#2「月に降りた白人」/町山智浩が『ラヴクラフトカントリー 恐怖の旅路』全10話を徹底解説

※スターチャンネルEX、BS10 スターチャンネルでの本作の配信・放送予定はございません※

社会派ホラー映画『ゲット・アウト』のジョーダン・ピール監督と現代屈指のヒットメーカー、J・J・エイブラムスが組んだ話題の社会派SFドラマ『ラヴクラフトカントリー 恐怖の旅路』(全10話)。さりげない描写に込められた深い意味やメッセージをしっかり読み取れるよう、アメリカ文化に詳しい映画評論家・町山智浩さんに1話ずつ見どころを解説、独自にポッドキャストで配信!本記事ではそんな解説ラジオの内容を完全文字起こし!本編をご覧になった方、ぜひこちらをお聞頂き(お読み頂き)『ラヴクラフトカントリー 恐怖の旅路』の細部までお楽しみください。

ラヴクラフトに影響を与えたSFホラーの先駆者

第2話は、行方不明の父親を追う主人公アティカスとガールフレンドのレティーシャと伯父さんのジョージ、この3人が、父親が行方不明になった町アーダムへ行きます。この町は、ラブクラフトの小説に登場する、実在しない土地アーカムのことです。そこで怪物に襲われたアティカスたちは、ある城にたどり着きます。

この城はブレイスホワイトという貴族みたいな大金持ちが所有していて、棟主のクリスティーナは前話でアティカスたちをKKKから助けてくれた女性。そこへ迎え入れられたジョージは大喜びします。彼はブラム・ストーカーの「ドラキュラ」などホラー小説が大好きで、「すごいぞ!このお城にはブラックウッドもホジスンもある」と言うんです。

ブラックウッドとホジスンはラヴクラフトより少し前の時代の作家で、彼に大きな影響を与えた人。それまでの怪物やお化けが登場するゴシック・ホラーに、科学的な知識を盛り込み、ホラーとSFを合体させました。ウィリアム・ホープ・ホジスンは1877年に生まれ、1907年に書いた「異次元を覗く家」はラヴクラフトにすごく影響を与えています。この小説は、荒野に建つ家がこの世と異次元の境目になっていて、時間や空間を超えたとんでもないものを主人公が目撃するというSFホラー小説。「異次元を覗く家」に影響を受けたラヴクラフトはコズミック・ホラー(宇宙的ホラー小説)を書きますが、ホジスンはそれよりも前に宇宙的ホラー小説を書いていたのです。

奴隷農場を思わせる光景と“ラヴクラフトの世界”との接点

ジョージが大喜びしている城の持ち主は、元々はタイタス・ブレイスホワイトという男だったと説明され、フードをかぶっている男の肖像画が示されます。これはアレイスター・クロウリーというイギリスの神秘主義者がモデルになっていて、男はクロウリーの真似をしてフードをかぶっているわけです。この城は謎の教団による持ち物で、その秘密結社の教祖がブレイスホワイト。彼はどうやってこれだけの財を築いたかというと、どうも奴隷貿易をやっていたらしい。ラヴクラフトの小説はマサチューセッツ州のセイラムという港町をモデルにしていますが、セイラムはかつて魔女狩りが行われていた場所で奴隷貿易の拠点でもあり、そのあたりがベースになっています。

ブレイスホワイトの城の周りには農場があり、黒人労働者たちの働いている姿が見えます。これはどう見ても南部の奴隷農場にしか見えません。犬を使って労働者たちをコントロールしている女性も見られますが、これは南部で黒人たちを見張り奴隷たちをこき使っていたオーバーシーヤー(監視者)という貧しい白人がモデル。オーバーシーヤーが犬をけしかけて労働者を噛み殺させる姿は、クエンティン・タランティーノ監督の『ジャンゴ 繋がれざる者』でも描かれていましたね。このように、城の周りは南北戦争前の奴隷農場が保存されているような場所になっていたのです。

この農場では牛を飼っていて、クリスティーナが牛に怪物を産ませるというシーンがあります。その怪物とは前回にも説明したラヴクラフトの小説に登場するショゴスで、古代に地球へ飛来した異星知生体「古のもの」が使っていた奴隷生物。体が不定形でいろんな道具に形を変えることができ、「古のもの」は道具を作る代わりにショゴスを使って文明を築いていた。ブレイスホワイトはこのショゴスを育て続けていたらしいのです。

ブレイスホワイト家では創始者のタイタス以来、「アダムの息子たち」が代々秘密結社を続けていて、その秘密結社は「古代の夜明け団」と呼ばれています。これはアレイスター・クロウリーによる実在の秘密結社「黄金の夜明け団」のパロディのようなもの。また、背中につけているバラのマークも「薔薇十字団」という秘密結社を基にしています。このように「古代の夜明け団」は実在のカルト集団がベースになっているのですが、彼らが信奉するのはヨグ=ソトース神という宇宙から地球に飛来した神。こちらも形が不定形で、キリスト教におけるエホバ(主)のいわばダークサイド版。その神の力を用いるための闇の聖書が「ネクロノミコン」と呼ばれる魔導書で、クトゥルフ神話というラヴクラフトが創造した闇の宗教体系です。

旧約聖書の「創世記」に「神が自分を似せてアダムを作った。そしてすべての生物を後から作り、そこに序列を設けて人間をトップに置いた」とありますが、この考えはラヴクラフトが書いた「ニガーの創造」という差別的な詩の基になっています。「ニガーの創造」とは、神が創造した人間と動物の間を埋めるために作られたのがニガー(黒人)だ、という大問題になった内容。「古代の夜明け団」は、そうした白人至上主義を白人と黒人が平等になりつつある現代に再生させようとしている団体で、いわば白人至上主義の魔術団なのです。

主人公の驚くべき血筋に込められたラヴクラフトの恐怖と哀しみ

ところがここで驚くべきことが分かります。ティックと呼ばれる主人公アティカスは、実はブレイスホワイトの子孫だったのです。これも非常にリアルなことで、アメリカの黒人の3割以上が白人のDNAを持っていることがハーバード大学の調査で明らかになっています。なぜそうなったのかというと、奴隷を所有する白人にレイプされた黒人女性たちの子孫だから。これは別に隠されていた事実ではありません。白人奴隷主にとって黒人奴隷は自動車や不動産と同じように資産だったので、納税のために記録が残されていて、白人が黒人奴隷に産ませた子供のことも記録されています。ミシェル・オバマが白人奴隷主と黒人奴隷の間に生まれた子孫という話は有名ですが、こうしたことが税務上の書類で申告されているため分かったのです。

そしてブレイスホワイトの血を引くアティカスが「古代の夜明け団」の儀式に必要となります。白人至上主義の儀式のために黒人を使わなければいけないという、そのあたりの逆転が面白いですね。このように主人公が呪われた血を継いでいることが分かる、という話をラヴクラフトは何度も書いています。病弱だったラヴクラフトには「自分は近親相姦で生まれて遺伝子的に問題があるんじゃないか」という強迫神経症じみた恐怖があったようで、同時に「白人に黒人の血が混じることが恐ろしい」という恐怖もあり、それらがねじくれた形で小説に表れたわけです。

彼の小説「インスマウスの影」でも、主人公がインスマウスという水棲生物と人間との混血の子孫であることが重要なポイントになっています。他にも「壁のなかの鼠」という短編で、主人公がブレイスホワイトの古城のような所へ行き、自分が呪われた祖先の血を継いでいることを知ります。また「ダンウィッチの怪」でも、異星から来た生物のヨグ=ソトース神と人間との混血である主人公が、ヨグ=ソトース神に近い不定形生物へとどんどん変形していきます。上半身は人間だけど下半身はタコのようにたくさん足が生え、ウロコが出来て巨大化するのですが、これらの話はいずれも「呪われた血から逃れられない怖さと哀しさ」が描かれているわけです。「ダンウィッチの怪」の主人公も本人は何も悪いことをしていないのに、呪われた神の血のために人間でいられなくなる。では、こうしたラヴクラフトの混血に対する恐怖が差別的かというとそうでもなく、「自分もその一人だ」という不思議な書き方をしているわけです。

古代に宇宙からやって来た異星生物が実は昔に地球を支配していた。何らかの形で彼らの文明が崩壊し封印され、今は闇に潜んでいる。彼らを術で呼び出すことによって、現在の人間社会の秩序が破壊されてしまう──ラヴクラフトはそんな話ばかり書いているのですが、ここで面白いのは、異星生物が悪かどうか判断できないこと。

かつて地球を支配していた異星生物は、一種の神。キリスト教などの宗教における神はいずれも新しく、せいぜい2000年程度の歴史しかありません。異星生物はその神々より昔の何万年も前から地球を支配していて、その名残で人類に崇拝されてきたという前提があるわけです。例えばイギリスのストーンヘンジという遺跡も、ラヴクラフトの小説では「古代の神々を崇拝した名残だ」と書かれています。ハロウィンの元になったドルイド教もそうですが、これらはキリスト教やイスラム教や仏教が広がる前からあった古き神々。この古き神々には善悪があまりなく、人に善いこともするし殺しもする。神に善悪が生まれて倫理的なモラルがはっきりしてくるのは最近のことで、それまでの神とは恐ろしい怪物だった。いわばゴジラやクトゥルフのように。ラヴクラフトは「怪物が蘇ると恐ろしいことになる」と書きながら、「私(主人公)はそれらと関係がある」とも書いているわけです。そして同時に、古き怖き神々への憧れも書かれているのです。単にその存在を怖がり嫌っているように語られていないところが、すごく複雑ですね。

古の神とつながる力を持つ黒人への恐怖と憧れ

もう一つ、ラヴクラフトが抱いていた黒人への恐怖について見ていきましょう。黒人はブードゥーというキリスト教とは異なる宗教を持っていますが、これはおまじないや病気を治すために昔からあったもの。そして古の神とつながっています。いわゆる魔女や魔術はみんな、キリスト教以前の神──キリスト教において悪魔と呼ばれるものと接触することによって、自然そのものの中に潜んでいるパワーを引き出そうとする。そうした力を持っている黒人に対する恐怖を抱きつつ、同時に不思議な憧れのようなものも持っていたのが、ラヴクラフトの特殊性です。

ラヴクラフトは「壁のなかの鼠」に登場する黒猫のことをニガー(黒人野郎)と呼んでいます。じゃあ、その黒猫のことを嫌っているかというとそうではなく、いい黒猫として描かれている。白人の文明や人知を超えたものを黒人が持っていること、また古の神とつながっていることへの変な恐怖もあるわけです。ノイローゼみたいな話ですよね。たぶん彼はパラノイアだったのでしょう。そうした意識を現代の視点から、しかも黒人の視点から描いているのが『ラヴクラフトカントリー』の画期的なところです。

秘密結社の儀式で聞こえる曲に込められた絶妙な皮肉

そして「古代の夜明け団」による儀式が始まり、アティカスを使ってヨグ=ソトース神の力を引き出そうとします。ここでラップみたいな不思議な音楽が聞こえてきます。アフリカン・ビートに合わせて何かを朗読しているのですが、歌詞の内容は「俺の妹が鼠に噛まれちまって腫れ上がった。それはホワイティ(白人野郎)が月に行ったからさ」。どこかで聞いたことがある人も多いと思います。デイミアン・チャゼル監督の映画『ファースト・マン』でまったく同じものが流れていましたね。

『ファースト・マン』は1969年にアポロ11号で人類初の月面着陸を成し遂げたアームストロング船長の物語です。この歌は1970年に録音された「Whitey On the Moon」で、アポロ11号の打ち上げ時には存在していません。「黒人はこんなに貧乏で苦しんでいるのに、月ロケットなんて打ち上げてるんじゃねえよ。その金を福祉に回せよ」という歌で、ラップの元祖と言われる黒人の詩人ギル・スコット・ヘロンによる詩の朗読とされていますが、リズムに合わせて韻も踏んでしゃべっているので歌にしか聞こえません。「俺たちは医療費や家賃が払えない。月に白人なんか送ってるせいだよ。いくら金をかけてるんだ? なぜ黒人がこんなに苦労してるのに、その金を福祉に回さないんだ?」というアポロ11号への批判的な視点として『ファースト・マン』で使われていました。そして『ラヴクラフトカントリー』では白人至上主義者が自分たちの地位を取り戻すために黒人を利用するというシーンで使われていて、まさにピッタリの音楽です。

なお「Whitey On the Moon」の歌詞はマーヴィン・ゲイにも影響を与えています。マーヴィン・ゲイはモータウンのシンガーソングライターで、すべてが政治的な歌詞である「What's Going On」という世界の音楽史に残る名作R&Bアルバムを作りました。その中の1曲「Inner City Blues」の歌い出しが「Whitey On the Moon」とまったく同じなんです。「月にロケットを飛ばしたって、俺たち黒人の貧しさは何も救われてないんだ」という歌詞で、「Whitey On the Moon」が影響を与えたと言われています。古代の神々への憧れや人種差別を、当時と現代における白人・黒人のポリティカルかつ社会的ヒエラルキーの問題を絶妙に交えている『ラヴクラフトカントリー』は、本当によく出来たドラマですね。

毎回エンディングに流れる曲も素晴らしい。これは、ジャズやR&Bの先駆者である黒人女性歌手ニーナ・シモンの「Sinnerman」をアリス・スミスが最近カバーしたものです。ほとんど同じ演奏ですが。Sinnermanとは「罪深き男」という意味。罪深き男は逃げて岩場の陰に隠れようとするのですが、何から隠れようとするのかというと、聖書で書かれている「裁きの日」。最後の審判の日が来るから、罪深き男は裁きを受ける。神の王国が地上にやって来るから、その時に私は罪深き男だから罰せられる。だから逃げるわけです。そして罪深き男が神に向かって「助けてください」と言うと、神は「私はお前を助けない。お前は悪魔に頼め」と言うんです。そして罪深き男が悪魔の元へ行って「助けてください。私に力をください」と言うと、「パワー」という歌詞へと続く。元々は黒人が教会で歌うゴスペルソングだったのですが、善悪を超えたものすごい人間の業みたいなものを歌っているように聞こえます。「神様助けてください」「悪魔の所へ行け」「悪魔よ、力を下さい」という、ラヴクラフト的な人間のねじくれたところが短い歌の中で歌われていて、本当にすごいものを感じさせます。なお「Sinnerman」はデヴィッド・リンチ監督が『インランド・エンパイア』のエンディングで娼婦たちに歌わせていて、再評価が高まっている曲でもあります。先ほど話した『ファースト・マン』や『インランド・エンパイア』などのいろいろな要素が、このドラマの中に入り込んでいると思います。

最後に、「モンテ・クリスト伯」──日本では「巌窟王」と呼ばれていますが、この内容もドラマのポイントとなっています。牢屋に閉じ込められたアティカスの父親が脱出するために、巌窟王のように壁を掘って逃げるシーンがありますが、これも非常に重要。それは「モンテ・クリスト伯」を書いたアレクサンドル・デュマも黒人だったから。デュマの父はナポレオン軍の中でも「黒い悪魔」と呼ばれた最強最悪の将軍でした。その息子が世界最高のベストセラー作家になるというのも、黒人と文化の関わりを引いていて面白いですね。

以上が第2話の解説でした。本当に解説しがいのあるドラマですね。ではまた!

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