#7「私は私」/町山智浩が『ラヴクラフトカントリー 恐怖の旅路』全10話を徹底解説

※スターチャンネルEX、BS10 スターチャンネルでの本作の配信・放送予定はございません※

社会派ホラー映画『ゲット・アウト』のジョーダン・ピール監督と現代屈指のヒットメーカー、J・J・エイブラムスが組んだ話題の社会派SFドラマ『ラヴクラフトカントリー 恐怖の旅路』(全10話)。さりげない描写に込められた深い意味やメッセージをしっかり読み取れるよう、アメリカ文化に詳しい映画評論家・町山智浩さんに1話ずつ見どころを解説、独自にポッドキャストで配信!本記事ではそんな解説ラジオの内容を完全文字起こし!本編をご覧になった方、ぜひこちらをお聞頂き(お読み頂き)『ラヴクラフトカントリー 恐怖の旅路』の細部までお楽しみください。

ヒッポライタは「NASAへ行かなかったもう一人のキャサリン・ジョンソン」

第7話のタイトルは「I am(私は私)」。この「私」とは、主人公アティカス・フリーマンの叔父の奥さんであるヒッポライタのこと。『ラヴクラフトカントリー』ではフリーマン一家のそれぞれの人生が描かれています。フリーマンとは“自由人”という意味。モーガン・フリーマンという黒人俳優もいますね。黒人たちは本当のフリーマンになることができず奴隷であり続け、1950年代においてもいろんな意味で自由ではない彼らが解放されていこうとする姿が『ラヴクラフトカントリー』のもう一つのテーマとなっています。

では、ヒッポライタは何に束縛されているのか? 彼女は数学の才能がすごくある人で、以前のエピソードでも数学や物理学に関する能力が示されていました。そこで「NACAに行けばよかった」というセリフがあったのを覚えていますか。NACAとはNASAのこと。当時はNACA(アメリカ航空諮問委員会)という組織名で、後にNASA(アメリカ航空宇宙局)に変わったのです。

ヒッポライタのモデルは、映画『ドリーム』でも描かれていたキャサリン・ジョンソン。NASAに計算士として採用された黒人女性で、マーキュリー計画、アポロ計画、スペースシャトル計画まで軌道計算のスペシャリストとしてNASAに貢献した彼女がモデルになっているのは明らかです。物語の舞台である1955年は、彼女が1953年から1958年までコンピュータ(計算士)としてNACAで働いていた期間です。ちなみに昔は、コンピュータといえば、計算士という人たちを意味しました。当時は機械のコンピュータが未発達だったため、大量の人を雇ってロケットの軌道計算などを行わせていて、その計算士の多くが黒人女性だったのです。

当時の黒人女性にとっての仕事は、デパートの売り子があればいい方で、それ以外だとウエイトレスぐらい。あまりいい仕事はなく、どんなに優秀でもせいぜい学校の教師ぐらいしかありませんでした。 そんな中、アメリカ政府は、人類が宇宙へ行くため人種も性別も関係なく数学のできる人を集めることにし、その結果、黒人女性がたくさんいたのです。みんなものすごく頭が良く、彼女たちが人類を衛星軌道上に乗せて月へと行かせるために軌道計算を行いました。そういう事実を描いた映画が『ドリーム』で、いわば今回のヒッポライタは「NASAへ行かなかったもう一人のキャサリン・ジョンソン」です。

では、なぜヒッポライタはNASAへ行けなかったのか? それは、主婦になり母親になることが自分の人生において正しいことだと思っていたから。第7話は彼女がそうした考え方から解き放たれていく物語です。毎回とんでもないものを見せてくれる『ラヴクラフトカントリー』ですが、今回は時空を超えた大冒険ものになっています。どこがラヴクラフトなのかと思いますが、ラヴクラフトも「異次元の色彩」など時空を超えた物語を書いているし、そのスケールを大きくしたものとも言えますね。

ヒッポライタがセントルイスで出会ったのは“黒人女性ライダーの先駆者”

ヒッポライタはエプスタインの屋敷から見つかった太陽系儀を修復しようとします。ちなみにここでいう太陽系儀とは、クトゥルーの故郷だった遠い彼方の星“ゾス”のこと。これをいじっていたヒッポライタが惑星の自転の軸を戻すと、彼女の大冒険が始まります。

まずは太陽系儀に導かれてセントルイスの天文台に行くのですが、そこは“アダムの息子たち”の管理下に置かれていました。第6話のジアの物語が『Meet Me in St. Louis(セントルイスで会いましょう。邦題『若草の頃』)』というジュディ・ガーランドの映画から始まりましたよね。ちゃんと前回からつながっているわけです。よく出来ていますね。またこれは、もう一人の“セントルイスから出てきた人”ともつながってきます。

ヒッポライタがセントルイスに向けて車で出発すると、白い不思議なつなぎを着た黒人女性がハーレーダビッドソンに乗って並走するというシーンがありましたね。その女性が横に来るとヒッポライタが挨拶します。知り合いなのかなと思いますが、そうではありません。あの白いつなぎを着た女性はベッシー・ストリングフィールドという、当時すでに有名な人でした。ベッシーは黒人女性ライダーの先駆者で、1930年に19歳でアメリカを単独横断しています。もちろんそれは当時大変なことでした。

まず、女性でオートバイに乗る人がほとんどいなかったし、そもそもオートバイがそれほど普及していませんでした。しかも彼女は黒人。以前、グリーンブックについて解説したように、黒人が当時のアメリカ内部を旅することはとても厳しく、警官に殺されることもあるような時代でした。そうしたありとあらゆる危険を冒して、黒人女性が19歳でバイクで単独横断をするなんて!また、当時のハーレーダビッドソンは故障が多く、道路もちゃんと舗装されていなかったし、フリーウェイもありませんでした。それでもアメリカを横断するという、すごい冒険を成し遂げた人なんです。

その後、第二次世界大戦のアメリカでは女性たちが銃後を支え、兵隊になった男性たちに代わって産業を運営させていました。有名なところだと、プロ野球選手まで女性に代わっていましたね。戦争が終わるとすべて元に戻り、女性に与えた権利を全部奪ったんですけどね。その時ベッシーは、バイクに乗ってアメリカ中の基地と基地を伝令として駆け巡り、戦争の勝利に貢献しました。当時はあまり評価されていませんでしたが、アメリカの英雄でもあったわけです。その頃、彼女がどれぐらい有名だったかは分かりませんが、今ではものすごく有名な人です。女性と黒人の知られざる歴史、SF、ホラー、ロックンロールなどあらゆるカルチャーや政治の歴史を掘り起こしていく『ラヴクラフトカントリー』は、何重にも層をなしている深い物語ですね。

フランス人を熱狂させた黒人女性歌手ジョセフィン・ベイカー

セントルイスに行くヒッポライタは、車の中でフランス語の曲を聴きます。このシーンは彼女のインテリジェンスを示しているだけではありません。この曲は、セントルイス出身の黒人歌手ジョセフィン・ベイカーの曲です。

ジョセフィン・ベイカーは十代の頃にセントルイスで2度結婚し、歌手やショーガールになりたくてニューヨークに行きました。フラッパーと呼ばれる女性たちがいた1930年代、チャールストンなどきらびやかなボードビルショーを行う劇団に入った彼女は、公演先のパリで大スターになります。ジョセフィンはすごい才能の持ち主だったからフランスの人たちがビックリしたわけです。アメリカ人がすでにジャズなどで体験していた、黒人のリズム感や歌のうまさ、つまりブラックミュージックがそのまま輸出され、初めて生で体験したフランス人たちを熱狂させました。彼女はフランスで映画スターになりレコードも大ヒットし、その曲をヒッポライタが聴いているわけです。しかも聴いている曲名は「Piel Canela」。“シナモン色の肌”という意味で、黒人女性であるジョセフィンの肌の色のことを歌っている曲です。

セントルイスに着いたヒッポライタは天文台へと入り、その中にあるマシンを動かしてしまいます。すると、次元の裂け目が目の前に生まれます。次元の裂け目はまさにラヴクラフトらしい展開ですね。この裂け目に彼女は吸い込まれてしまいます。その前に“アダムの息子たち”から派遣された警官を殺していますが。

時空を超えた冒険で繰り返される「あなたは誰?」という問いかけ

次元の裂け目に入ると、そこは宇宙船のような真っ白い部屋。これはマイケル・ジャクソンがジャネット・ジャクソンと一緒に出たミュージックビデオ「スクリーム」の宇宙船のイメージですね。そこへ背の高いアフロヘアの女性が入ってきます。すごいファッションです。彼女が誰なのか分かりませんが、役名は「Seraphina AKA Beyond C'est(ビヨンド・セスト)」。C'estのうちstはフランス語では無音なので、発音は「ビヨンセ」! ビヨンセが出てくるわけです。スゴイですね。

このビヨンセに「あなたは誰? いったい何になりたいの?」と聞かれたヒッポライタは、「パリでジョセフィン・ベイカーと踊りたいの」とずっと抱えていた自分の夢を突然告白します。するとその願いがマシンでそのまま叶えられ、ヒッポライタはパリへワープします。彼女はダンサーの一人として大劇場のステージに立っていて、チャールストンが流れている中に本物のジョセフィン・ベイカーが現れます。ところがヒッポライタはダンスの振り付けを知らないので、ステージでボロボロになる。当然「あんた何やってんの! 振り付けも覚えてないの?」と周りのダンサーに怒られるわけですが、ジョセフィンは「私もセントルイスではうまくいかなかったわ」となぐさめてくれます。

そしてヒッポライタは一生懸命練習します。いったいこの話は何年かかってるんだ?と思いますが、やがて彼女は立派なダンサーになります。そこで流れる歌が「レディ・マーマレイド」。歌詞の中に「ムーラン・ルージュで踊ってた」という一節がありますが、ジョセフィンもパリのムーラン・ルージュ、ボードビルの劇場で踊っていました。「レディ・マーマレイド」の歌詞自体は、ルイジアナのクレオール(白人と黒人の混血)である踊り子のことを歌った内容ですが、ムーラン・ルージュという歌詞が出るのでフランスで流れてもおかしくはありません。また、ルイジアナはフランス領だったためフランス語を話す人がたくさんいて、フランス語の歌詞も含まれています。

ここで面白いのは、フランスへ飛んだヒッポライタの髪型がショートボブになっていること。あれは、日本だとモガカットと言います。分からないと思いますが、昔流行ってたんですよ。映画『シカゴ』でキャサリン=ゼタ・ジョーンズが見せた髪型でフラッパーカットとも言いますが、これは女性解放の表れでもあります。当時、女性は髪を長くしていなきゃいけないと言われていましたが、「私たちはそんなものにとらわれない」と短く切ったのがこの髪型。ジョセフィン・ベイカーも髪がとても短いですね。その頃、髪を短く切ることは女性たちの反抗。つまり「男のために髪を長くするなんて関係ない。切っちゃうわ!」という、革命的な女性解放ファッションだったわけです。

するとそこへ男装の女性が現れます。彼女はフリーダ・カーロですね。フリーダがジョセフィンとパリで会ったのは1939年。つまりこのシーンは1939年のパリだと分かります。フリーダ・カーロはメキシコの画家で、ヒゲを生やしたことや男装でも有名ですね。彼女は男性や女性であることを超えた自画像を描いていて、また自身もそうした姿を演じ、ジェンダーを超えた女性ヒーローとして全世界で崇拝されている存在。そんなフリーダが実際にそこにいたわけです。女性や黒人たちが抑圧されていた時代の中で闘っていた歴史上のヒーローたちを、このような形で次々と物語に絡めていく『ラヴクラフトカントリー』は、とてもスケールの大きなドラマシリーズですね。

女性戦闘部族のリーダーとなったヒッポライタの名演説

ここで再び「I am」が出ます。「あなたは誰?」という問いが繰り返され、ヒッポライタは「アイ・アム・ヒッポライタ」と言います。するとヒッポライタは再び時空を超え、今度はアフリカのどこかの国へ転送されます。彼女はなぜか戦闘着を着ていて、女性戦士の中に囲まれていて突然戦わされます。もちろん弱いです。ダンスができなかったのと同じですね。そしてまた鍛えられ、立派な戦士になっていきます。ここで言おうとしているのは「人は誰でも何にでもなれる」「なろうと努力すればなれる」ということです。

もう一つ注目したいのは、ヒッポライタという名前。ヒッポライタとは、ギリシャの古代神話に出てくる女性だけの戦闘部族アマゾンの女王の名前です。つまり、「私はヒッポライタ」と言ったので、アマゾンの女王として女性戦士の部族へと送られたわけです。ちなみにヒッポライタの娘はダイアナ。ワンダーウーマンの本名ですね。ドラマでもヒッポライタの娘はダイアナという名前で、アメコミを描いています。

ただし、ここで登場する女性戦闘部族はギリシャ神話のアマゾンとは違います。アフリカのダホメ王国という1890年代まで実在した王国の女性戦士“Dahomey Amazons”で、映画『ブラックパンサー』で女性戦士オコエが率いていた部隊ドーラ・ミラージュのモデルにもなっています。ドラマの女性戦士たちは原始的な武器を持っていますが、実際は銃などの近代兵器で武装して近隣の国や種族を侵略し、人々を奴隷として売っていました。悪い人たちですが、ダホメ王国はとても強い軍事戦闘国家でした。

ヒッポライタはその部族で頑張って、とうとう戦士のリーダーになります。まさにアマゾンの女王になるわけです。そこへ白人の軍隊が攻撃してきますが、これは実話ですね。フランス軍です。19世紀末にフランス軍がダホメ王国を占領しようと侵略し、王国は滅びてベナンという別の国になりました。ここでアマゾンを率いてフランス軍に立ち向かう時、ヒッポライタは演説を行います。「我々女性は、怒るのは女らしくないと言われてきた。女は暴力を振るうなと言われてきた。奴らはそう言って我々の自由を奪い、怒りを抑えつけてきた。私たちはもう、そんなのはたくさんだ」。

これはアメリカのフェミニストの間でよく言われる「アングリー・ウーマン」という呪文について語っています。女性は怒っているとそれだけで批判される。醜いと言われ、らしくないと叩かれる。なぜ女性が怒ってはいけないのか? 男性が怒っていても何も言われないのに、女性が不正などに立ち向かおうとすると、すぐに批判される。女性はおしとやかであるべき、政治的なことを語るべきではない、怒りを表明するべきではない、反抗してはいけない…。それは、女性を黙らせておくという政治的な圧力にすぎないのではないかと言われています。トランプ大統領も女性が怒って自分のことを批判すると「Nasty(嫌な女だな)」と言ってますよね。それは女性を黙らせるための呪文で、その鎖を断ち切るんだ!というメッセージがヒッポライタの演説なのです。

“ディスカバラー”として目覚めたヒッポライタが宇宙への旅に

そしてまた「I am」が出ます。ヒッポライタが「私はジョージの妻」と言うと、アティカスの死んだ叔父ジョージの姿が蘇ります。ジョージはアティカスを守るために死んでいて、これが現実なのか別の多元宇宙の世界線なのかどうか分からないのですが、画面にはずっと数字の並んだ座標軸が出ています。あれは全宇宙の時空間において、時と場所を示す数字です。地球が公転したり、膨張し続ける宇宙の中で太陽系が移動していることは、ここでは深く考えないでください。ラリー・ニーヴンも言ってましたが、タイムマシンもので困るのは、地球や太陽系や銀河系全体までが動いていることを考えると、空間座標設定が不可能に近いからです。

そのことは置いておいて、死んだはずのジョージが、今までのヒッポライタの時空を超えた冒険のことを知っているかのように「お前はこれだけのいろんな可能性を体験してきて、俺のカミさんとしての人生を選んでここに戻って来てくれたのか」と言います。それに対してヒッポライタは「違う」と答えます。彼女は男性原理主義社会の中で求められている“いい母”や“いい妻”という役割を演じてきた。キャサリン・ジョンソンがモデルであるヒッポライタは数学や物理の知識を秘めていたけど、それを自分で押し潰してしまった。でも、時空を超えた自分探しの冒険で「自分が誰なのか」気づいたというのです。するとジョージは「君はディスカバラー(発見する人、探求する人)だ」と言います。

そこで話は宇宙探検に戻ります。するとまた「I am」。ヒッポライタが「アイ・アム・ディスカバラー」と言うと、一気に宇宙へと飛び、宇宙船の乗組員の一員になります。その時、ジョージも一緒にいます。この宇宙船は、ジョージが遺した“ウッディ”と呼ばれる木のフレームが付いた車です。1948年のパッカード・ステーションセダン。それが、木のフレームが付いたまま宇宙船になり飛んでいく。しかもジョージが彼女のサポーターとして付いて行く。今までずっとヒッポライタに支えられてきたジョージが、今度は彼女を支える側になるのです。

宇宙空間に響く“アフロ・フューチャリズムの元祖”の声

そのシーンでずっと男性の声のナレーションが掛かっていますが、これはとても有名なビデオから使われています。サン・ラーというジャズのようなプログレッシブロックのような音楽を奏でるミュージシャンがいて、私が住んでいるオークランドで彼が1974年に作ったビデオ「スペース・イズ・ザ・プレイス(宇宙こそがその場所だ)」の中の台詞です。「我々黒人というのは幻なんだ。この社会には存在しない。なぜなら、本当に存在するなら人権が認められているはずだから。我々は幻なんだ。我々は神話的存在なのだ」。すごいナレーションですね。

ラーというのはエジプトの太陽神ラーのことで、彼は昔の神官の衣装を着てアフリカ的なジャズを演奏していました。それがまたとても宇宙的で、はっきり言うとプログレッシブロックに近いもの。「宇宙こそ我々黒人が自由になれる場所で、自分自身になれる場所なんだ」と言いながら、オークランドに宇宙船で降りてくる。そんなビデオの中の台詞が流れるわけです。

サン・ラーは、アフロ・フューチャリズムと呼ばれる一種のアート運動のようなものの元祖と言われています。アフロ・フューチャリズムとは“アフリカ的な未来観”。エイジアン・フューチャリズムだと、香港のような新宿のような街が描かれた『ブレードランナー』や、他にも『攻殻機動隊』とか有名なものが山ほどありますが、それより前の1970年代初めごろにあったのがアフロ・フューチャリズムです。サン・ラー以外では、延々とプログレッシブロックのようなアドリブを演奏し、宇宙などを表現するファンカデリックというバンドもいました。そこからさらに出てきたのがアース・ウィンド・アンド・ファイアーです。日本だと長岡秀星さんが描いた、宇宙的なイメージとエジプト的なイメージを合せたイラストが有名ですね。あのイメージはサン・ラーの方が早いんです。そうしたアフリカ的なセンスによる宇宙観・未来観・テクノロジーみたいなものがこの頃に出た文化であり、それをドラマの中で表現しているわけです。

SFというと白人とアジア人のものと思われていて、そういう創作物があふれていますが、実はアフロ・フューチャリズムも1970年代とけっこう古い。その元祖であるサン・ラーのナレーションが流れ、自動車を改造した木製フレームの宇宙船で宇宙へ行くわけです。この時のヒッポライタの衣装は、1950年代当時のコミックブックやスペースオペラのような雰囲気で、ヒッポライタの娘ダイアナが描いたコミックブック「オリシア・ブルー」の絵にもそっくり。ヒッポライタがオリシア・ブルーになるというのは、ちょっとワケが分かりませんが。というのも、ヒッポライタもオリシア・ブルーもギリシャ神話のアマゾンの女王の名前だから。確か2人は姉妹だったはずです。

黒人たちのカルチャーや歴史がモザイクのように結び付いた、伝説的なエピソード

このように第7話は、SFなどのポップカルチャー、サン・ラーのような音楽、歴史的事実、ダホメ王国のアマゾン、ジョセフィン・ベイカー、セントルイス…すべてがモザイクのように結び付いていてすごい! アフリカ系アメリカ人にとってのポップカルチャーのカタログのようですね。そしてそれらのベースとして貫いているのが、キャサリン・ジョンソンのNASAでの活躍。こうした物語を、ヒッポライタという一人の平凡な黒人女性を中心に展開しているのだからすごい! ブラック・フェミニズムという言葉がありますが、その中でも今回の第7話は、歴史に残るような話ではないでしょうか。

というわけで、すごいスケールの第7話「I am」でした。その話と並行してクリスティーナとルビーの関係が発展していましたね。なんとウィリアムはすでに死んでいて、彼が作った液体によってクリスティーナはウィリアムになっていたのです。また、ルビーが変身した白人女性ヒラリーの基になっていたオーバーシーヤーの死体も出てきます。彼女は第2話でレティシアに殺されていて、その死体から作った薬だからルビーは彼女そっくりになっていたことが分かりました。

ルビーがクリスティーナに「ウィリアムになって私にしたことは、ただ私をだますためなの?」と聞くと、クリスティーナは「そうじゃない。私がウィリアムになってあなたに言ったことはすべて本当のこと。あなたを愛している」と言います。クリスティーナがあまり信じられない人物なので、うーんという感じですね。最後に、“アダムの息子たち”の部下である警察官たちの手に「オリシア・ブルー」が証拠品として渡ってしまうところで第7話は終わりました。とにかくすごい話でしたね。では次回をお楽しみに!

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