#6「テグで会いましょう」/町山智浩が『ラヴクラフトカントリー 恐怖の旅路』全10話を徹底解説

※スターチャンネルEX、BS10 スターチャンネルでの本作の配信・放送予定はございません※

社会派ホラー映画『ゲット・アウト』のジョーダン・ピール監督と現代屈指のヒットメーカー、J・J・エイブラムスが組んだ話題の社会派SFドラマ『ラヴクラフトカントリー 恐怖の旅路』(全10話)。さりげない描写に込められた深い意味やメッセージをしっかり読み取れるよう、アメリカ文化に詳しい映画評論家・町山智浩さんに1話ずつ見どころを解説、独自にポッドキャストで配信!本記事ではそんな解説ラジオの内容を完全文字起こし!本編をご覧になった方、ぜひこちらをお聞頂き(お読み頂き)『ラヴクラフトカントリー 恐怖の旅路』の細部までお楽しみください。

大女優ジュディ・ガーランドと韓国院女性ジアを重ね合わせる意図は?

第6話のタイトルは「テグで会いましょう」。テグとは韓国の大都市。主人公アティカスにこれまでトラウマのように思い出されてきた韓国人女性ジアの物語です。ジアは第1話からずっと“アティカスが背負ったもの”として登場していた人物ですが、今回は彼女がどういう人でどんな形でアティカスと会ったのか描かれています。

第6話はいきなり、極彩色の昔のハリウッド映画から始まります。画面に映っているのは若かりしジュディ・ガーランドで、彼女の代表曲「トロリー・ソング」が流れています。これは1944年のMGM映画『若草の頃』の中の一曲で、原題は『Meet Me in St. Louis(セントルイスで会いましょう)』。「テグで会いましょう」はそのパロディになっています。このシーンの映画館はテグの映画館でしょうね。テロップによると時代は1949年。朝鮮戦争が始まる直前です。

誰もいない映画館で『若草の頃』を見ていたジアは、ジュディ・ガーランドのように歌って踊る自分を想像します。ジュディ・ガーランドは最近も『ジュディ 虹の彼方に』という映画で、覚醒剤を与えられて寝ずに働かされ、そして寝る時は睡眠薬を与えられるという悲惨な子役時代からどんどん壊れていく姿が描かれていました。そのジュディとジアを重ねているわけです。『ラヴクラフトカントリー』はどのエピソードでも、現代に限らずいろんな要素を物語の中で二重三重に重ね、同時に描くということを行っています。今回も、韓国とハリウッドをつなげているというすごい内容です。

韓国版「九尾の狐」が第6話のベースに

ジアは韓国の伝統的な家で母と一緒にキムチを作っています。仲の良い母子に見えますが、父がいません。父は死んだと説明されます。看護師学校に通っているジアは「早く学校を出ればいいのに」と言われます。母は「この家は男がいないから周りに差別されている」と韓国の男尊女卑社会についてセリフで説明し、さらに「男を連れてこなきゃダメよ」と言います。婿を連れて来いという意味でしょうか。ジアは看護師学校で集団見合いをしますが、なかなかいい男性に巡りあえません。それでも何とか一人の男性をつかまえて、自宅に連れて帰ります。

そして2人のセックスが始まりますが、この時一瞬あれ?と思うところがあります。ズラッと並んでいるロウソクの1本に火をつけると、すべてのロウソクに一斉に火が着くんです。どういうことだろうと思って見ていると、ジアに尻尾が生えてきます。しかも彼女の目や口から9本も生え、相手の男の精気を吸い取る。これは九尾の狐ですね。9本の尻尾が生えた狐が女性に化ける九尾の狐の話は日本でもよく知られていて、玉藻前(たまものまえ)という平安時代の女性が実は中国から来た狐の化身だったという内容です。ちなみに、全国各地の人を殺してしまうような強烈な火山性ガスが発生している場所には、九尾の狐の死体だとされる殺生石があります。

九尾の狐は元々は中国の話。紀元前11世紀の殷で妲己(だっき)という美しい女性に魅入られた王様が国を滅ぼしてしまうという伝説があります。ちなみに酒池肉林という言葉もこの伝説が由来で、肉林とは肉が枝からぶら下がっていた状態なんだとか。中国から日本に伝わった話なので、その間に位置する韓国にも九尾の狐の話があるわけですね。ちなみに、韓国では九尾の狐が「クミホ」と呼ばれていることがドラマで説明されています。韓国の伝説だと、千人の男性の魂を奪うと九尾の狐が人間になるという話で、第6話はこの伝説を基にしたストーリーなのです。

ジアが魂を吸い取るとそこへ母がやって来て、そこで交わされる2人の会話から分かるのは、元々ジアは普通の娘だったけど九尾の狐に取り憑かれ、100人の魂を吸い取ると人間に戻れるそうです。つまり母は元の娘を取り返すために、九尾の狐であるジアに男を誘ってはその魂を吸わせているということ。九尾の狐をジアに呼び込んだのは、韓国独特のシャーマニズム、いわば悪魔祓いをする巫堂(ムーダン)。アフリカのメディシン・ドクターやブードゥーなど、キリスト教が入って来る前から呪術やおまじないを行う人はたくさんいますが、巫堂はその韓国版です。

ジュディ・ガーランドもジアも“母に支配された悲劇の娘”

母が男を連れてきて「もうすぐ100人になるから」と男の魂を吸わせ続けているという東洋的なストーリーが、さらにハリウッドの実在の女優ジュディ・ガーランドと重ねられている第6話。ジアはジュディにとても憧れていて、自分を投影しているところがあります。なぜなら、ジュディもジアのように母に支配された人だったからです。

ジュディは貧しい芸人夫婦の間に生まれ、2歳の頃から人前で芸をさせられたり歌わされていました。ゲイである父は母との間に愛がなく、ジュディが13歳の時に亡くなってしまいます。母はジュディを徹底的に働かせてお金を稼ごうとし、眠らせないことと痩せさせることを目的に、娘へ覚醒剤を与えてました。つまり母が娘を自らヤク中にしてしまったわけです。ひどい話ですね。しかも当時アーサー・フリードというロリコンのプロデューサーがいて、ハリウッドでは誰もがそのことを知っているのに、母は仕事が欲しくて幼いジュディをフリードに与えました。今回のジアと母の物語は、九尾の狐を基にしながらジュディの実人生とも重ねているという、すごい話になっているのです。ちなみに母によってフリードに売られたジュディは『オズの魔法使』でスターになりますが、薬の問題や子供の頃のトラウマによってどんどん精神が崩壊していきました。

では、なぜ母は自分の娘であるジアに九尾の狐を乗り移らせたのか? 実は彼女はジアを未婚の母として産み、その後ある男性と結婚したのですが、その男がロリコンでジアを犯してしまいました。アーサー・フリードと同じですね。それを知って嫉妬した母が、九尾の狐をジアに乗り移らせ、夫を殺させたことが分かります。すさまじい話ですね。ジアには娘の頃の記憶がないのですが、男を殺すたびに相手が持っている記憶を吸い取るという能力があり、殺した父の記憶を通して娘だった頃の記憶を持っているという、ややこしい話にもなっています。

米軍による朝鮮戦争下の民間人虐殺は本当にあった!

そして1950年、とうとう朝鮮戦争が開戦。金日成が中国やソ連と結託し、38度線を越えて韓国に侵略します。ちなみに私のおじさんはその頃ソウルで歯医者の見習いをしていて、ある日起きたら周りに戦車がいっぱいあってビックリしたそうです。おじさんは医者だという理由で拉致され、洗脳キャンプみたいな場所へ送られそうになりましたが自力で脱出し、米軍に助けられてサンフランシスコで歯科医の免許を取ったという波乱万丈の人です。しかもその前は東京の文京区の高校に通って上野の近くに住んでいたため、東京大空襲にも遭いました。朝鮮戦争と東京大空襲の両方を体験したなんて大変ですね。

話を朝鮮戦争に戻しましょう。ソウルが北朝鮮軍に攻められ、テグが韓国の臨時の首都になりました。そして米軍がたくさんいる状態になり、ジアが勤めている病院も野戦病院のようになります。その病院には彼女の親友がいて、「親に人生を支配されちゃダメよ」とジアに言うんです。母に人生を支配されていたジアは、そこで初めて救われた気がしました。

そんな中、米軍が「この病院には北朝鮮のスパイがいる」と疑い始め、看護師たちを拷問したり殺していきます。米軍がこんなひどいことを韓国の民間人を相手に行ったのか?とビックリすると思いますが、実は本当のことなんです。1950年7月26日から29日にかけて起きた老斤里(ノグンニ)虐殺事件で、ある戦闘地域を移動する民間人を米軍のウィリアム・B・キーン少将が北朝鮮のスパイとみなし、北から逃げてきた避難民を片っ端から殺したのです。その数は300人を超えるといわれています。この事件に限らず、似たようなことは各地でもあったそうです。1990年代まで米軍はこの虐殺を否定していましたが、1994年頃から検証が進んでいろんな形で記録が残り、米軍も事実として認めるようになりました。この事件がエピソードの基になっているわけです。

同じような魂を持つアティカスとジアが運命的に惹かれ合う

ここで『ラヴクラフトカントリー』を見ている人は衝撃を受けます。なんとジアの親友を殺したのがアティカスだった! 彼には何らかのトラウマがあることは分かっていましたが、このことだったのですね。『ラヴクラフトカントリー』のエンディング曲であるニーナ・シモンの「Sinner Man」に「罪人よ、どこに逃げるんだ? お前に逃げ場はあるのか?」という歌詞がありますが、あれはアティカスのことだったのです。

さらにややこしいことに、その病院へアティカスが怪我人として入院します。ジアにとっては親友を殺した憎い男ですよ。ところがアティカスは夜になると泣いている。彼は近眼で眼鏡をかけているのですが、眼鏡が割れて本が読めないので代わりに読んでくれとジアに頼みます。その本は、アレクサンドル・デュマの「モンテ・クリスト伯(巌窟王)」。父のモントローズが読んでいた本ですね。無実の罪で島流しにされた男が、脱出して大金持ちになり復讐を誓うという話です。2年前にディーン・フジオカ主演のドラマが放送されてたから、みんな知ってますよね。

アティカスはもう少しで「モンテ・クリスト伯」を読み終わるところでしたが、そこでジアが突然ストーリーを語り始めます。「最後には婚約者だったメルセデスと結ばれて添い遂げるけど、あまりにも出来すぎた話よ」と。するとアティカスは「それはハリウッド映画のエンディングで、原作は違う」と否定します。「モンテ・クリスト伯」はハリウッドで何度も映画化されていて1948年にはミュージカルにもなっているのですが、アティカスの言うハッピーエンドがどの映画を指しているのか私も分かりませんでした。まあ、ハリウッドは「緋文字」みたいな物語までハッピーエンドにしてしまいますから、そういう一般論のニュアンスかもしれませんね。

ここでジアは理解します。アティカスは親友を殺した冷酷なアメリカ人だと思ってたけどそうではなく、物語を愛する人だということ。そしてジアも映画を愛している。2人とも映画や小説など現実と違うものの中に救いを求めていて、似たような魂の人なのかもしれない、と思い始めるのです。そこから2人は恋に落ちていきます。そしてアティカスは、父モントローズに虐待されていたことを彼女に告白します。モントローズがゲイなのにそのことを受け入れられなかったことが虐待の理由であることがすでに分かっていますが、これはジュディ・ガーランドの父がゲイだったことともつながってきます。だから彼は小説の世界に逃げ込んでいたのですが、それはジアも同じ。2人は同じような心の傷を持っていたのです。

ここで「モンテ・クリスト伯」からの引用があります。「死に最も近い体験をしたから、生の喜びを知ることができる」。これは無実の罪で島流しにされたモンテ・クリスト伯が最後の方で語る言葉で、ドラマではアティカスのことを指しています。アティカスはジアの親友を殺したことに罪の意識を感じていて、毎日眠れずに泣いていました。またここでは、作者のデュマが黒人で、父親がナポレオンの最強の軍人だったことが語られます。このように『ラヴクラフトカントリー』は、ありとあらゆる文学や映画が複雑に絡み合った話なのです。今回はラヴクラフトにまつわるネタがないという問題がありますが、それ以上にいろいろあるから良しとしましょう。

親によって傷つき、そして戦争によって傷ついたジアとアティカスはとうとう結ばれます。その時ジアはこう言います。「こんな私たちだって人間になれるのよ。なろうとすれば、なりたい人になれるのよ」と。そして2人は映画のスクリーンの前で抱き合い、白い光で映写される──つまり2人は映画の中にいる形になっています。映画を見て物語にのめり込んだり主人公に感情移入するということは、なりたい人になろうとすること。心に傷があって自分を受け入れられない人たちにとって、物語は救いなんです。

ところがジアの母は「お前が誰かに愛される資格なんてない。いつかお前の尻尾が相手を殺すよ」と言い、徹底的に否定します。そして母が言ったことは的中し、尻尾が暴走してアティカスを殺しそうになります。その時ジアはアティカスの記憶、つまり過去を見るのですが、彼の未来も見ることになります。そこではアティカスが何者かに縛りつけられ、殺されてしまいます。これが前回描かれていた“タイタスの書を解いたら死ぬ”のことで、すでにジアに予言されていたのです。

ジュディ・ガーランドの悲劇的な人生を知らないと第6話のテーマを理解できない

アティカスが去った後、ジアと母は雪山に暮らす巫堂に会いに行きます。この巫堂がなぜか小池百合子みたいな人なのですが、その背景でずっと聞こえているのが、晩年のジュディ・ガーランドが自らの人生の思い出を語った「Judy Speaks」という録音の音声。彼女の自伝の基にもなっていて、彼女がどれほどハリウッドや母によってひどい目に遭ったかを語っている、すごい内容です。私はずっと犠牲者だった。ひどい目に遭わされてきた。でも、みんなは私をひどい子だと言う…。晩年のジュディは薬のせいで精神が崩壊し、ハリウッドから追放され、コンサートもできなくなりました。そして周りからも「まともじゃない」「仕事がちゃんとできない」「壊れている」などひどいことを言われ、子供の親権まで奪われ、何もかも失っていきました。そのあたりは『ジュディ 虹の彼方に』で描かれている通りです。

今回は本当にヘビーな内容でしたね。朝鮮戦争における虐殺もそうだし、九尾の狐の話とハリウッド女優ジュディ・ガーランドの悲劇の結びつきも、普通だったら考えつきません。ただ、ジュディの悲劇的な人生を知っているという前提で作られているので、そのことを知らないと第6話のテーマ自体も理解できませんよね。なぜジュディのミュージカル映画が登場し、なぜジアがジュディに憧れているのか、そしてそもそも最後の女性の語りがジュディであることも分からない。今回は実に映画的な教養が必要なエピソードでした。

第6話の監督はヘレン・シェイバーという女優だった人で、昔サム・ペキンパー監督の『バイオレント・サタデー』にも出演していました。その後彼女は監督に転身して多くのテレビドラマの監督を務め、最近も『ウエストワールド』や『スノーピアサー』のドラマ版など精力的に演出しています。黒人監督や女性監督といった今まであまり仕事を与えられなかったような人たちをあえて起用し、なおかつ黒人問題、女性の問題、ゲイの問題といった、1950年代の歴史の陰で日本・韓国・アメリカで押しつぶされ声を与えられなかった人たちの声を、怪奇の枠組みの中で霊的なものとして聞かせようとしている。本当に志の高いドラマですね。

以上、第6話の解説でした。この先、ジアがアティカスとどう絡んでくるのか? そのへんも非常に楽しみです。ではまた!

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