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2020/12/11の星の声

どーーーーーん!!!


星空に見立てて設置した店中の照明を消す時は、一日の仕事が終わるサインのはずなのに、その日は違った。外の街灯の明かりだけが店内をほのかに照らす中、普段ならお客さんが座る椅子に座って、しばらくの間動けなくなってしまった。頭の中を駆け巡るのは、ずっと同じ言葉だった。


オレはいったい何をしているんだ?


山に囲まれた田舎が嫌だったオレは少しでも早く都会に行きたかった。好きな服を買おうにも、近所にシャレた店なんてないし、モテたくてカッコよくなりたくて少し離れた町の美容室に行っても、違和感ばかりが残る仕上がりになるし、正直オレはうんざりだった。そんな故郷に比べて、大都会は目移りするほどに煌びやかで、そこらかしこを歩く人がみんな美しく見えてしかたなかった。

実家を出て大都会で暮らしたのは10年ちょっと。どこも家賃が高いから、ギリギリ借りられたのはずいぶん古びたアパートだった。わりと近くに大きな国道や高速道路が通っているから、故郷の山々を伝う清々しい空気とはまるで違う世界の中でしばらくの間呼吸をしていたが、その時も同じ言葉が頭の中をぐるぐるとしていたことを思い出した。


オレはいったい何をしているんだ?


手に職をつけるために、下積みの頃はとにかくがむしゃらに働いた。誰よりも練習すれば、明らかな成果が出る仕事だったからだ。おかげで、思いのほか早く努力は実った。休みの日は自転車で古着屋を巡って、少ない給料を最大限に活用して誰よりもカッコよくあろうとしたことも、奏功したらしい。

その頃はスーパーの見切り品の肉やもやしが毎日の食事だった。少なくとも月に1回は実家から荷物が届いたおかげで、米や味噌は十分すぎるくらいにあったから、食べ盛りのオレにとって不自由はなかった。親からの仕送りは、家賃を払い続けるために使った。あの頃は当たり前のように受け取っていたが、今考え直せば、親だって決して多くはない給料を捻出していたに違いない。数ヶ月に一度は、両親ではなく祖父母から届いていたことから察するに、おそらくそうだったんだろう。

お客さんがつくようになって、オレはいろいろな人生を目の当たりにすることになった。お客さんとの会話も仕事のひとつだったから、時には悩み事を打ち明けられたりした。他人にアドバイスできるほどできた人間じゃないことは百も承知だったが、オレは義理人情に厚いからか、どんな人の話にも親身に受け答えしていた気がする。苦労している人、ツラい思いをして生きている人がこんなにも多いだなんて、オレにとっては毎日が衝撃だった。

そのおかげで、オレは自分の仕事を生かすための方向性が定まってきた。どんなお客さんをも懐深く受け入れ、お客さんそれぞれがもつ美しさを引き立たせるような店が持ちたいと思い始めた。それが今、オレが照明を消した店だ。

オレは大なり小なりさまざまな目標を達成してきた。愛する妻と出会って、夫婦二人三脚で、ほんとうにたくさんの夢を実現した。子どもを授かったこともそのひとつだ。オレはとにかく子どもが好きだ。子どもがのびのびと暮らせる環境の中で仕事がしたくて、のどかな生まれ故郷へ戻って自分の店を始めることができたのは間違いなく妻のおかげだ。

それなのに、今オレは誰もいない仄暗い店内でこうして過ごしている。ここまで、すべてが順調ではなかったことは確かだ。やりたいことはいくらでもある。だが、社会の状況や、個人的な経済状況のことを考えると、諦めたり保留したりせざるを得ないことが多い。

オレたちの店を支えてくれているスタッフのことも考えれば、決断の一歩が難しくなるのはしょうがないのかもしれないが、自分自身のどこかには、オレならできるという確信があるのに、不安や心配の方が勝って臆病になっている自分自身に腹が立ってしょうがない。

すべてはオレのせいだ。それなのに、妻や子ども、スタッフのせいにしてしまう時もあるんだからほんとうにタチが悪い。オレはジレンマを抱えている自分自身にうんざりしていた。でも、どうしたらいいかわからない。そんな思いを手当たり次第に浮かばせる夜だった。

店内の装飾を見渡していると、いくつか修正したいところがあった。むしろこんな状態でお客さんを迎えていたのかと思うと、憤りを通り越して少しゾッとした。さっきから無意識についているため息が空間に充満している気がして、空気を入れ替えようと椅子から立ち上がった時、入り口の扉がすっと開いた。風のいたずらじゃ開かないくらいの重たい扉だから、にわかに信じ難かったが、そこには人じゃなく、人の形をした光がいた。

オレは目を疑った。光が、確かな足取りでこちらに向かって歩いてくる。今までに見たことがないような光だった。一見すると、太陽を直視したときのような閃光を放っているのだが、まるで満月を拝むかのような明るさだった。

光は一歩一歩、オレに近づいてきた。恐怖はなかった。むしろ、温かみを感じる光に惹かれて吸い込まれそうになるくらいだった。オレの目の前で立ち止まった光は、人間の輪郭を縁取ったような形をしていて、大柄なオレよりはいくらか背が低かった。これまで見てきた女性のお客さんの多くと同じくらいのように思えた。

光は、オレの額に向かってゆっくりと手を伸ばし始めたのだが、この時オレは身動きひとつとれなくなっていた。一瞬だけ死がよぎったのはすぐにオレの脳が作り出した幻だと気付いた。大袈裟ではなく、その光からは愛しか感じられなかったからだ。

光の手からすっと指が伸びて、オレの額に触れた次の瞬間、幼い子どものような可愛らしい声が聞こえた。


「どーーーーーん!!!」


オレは思わず目をつぶったが、まぶたの裏側は光に溢れていた。目を開いても明るさは一切変わらない。とても不思議な感覚だった。思い返せば、オレが聞いた「どーーーーーん!!!」も、耳で聞いたというより全身全霊に響いたという方が正しいように思えた。


「オレはいったい何をしているんだ?」



光は、さっきまでオレが抱えていた言葉を口にした。復唱するように、オレも声に出した。


「オレはいったい何をしているんだ?」


それを聞いて光は笑った。腹を抱えて身をよじらせるように、くにゃんくにゃんに歪んだ光は、しばらくの間笑い続けた。オレはおそらく正気だった。笑われて腹が立ったからだ。目の前にいる光が愛のようだと思えても、その光に対して、烈火のごとく怒鳴り散らした。


「何が可笑しい!!!!!」


そう叫ぶと、今まで抱えていた鬱憤をすべて吐き出せたのか、急に体が楽になった。知らぬ間に、あちこちに力が入っていたことが、この時になって初めてわかった。ふわふわにとろけた体はもはや力が入る気配などなく、声を出そうにも、腹に力が入らなくて、吐息まじりの優しい声にしかならなかった。


「どう考えたって可笑しいでしょ?」


光は澄み切った声でそう言ったが、オレにはさっぱりわからなかった。どこにも力が入らず、喜怒哀楽が起こらない。ついさっき出て行った威勢のいい声は、あっという間にどこかへ行ってしまったようだ。


「ウジウジしてると、終わっちゃうよ」


そう言い残して、光は消えてしまった。暗い店内にはオレしかいないくなった。頭の中が整理できないままひとつ呼吸をすると、店のバックヤードから妻が入って来た。


「急に大声出してどうしたの!?」


驚きと不安が混じったような妻の表情を見るかぎり、怒鳴り声は妻の元に届いていたらしい。オレは今あったことを話すことはできなかった。代わりに、店内の装飾で気に入らない部分があった憤りと、漠然と抱えていたフラストレーションをただ吐き出したんだと伝えた。しかし、妻は信じようとしなかった。


「何か良いことあったの? 顔に書いてあるんだから隠さずに言って」


そう言われて、オレは思わず鏡の方を振り向いた。普段ならお客さんの顔や髪を見るために使う大きな鏡に映ったオレの顔は、自分でも見たことがないくらいに緩み切って、口角はわかりやすいくらいに上がっていた。その顔を見て不意に思い出したのは、妻が子どもを分娩した直後、助産師さんがスマホで撮ってくれた家族写真にうつる自分の顔だった。オレは大して考えもせずに妻にこう伝えた。


「オレ、光を見たんだ」


それを聞いて、妻は大笑いした。腹を抱えて身をよじらせる様子は、光が笑っている時とうりふたつだった。妻がどうしてこんなに笑っているのかを推測したが、緩んだオレの顔と口にした言葉の組み合わせが可笑しかったからだろう。あまりにも長いこと妻の笑いが収まらず、オレは痺れを切らした。


「何が可笑しいんだよ?」


妻は苦しそうに息を切らして顔をくしゃくしゃにしたまま、声を絞り出すように答えた。


「どう考えたって可笑しいでしょ」


オレにはあの光と妻が重なって見えた。オレが何も言えずに妻が落ち着くまで見守っていると、妻は懸命に呼吸を整えながらオレに向かって微笑みかけた。


「わたしたち、何してるんだろうね」


その言葉を聞いて、いつの間にか錆び付いて動く気配のなかったオレの奥底にある何らかのスイッチが突然作動した。自分がため込んでいた思いや考えが口をついて出てきた。今は何時なのか、子どもはどうしているのか、暗い店内で何をやっているんだ、などと、オレの頭の中にはいくつもの疑問が飛び交ったが、オレには溢れ出てくるものを止めることはできなかった。おそらく妻も同じことを考えていたはずだが、妻は何度も頷きながらオレの言葉をひとつ残らずすべて受け入れてくれた。

どれほどの時間が経ったのかはわからない。今言葉にできるすべてを出し切ったオレは何度も大きく深呼吸をした。妻はオレのことを真っ直ぐに見たまま、オレが投げつけた言葉をていねいに拾い集めてくれているようだった。すると、妻はこちらをじっと見たまま、オレの額に手を伸ばした。まるで何かを掴むような手つきで額の真ん中に触れると、指で擦るようにしたがすぐに手を離した。

どうかしたのかと訊ねると、妻は片眉をあげたまま不思議そうな面持ちで答えた。


「ラメみたいにキラキラした光が、おでこにいくつもくっついてるの」


オレは思わず額を擦ったが、妻は首を横に振った。「何か反射しているのかもね」と言って妻は額からオレの目に目線をおろすと、勢いよく手を振り上げて、オレのお尻を引っ叩いた。店中に響き渡るくらいに大きな音だった。


「ウジウジしてないで、やりたいこと全部やろうよ。きっと大丈夫だから」


妻の言葉と尻叩きで、オレは胸がいっぱいになった。一人でできなかったことも、こうして妻がいてくれたからこそ今までやってこれたんだ。今度はいろいろな記憶が溢れ出して、急に目頭が熱くなった。オレは義理人情に厚いからだろう。


バックヤードから店の裏口に出ると、エンジンを付けたままの車の中で子どもがじっとテレビを見ていた。今日は閉店後にピザを食べに行こうと約束していたことを、その瞬間に思い出した。いそいそと助手席に乗り込む妻を横目に、オレは店の戸締りを済ませた。この愛車だって、乗りたい車を買おうと妻と二人で決めて、奮発して買ったものだと思い返すと、オレはもうすでにたくさんの夢や希望を手にしていることに気がついた。

車だって、子どもだって、妻だって、この店だって、今の自分が生きる環境だって、たくさんのサプライズやミラクルとともに掴んだ、かけがえのない宝物なんだ。運転席のドアを開けた時、また少し涙腺が緩んだが、オレは眉間に力を入れてぐっと堪えると、いつものように素早く席に座って、後部座席にいる子どもの方を振り返って声をかけた。


「おまたせ! ピザ食いに行くぞ!!」


すると、オレの言葉を聞いたか聞いていないのかはわからないが、オレの額に目を向けた子どもが、嬉しそうな表情のまま、オレの額に人差し指を当てた。


「どーーーーーん!!!」








今週は、そんなキンボです。







こじょうゆうや

あたたかいサポートのおかげで、のびのびと執筆できております。 よりよい作品を通して、御礼をさせていただきますね。 心からの感謝と愛をぎゅうぎゅう詰めにこめて。