感的にそう思った。しかし、そんな悲しい結末を憶測だけで娘に伝えられるはずがない。最初は「今日はパパ鳥がいないね」とか、「ちょっとお出かけしてるみたいだね」などという言葉で誤魔化していたのだが、どうも戻って来る気配がない。状況から察するに、生きている確率は低そうに思われた。しかし、背景にどんな事情があるにせよ、私はこのメスが一羽で生きていかねばならないような気がしていた。そして、それがいかに辛い事であるのかを、片親である私が一番理解しているつもりだった。

しかし、この事を娘にどう説明すべきか、私は分からなかった。これ以上誤魔化し続けるのも違う気がするし、かといって、憶測で決めつけてしまうのは、どうにも腑に落ちなかった。

私は娘が傷つかぬよう、場を繋ぐことに努めた。その日も、当たり障りない言い方で 「パパ鳥、今日もいないねぇ」と娘に話しかけた。すると、娘はこう返してきた。

「パパ鳥は、ママ鳥と一緒だよ」

私は、一瞬何のことか分からず、一生懸命辺りを見渡したが、周りにいるのは他の水鳥で、あの派手なオスの姿はどこにもなかった。

「え、どこどこ?」

私は平静を装い、なんとか会話を繋いだ。すると、娘はまた理解しがたい事を言い出した。

「パパ鳥は、ママ鳥の背中の上にいるんだよ」

当たり前だが、メスの上に何か乗っかっている訳ではない。私は内心混乱していたが、なんとか話を合わせようと、言葉を返した。

「え、そうなの?じゃあもっと近くで見てみようか?」

そう言って娘の手を引き、池の周りを歩き、メスが近くで見られる位置まで移動したが、もちろんオスの姿は確認できない。だが、メスはちょうど娘が指摘した背中の辺りを気にするようにして、嘴で突付いているようだった。それは一見すると、多くの鳥がそうするように、普通の羽繕いをしているだけのように見えた。

しかし、そうではなかったのだ。


娘の話を要約すると、メスは背中の辺りを羽繕いしているのではなくて、自分の羽の隙間に、赤い羽根を差し込んでいるのだという。そして、それが落ちてこないよう、整えていると言うのだ。娘がそう言うので、私は目を凝らして背中の辺りを観察してみた。すると確かに、地味な色合いの背中に、一箇所だけ赤くなっている所があった。しかしそれが羽根ではないことは、大人の私にはすぐ分かった。

それは、池に舞い落ちてきた赤い落葉だったのだ。メスは水面に浮かぶ葉を咥え、それを羽根に見立てて、自分の背中に差し込んだのかもしれない。オスを失ったメスが、オスを偲んでそうしたのだと、娘は感じたのだろう。

私は娘へ優しく語りかけた。

「本当だね。あの羽根は、パパ鳥のほっぺたと、同じ色だもんね。」

それを聞いた娘は、嬉しそうに池のヘリまで歩いていき、メスにより近い位置でしゃがむと、じっとメスの方を見つめている。

私もそばにあったベンチに座り込んで、そこからオシドリの様子を見ていた。メスは一生懸命、背中の落葉の位置を整えている。

鳥がそんな事をしているのにも驚いたが、何よりも子供の感性には驚かされる。私なら、樹上から舞い落ちた落葉が、たまたまオシドリの背中に着地したと考えて、メスが意図的に乗せるという発想には至らないだろう。もうここにはいない存在に想いを馳せ、その象徴として落葉を身につけるという感覚を、三歳にして理解しているというのだろうか。

そんな事を考えていたからか、私は少しだけぼ〜っとしてしまっていた。気がつくと、娘は池のヘリからこちらに戻って来て、今まさにベンチによじ登ろうとしているところだった。

寄りかかるようにして隣に座った娘を、私は片手でグッと抱き寄せた。すると、娘はゴソゴソと身体を捩りながら、私の側頭部の辺りを触り出した。


「え、なぁに?」


問いかけた私に、娘は優しく応えた。


「パパだよ。」


私は、ギュッと胸が熱くなった。


「見てもいい?」


娘は黙って頷いている。私は自分の頭に手をやり、髪に挟んであったものを掌で受けた。 



『逢いたくてただ逢いたくて緋色の羽』
(猫髭かほり)



私は、掌の上にあるそれを愛でた。そして、それをもう一度自分の髪へ差し込むと、娘の頬へキスをした。


「ありがと…」


私はそう言うのが精一杯だった。そして、もう一度娘の身体を抱き寄せ、生涯離すまいと、力強く抱き締めた。


私の眼は、たぶん滲んでいただろう。

しかし、見上げた空は何故だか、いつもより高く、澄んでいるように思えた。



『うるみゆくエンドロールや秋の空』
(猫のたま子)



句養物語リプライズ「葉」

【完】



企画・執筆 … 恵勇


俳句提供 … 猫髭かほり、猫のたま子
(敬称略)



【句養物語 流れ星篇】

物語本編の起点です。誰かに紹介したくなってしまった人は、このページを教えてあげて下さい…!




【句養物語エクストラ】

本編の読後企画として、ABCのそれぞれの企画へご参加頂けます。応募期限は、作者が飽きるまで!


【句養物語リプライズ】

こちらのページでは、読後企画の参加返礼として、提供された俳句を使ったショートショートを順次公開しております。




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