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祝☆岩波俳句 親子三人同時入賞記念

どないなっとんねーん!

いやね、今年一年振り返ってみますとですね、どうしても『お〜いお茶』の初入賞が燦然と輝いているわけなんですが。

本当のビッグニュースは、その後にやって来たわけです。それではご覧あれ!


すすすす澄子さまぁぁぁ!!

すみません、取り乱しました(汗)。

岩波は載るだけでラッキーなのに、まさか親子三人が同刊に同時に掲載されるとは…

奇跡としか言いようがない。
というか、こんな事は二度と起きないので、こうして形にしておく事にしませう。

①ひぐらしや老犬庭に沈むやう
恵勇

はい、こちらは、少し前に某投句サイトにて没になった句でございまして。選者が変われば評価も変わる…それを体現した句になりましたね。

まだ実家にいる頃に、飼っていた犬。彼は17年以上生きました。当然の事ながら、晩年はヨボヨボです。庭のお気に入りポイントでうずくまるようにして寝るんですが、実はそもそもこのポイントは、最初から凹んでるのです。若いうちに、自分で土を少し掘って寝床を作り上げ、長年に渡りそこで寝ているので、物理的にどんどん沈んでいるような感じがするわけです。そこへ来て晩年の身体の重さが相まって、この句の表現に至るのです。



②きりぎりす脚二本取れても死なぬ
想レベル7

想レベル7はウチの長男で、8歳の男子です。レベル7というのは、永遠の7歳という意味があるそうです(なんじゃそりゃ)。

それで、この句は実景です。学校で虫を飼ったりしているそうで、実際に脚が二本取れてるにもかかわらず、強く生きる姿に感銘を受けた事を、そのまま詠んだものです。この句に関して、父親の添削は一切ありませんでした。ただ、この語順で良いのか、という確認はしました。季語を後ろに持って来て韻律を整えるやり方も、間違いではないわけなので。しかし彼はこのままで良いと言って、そして選者に採られた。何よりも、その信念が素晴らしい。

では、この語順の良い所を考えてみたい。

脚二本取れても死なぬきりぎりす

この語順だと、『脚が取れても死なない虫はなーんだ?」のパターンになる。『答えはきりぎりすでーす」で落とす事になるが、それならば、他の虫でも成り立つ。

きりぎりす脚二本取れても死なぬ

この語順だと、季語の鮮明な映像から始まる。その季語を具に観察する事で、実は脚が二本少ない事に、はたと気がつくのだ。脚がないのに生きているという、驚きとリアリティ。もし自分の足が両方なくなったら、こんなに強く生きていけるだろうか?



③ほしはうえにあるくもはしたにある
ゆうちゃん3才

父親が息子に俳句の話ばかりして、どこそこに投句すると意気込んでいるのを、ずっと見ていた3才の娘。「おにいちゃんばかりズルい、私のハイクも送る」と言い出した。

そして、その場で呟いた言葉が、偶然俳句のようなものになっていた。季語もない上に字足らずである。が、本人が俳句だと断言したものを、否定する事などできるはずもない。

いや、実際のところ、そんな事はどうだって良い。そもそも内容がとんでもないじゃないか。

星を上に、雲を下に見る事ができる、あなたは一体何者ですか。

この句の作中主体は「空」だと思う。「そら」と同化しなければ、この句は詠めない。そしてたぶん、大人になるとそれはできなくなるんだろう。

季語という枠組みを超越した、自然との一体化を最小限の言葉で言い表した、無知ゆえの文芸。

一体どういう感性しとるねん。
これを採る澄子さまも澄子さまだけどね。


とりあえず、自分は来年も俳並連のみんなと切磋琢磨しながら、俳句の上達に精進したい。子供らに関しては、まずは趣味としての俳句というものを楽しんでもらいたい。その為に親としてできる事をやっていきたい。

そんな大晦日の夜です。

それでは皆さん、良いお年を。
そして来年も、ご健吟を。


【了】

構成、文 … 恵勇

俳句 … 恵勇、想レベル7、ゆうちゃん3才

画像 … ㈱ヒマラヤプリント
aka ヒマラヤで平謝り


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