#5「怪事」/町山智浩が『ラヴクラフトカントリー 恐怖の旅路』全10話を徹底解説

※スターチャンネルEX、BS10 スターチャンネルでの本作の配信・放送予定はございません※

社会派ホラー映画『ゲット・アウト』のジョーダン・ピール監督と現代屈指のヒットメーカー、J・J・エイブラムスが組んだ話題の社会派SFドラマ『ラヴクラフトカントリー 恐怖の旅路』(全10話)。さりげない描写に込められた深い意味やメッセージをしっかり読み取れるよう、アメリカ文化に詳しい映画評論家・町山智浩さんに1話ずつ見どころを解説、独自にポッドキャストで配信!本記事ではそんな解説ラジオの内容を完全文字起こし!本編をご覧になった方、ぜひこちらをお聞頂き(お読み頂き)『ラヴクラフトカントリー 恐怖の旅路』の細部までお楽しみください。

第5話のテーマは「二重人格」と「変異」

第5話の原題は「Strange Case」となっていますが、これは「Strange Case of Dr Jekyll and Mr Hyde(ジキル博士とハイド氏)」という二重人格をモチーフにした有名なホラー小説からの引用。つまり今回は、二重人格がテーマになっていることが分かります。

第5話の主人公は、レティーシャの姉であるブルース歌手のルビー。前話で彼女はブレイスホワイト家の謎の執事ウィリアムとエッチし、夜が明けたら白人になっていましたね。ビックリしたルビーが外に出るとそこは黒人街で、パニックを起こしている彼女に黒人少年が「どうしたの?」と親切に声をかけるのですが、そこへ警察がやって来て問答無用に黒人少年を逮捕しようとするのです。つまり「白人女性と黒人男性がいたら、黒人男性を逮捕しろ」というのが1950年代の警官たちの常識であり、今もそうした状況は続いています。

ちなみに、白人になったルビーを演じているのは、クリスティーナの農園で黒人たちを管理するオーバーシーヤー(監視者)を第2話で演じていた女優。とてもややこしいですね。ということは、第2話のオーバーシーヤーも、ウィリアムによって白人にされた黒人なのか? おそらく後で謎解きがあるでしょう。

ルビーがウィリアムの部屋に帰ると突然苦しみ始め、ウィリアムは床にビニールを敷いて「変異は死ではない」と言います。これは後になって分かることですが、彼女は脱皮して黒人に戻ります。この「変異は死ではない」という言葉は、今回のエピソードのテーマとなっています。

アティカスの父モントローズはゲイだった

そして話は主人公アティカスに戻ります。前回、彼がタイタスの謎の書を読み解こうとしたところ、その翻訳をしてくれたであろうトゥー・スピリット(男と女の魂を持つ両性具有)の先住民ヤヒマを父モントローズが殺してしまいました。なぜそんなことをしたのか理解できませんが、今回モントローズはサミーという酒場のマスターの部屋に行きます。サミーは第1話で男性との性行為をアティカスに見られていて、今回はモントローズといきなりセックスします。これまでもモントローズがゲイであることはチラチラ匂わされていましたね。やっぱりそうだったと。彼は若い頃に夫婦仲が悪くてアティカスを殴っていましたが、その原因は本当のセクシャリティを隠していたからではないかということが推測されます。

この時に流れる音楽が、フランク・オーシャンの「Bad Religion」。オーシャンはゲイをカミングアウトしている黒人歌手で、男らしさを求める父親との関係も非常に悪く、父との間で裁判を起こしています。そんな彼の歌をこのシーンにぶつけるというのは、とてもメッセージ性がありますね。

白人へと“変異”したルビーに重ねられる詩の引用には、深い意味がある

再び話をルビーに戻します。彼女が脱皮するシーンで、蝶々が飛んできます。蝶々は芋虫、サナギ、蝶々へと脱皮しながら姿を変えていく生き物で、その象徴として蝶々が描かれているのです。そしてルビーはウィリアムから白人になれる薬を「好きなように使っていいよ」と渡され街に出ますが、そこで詩の朗読が始まります。

『ラヴクラフトカントリー』では毎回、詩の朗読、対談、ニュースのアナウンスなど、物語上とても関係性のある言葉が引用されるという特徴があります。ここで朗読される詩は、ヌトザケ・シャンゲという黒人女性作家が書いた戯曲「死ぬことを考えた黒い女たちのために」からの引用です。日本でも昔に翻訳が出版されていました。この戯曲は何度も映像化されていて、1982年にはテレビ版、2010年には『For Colored Girls』という映画にもなっています。映画版はジャネット・ジャクソン、タンディ・ニュートン、ケルー・ワシントン、テッサ・トンプソン、ウーピー・ゴールドバーグというオールスター・キャストの大作ですが、なぜか日本では公開されませんでした。興行的に当たらなかったからでしょうが、戯曲自体は評価が高く、だから翻訳も出たわけです。

この詩の朗読が流れている間、ルビーが白人女性として道を歩いていると、警察官が彼女のために車を停めてくれます。そんなことは黒人女性だったらありませんよね。さらにアイスクリームショップに行くと、なぜか店員が「お金はいりません」と受け取らない。これは昔『サタデー・ナイト・ライブ』というテレビ番組で、まだ映画に出ていない頃にエディ・マーフィが見せたネタが元だと思います。彼は当時からコメディの才能が高く、完全に白人にしか見えないように特殊メイクして街に出たらどうなるかという実験をしました。すると、お店に行っても誰もお金を取らない。「私は黒人だから知らなかったけど、白人は何をしても許されるし、お金なんていらないのか!ビックリ!」というコメディなわけです。

「死ぬことを考えた黒い女たちのために」は舞踏劇で、7人=7色の虹の女性たちが、それぞれ黒人として生きてきた中で体験した辛いことを回想しながら踊りで表現するというもの。ひどい旦那や差別や子育てといった、黒人女性なら誰もが抱えている問題の典型が7つ並べられているという構成で、映像版だと彼女たちの物語がそのままドラマとして表現されています。

今回引用されている詩の内容は、次のようになります。「誰か黒人の女の歌を歌ってあげて。彼女に自分というものを知る機会を与えてあげよう。彼女のリズムには優しさと苦悩と試練があふれている。彼女に人生の歌を歌ってあげて。長い間彼女は死んだように心を閉ざして口を閉ざして、自分の声を知らずにいたの。自分の美しさも知らずにいたの。死ぬことを考えた黒い女たちのために、歌を歌ってあげて。自分の虹をつかむために」。ルビーが黒人女性として苦労してきたという経験はこれまでも描かれていましたが、白人として生きるだけでこんなにも楽になるんだ!という衝撃と重なった内容ですね。

白人になったルビーの名前がヒラリーである理由は?

ルビーが公園のベンチで新聞を広げると、そこに映画の広告が見られます。物語とは少し時代がずれるのですが『Confidence Girl』という1952年の作品。デパートを題材にした、ミンクのコートをめぐるフィルム・ノワールです。主演はヒラリ-・ブルックという女優で、ルビーが白人女性になった時の名前もヒラリ-。そのあたりも面白いですね。ちなみにドラマの原作では登山家のヒラリーから名前を取っています。偶然なのか、あえてバラバラにしているのか?

そしてヒラリ-になったルビーは、第4話で行ったデパートを再び訪れます。そこではタマラという黒人女性が雇われていましたが、白人として面接を受けたルビーは簡単に採用され、しかもいきなり副支店長を任されます。おかしいと思いますよね。実は、採用係の男がヒラリーに惚れていたことが後で分かります。セックスみたいなもので簡単に就職できてしまうわけですが、それはタマラが雇われたヒントにもなります。

白人になったルビーがタマラに「高校を卒業したの?」と尋ねたところ「いいえ、出てません」と回答され、ルビーは続けて「フレデリック・ダグラス・センターにも行ってないの?」と言います。フレデリック・ダグラスとは、南北戦争の前に南部から脱出し、勉強して立派な学問を修めて政治家になった黒人です。黒人の最大の問題は教養を奪われたことであり、学問や仕事の能力は農業だけさせられていたことでまったく育たなかった。黒人の平等というのは、職業訓練や勉学から始まる。そうした考えに基づいて黒人教育を進めた人で、その教育センターに行ってないということから「あれ、怪しい。あのスケベな採用係と何かあったんだろう」と分かるわけです。

この前後でずっと流れているのは「トゥッティ・フルッティ」。「のっぽのサリー」を作曲した“ロックンロールの元祖”リトル・リチャードが1952年に出したヒット曲です。物語の中でまさに今ヒットしている最中なのですが、面白いのは曲の使い方。白人しかいないシーンではパット・ブーンという白人歌手のカバーバージョンが、黒人のバーに行くとリトル・リチャードのオリジナルバージョンが流れるんです。ロックンロールとはクリーブランドのラジオ局のDJアラン・フリードがそういう曲をたくさん混ぜて放送したから生まれた、と言われていますが、1950年代当時は黒人の音楽を白人のラジオ局ではかけられませんでした。だから白人バージョンの曲があったわけです。そういうところもちゃんと考えて選曲しているのが面白いですね。

ゲイたちのパーティでモントローズが遂げる“変容”

そしてウィリアムと入れ替わりで登場するのがクリスティーナ。彼女の家で開かれる“アダムの息子たち”の会合でメイドをさせられたルビーは、カルト集団の一員である警察署長がある部屋にいるので、そのスパイを命じられます。そこでルビーが発見するのは、クローゼットの中でなぜか拷問されて舌を切り落とされた男。彼女がクローゼットの中に入って覗いていると、今度は警察署長がやって来てシャツを脱ぎます。するとその体が、黒いTシャツを着ているみたいに真っ黒…頭と腕は白人だけど、体の真ん中だけ黒人なんです。これはおそらく、人体実験を行っていたエプスタインと関係しているのでしょう。

『ラヴクラフトカントリー』のプロデューサーといえばジョーダン・ピール監督。彼が手がけた『ゲット・アウト』は、白人たちが黒人の体を奪い取っているという話でしたよね。そことも絡んでいるんだろうと思われます。実際のところはちゃんと分からないんですけどね。ラヴクラフトの小説には「死体蘇生者ハーバート・ウェスト」など人体実験の話がたくさん出てきますから、そことつながってくるとも思われます。

第5話は、人が入れ替わったり変化するという話になっていますが、モントローズがドラァグ・クイーンたちとゲイバーみたいな場所でパーティをするシーンもその一つ。こうしたパーティは、1920年代からずっとアンダーグラウンドで行われていたため、その存在を知られていませんでした。私がポートランドへ取材に行った時に聞いた話では「1950年代からあった」そうですが、あそこは特殊な街なので、他では秘密で行われていました。このパーティでモントローズは初めて男らしさの呪縛から解かれます。いわば彼本来の姿であるゲイでいられる場所なんです。

ここで面白いのが、パーティでは楽しい音楽がガンガン演奏しているはずなのにダンスミュージックの音が聞こえず、「ロンリー・ワールド」という歌に入れ替えられていること。わざわざビッグバンドを集めておいて彼らの演奏を使わないという贅沢な音楽の使い方が、実に意外で面白いですね。「ロンリー・ワールド」の中でモントローズは男という呪縛から解放されて自由になっている。つまり第5話は、彼も含めてみんなが蝶々のように変容している話であるのです。

イナゴの大量発生は“この世の終わり”を予感させる悪魔的な脅威の暗喩

第5話のもう1つのテーマは、マイノリティ。ゲイや黒人女性など非常に社会的なテーマになっています。その中で1つだけ「これはどういうことなんだろう?」と思われるのが、イナゴというかトノサマバッタが大量発生し、それらが変容することを報じるニュース。みんなが知っているトノサマバッタは緑色ですが、あれは孤独な状態に置かれている時の“孤独相”という状態で、大量に集まると“群生相”という形に突然変異するのです。すると茶色になって翼や脚も大きくなり、長距離飛行ができるようになり一斉に飛び立つそうです。いわゆる公害と呼ばれるもので、ワタリバッタやトノサマバッタやイナゴの大量発生によるパニックにつながっていきます。

今回そうした描写を入れている意味は、第5話のテーマ“変容”とのつながりでもあるのですが、聖書に何度も書かれているように、イナゴやバッタの大量発生はこの世の終わりのようなもの。実際、今でもバッタの大量発生によって一つの国の穀物が滅びるような被害を与えることはあるし、日本でも「蒼茫の大地、滅ぶ」という西村寿行先生のポリティカル・パニック小説でイナゴによって東北地方が滅んでしまうという話がありましたね。

聖書においてイナゴの大量発生は黙示録のような意味合いがあり、エジプトなど中東地域ではものすごい被害があったことから“この世の終わり”“悪魔のもの”と思われていました。ちなみに映画『エクソシスト』に出てくる翼の生えた悪魔パズスはイナゴを意味していて、『エクソシスト2』ではパズスがリーガンを襲うシーンでイナゴが大量発生しましたね。このようにオカルトやホラー小説などの文脈において、イナゴは人々を滅ぼす悪魔的な脅威として描かれているわけです。

黒人文化という大きな文脈の中からの引用が『ラヴクラフトカントリー』の深みを生む

第5話のクライマックスは、ルビーとデパートの採用係の男との対決。この時、脚を出してピンヒールをなめさせるというすごいプレイが描かれていますが、あれは『ザ・バルコニー』という1963年の映画が元になっています。日本では公開されていない作品ですが、黒人娼婦が白人男性にヒールをなめさせるという、ヘイズコードが存在し黒人の人権も認められていない時代としては非常に過激なシーンがありました。物語の舞台はシェリー・ウィンタースが経営している娼館で、ピーター・フォークも登場しますが、重要なのは黒人娼婦を演じている女優の名前がルビー・ディーであること。そして、映画とドラマでハイヒールをなめさせるシーンの撮り方がまったく同じ。つまり『ラヴクラフトカントリー』が『ザ・バルコニー』のマネをしているということですね。

ルビー・ディーは、スパイク・リー監督による1989年の大傑作『ドゥ・ザ・ライト・シング』で、マザー・シスターという黒人の歴史を象徴するような、黒人の苦難を一身に背負ってきたようなおばあさんを演じた女優です。彼女は同じ作品で市長を演じていたオジー・デイヴィスと夫婦で、2人は黒人の人権が認められていなかった頃からずっと黒人解放運動を行っていました。そうした俳優の作品から引用しているわけです。ちなみにオジー・デイヴィスは『ロールスロイスに銀の銃』という、黒人による黒人のためのアクション映画、いわゆるブラックスプロイテーションを最初に作った人でもあります。

ルビー・ディーの引用は先ほど紹介した「死ぬことを考えた黒い女たちのために」と同じで、黒人文化の大きな文脈の中から引用したもの。つまり『ラヴクラフトカントリー』は、ホラーだからちゃちゃっと作った話なんかじゃないんです。今回ラヴクラフト的なホラー要素はありませんでしたが、黒人が白人になったり白人が黒人になる中で、その時に黒人がずっと置かれていた差別の姿がはっきり見えてくるという、とても深い話になっていたと思います。

またルビーは復讐としてスティレットヒールをお尻にグサグサ刺していますが、スティレットとは鎧の隙間から刺すための刃物のことで、つまり武器。『グラディエーター』でもスティレットでグサリと刺すシーンがありましたね。スパイが刺す時に使う細い剣もスティレットといって、鎖帷子(くさりかたびら)を刺すこともできます。“スティレットみたいに細いヒール”と呼ばれていたスティレットヒールで、本物のスティレットのように刺すというシーンになっているわけです。

引用のアンテナの広さとサンプリングの巧みさに感服!

あと、テレビの画面にドラマが映ってましたが、あれは『ジキルとハイド』。1950年代当時、いろんな小説のクライマックス部分だけを短く放送していたテレビシリーズ『クライマックス』の映像です。ちなみに実は、『007』が初めて映像化されたのは『クライマックス』の放送枠。みんなが知っているのはショーン・コネリー版の第1作『007 ドクター・ノオ』ですが、それよりも前に、『カジノ・ロワイヤル』でジェームス・ボンドが拷問される場面が『クライマックス』の中で映像化されていました。そんなものまでよく拾ってくるな!シナリオにそこまで書いているのかな?と驚くぐらい、いろいろつながってくるんです。このようにネタを細かく拾っていくのが、『ラヴクラフトカントリー』やその前にHBOで放送されていたドラマ版『ウォッチメン』のすごいところだと思います。どこまでアンテナを広げてるんでしょうね。

ちなみに、アラン・ムーアが描いた原作コミックの「ウォッチメン」の中にも、『アウター・リミッツ』という1960年代当時のテレビシリーズが引用されていました。またジョーダン・ピールは『トワイライト・ゾーン』を基にした映画を作ったし、スパイク・リーも『トワイライト・ゾーン』や『ヒッチコック劇場』からの引用を行っています。こうしたサンプリング的な作り方はオタクのものと思われていますが、アフリカ系の人たちはそうした作り方が実にうまい。ラップやヒップホップやブルースもそうですが、とても変なところから引用するんですよ。テレビの音声や演説を使ったりね。そういう引き出しの多さは、日本の映画やドラマに欠けている部分で、アメリカ文化の層の厚さから生まれてくるものだと思います。

ということで、第5話の解説でした。いろいろ謎が重なっていきますが、次回はどうなるのでしょう? ではまた!

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