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2020/11/6の星の声

行く先は、海の底の世界(中編)



ある日のことです。おじいちゃんが運転するおんぼろ軽トラックの助手席で、ピカピカのランドセルを膝の上に乗せた孫のナツメが大きな声を出しました。


「キレイな雲!」


おじいちゃんはハンドルを握ったまま、フロントガラスに顔を少し近づけて空を見上げました。ナツメもおじいちゃんの真似をして、鼻息でガラスが曇るくらいに顔を近づけて空を眺めると、おじいちゃんはタバコの香りが混じった咳払いをして言いました。


「こりゃ、うろこ雲だ」


ナツメは図書館で借りた本を読んだ時にその言葉を見た覚えがありましたが、実物を見たのは初めてでした。魚のうろこにしては、ずいぶんと大きな雲に思えましたから、どんなに大きな魚だろうかと、ナツメはワクワクしながらおじいちゃんに尋ねました。

おじいちゃんは交差点を左折しようと、あちこちに目を配ってから、ハンドルをくるくる回して言いました。


「さあな」


おじいちゃんはその後すぐにもう一度空を見上げてから、ナツメに問いかけました。


「ナッちゃんはどう思うんだい?」


そう言われて、ナツメは口を真一文字にして小さくうなりました。山育ちのナツメにとって、海の魚のことはほとんどわかりません。スーパーで見かける魚も食べたことがないものばかりで、食べたとしても切り身になったものが多くて、ちっともアイディアが浮かびませんでした。

図書館で働くナツメのママや、テレビのクイズ番組を見ても平然と正解し続けるパパくらいに物知りでしたらすぐにわかりそうなことでしたが、ナツメはできるかぎり考えることにしました。

気がつくと、おじいちゃんは小声で演歌を口ずさんでいました。ナツメからの返事を待ちくたびれたわけではなく、頭の中に流れた歌をただ無意識に口ずさんでいるようでした。ナツメはつい最近借りた絵本に出てきた龍のことを思い出しました。

空に浮かんでいて、雲くらいに大きい生き物となったら龍以外に考えられませんでした。ナツメはおじいちゃんの歌をさえぎって言いました。


「きっと龍だよ! 龍のうろこ!!」


おじいちゃんはナツメの言葉に間髪入れずに答えました。


「正解!」


あまりにも早いおじいちゃんの返事に、ナツメはしばらく呆気にとられました。おじいちゃんは答えがわからないはずですから、よく言う冗談なのか本気なのかがわからなくなってしまったのです。運転中のおじいちゃんはナツメを見ないまま、目尻にたくさんのシワを寄せて、歯抜けだらけの口元を緩めました。


「ナッちゃんの言うことは、じいじにとってぜーんぶ正解なのさ」


おじいちゃんはそう言って、また演歌の続きを歌いだしました。ナツメは小さくため息をついて、ガラスに顔を近づけて改めて空を見上げました。夕暮れ前にうっすらと青が変わり始めた空と、うろこ雲の間に充満する光を見ていたら、ふとナツメの脳裏にある景色が浮かび上がりました。

夏休み、ゆるやかな流れの川に向かって勢いよく飛び込んで、泡立つ水中から水面を見上げたときのような光のゆらめきときらめきを思い出したナツメと、ほとんど同じタイミングでおじいちゃんがもう一度口を開きました。


「じいじは、あの空を見てたら、水面を思い出すなあ。ガキの頃に飛び込んだ川とか海とか、水中から見上げた水面はあんな感じだったよなあ」


ナツメは興奮して大きな声を出しました。


「私もそう思った!」


おじいちゃんはさも当たり前かのような顔で何度かうなずき、今度は鼻歌で演歌のメロディーを歌い始めました。光り輝く水面のような空を見上げたまま、ナツメはハッとしました。


「もしかしたら、私たち今、水の中にいるのかも」


それを聞いたおじいちゃんは嬉しそうにナツメをちらりと見て、「正解!」と声を張り上げると、演歌のメロディーをそのまま使って、


「ナツメの言葉は、ぜんぶ正解さ〜」


と歌いました。おじいちゃんの言葉は冗談かもしれないけれど、ナツメ自身も、それが正解のような気がしてなりませんでした。

そのことがはっきりとわかったのは、次の日のこと。ナツメのクラスメートが発した、ある言葉がきっかけでした。






新星、あらわる


庭一面が霜で光り輝く朝、郵便ポストの中に、紙が巻きつけられた石ころが置いてあった。どういうわけか、郵便局の消印までしっかりと押してある。昨日の夕方に見た時はなかったはずなのに。私は差出人の名前を見て思わず笑ってしまった。その紙に書かれた内容もまた然りだった。この星に来てからずいぶん経つが、生きている間に、まさかこんなものが届くようになるだなんて夢にも思わなかった。紙にはこう書かれていた。


一枚目


ハーイ、地球のみなさん。
こんにちは、こんばんは、おはようございます。
みなさんの魂の行方をじっくりと管理監督しております、ギンですよ。


私のこと、ちゃんと覚えてますか?
別に覚えてなくてもいいんですけど、覚えていてくれたら、というよりも、思い出してくれていたら、とーってもうれしいのですよ。

さーてさて。
地球の時間軸で言うところの、ここ二、三日前の話なんですけどね、聞いていただけますか?

いや、実はね、そろそろだなっていう言葉がいちばん的を射ていると思うんですけどね、そのそろそろが、ようやくついに、という話なんですよ。

ゼンゼン意味がわからないって? あっはっは!
そりゃそうですよ。
簡単に意味がわかってしまったら、つまらないじゃないですか。

はっは、冗談ですよ。
なるべくね、その意味が誰にでもわかるようにしたいのはやまやまなんですがね。いや、ほんとうですよ。ウソなんかついたって仕方ないですからね。もし必要でしたら指切りげんまんしましょうか?

じゃあ何が、ようやくついに、なのかということですよ。そこさえわかれば誰だって、ああなるほど、と手を打つに違いありません。ですから、その何が、について、私から少しお話しさせていただきますね。


ようやくついに、新星があらわれたんですよ。


ピンと来ませんかね? これまでに誰も見たことも聞いたこともない星が、あらわれたってことです。宇宙に浮かぶ星のことを指しているわけじゃありませんよ。人間です。歴とした人間なんです。

その人間と言いますのはね、一人ではないんです。大勢います。地上にいるみなさんがびっくりするくらい、数え切れないほどの人、人、人です。しかも、新しく生まれたわけではなく、みなさんの社会の中で、生きながらにして新星になり変わったのだから、それだけでも十分に興味深いでしょう。

彼らは、今のところ無自覚です。自分が新星だなんて、露ほども思っていないでしょうね。でも、それがいいんです。そうであってこそ、無我の連帯が生まれるってことですからね。

ではでは。
ざーーーっと見渡してみましょう、今の世界を。

みなさん、ずいぶんと色めき立っていますね。世界は今、壮大な芝居の真っ最中なのですが、出演している役者たちは真剣極まりないですからね、そりゃ観客のみなさんの多くが心を鷲掴みにされるわけですよ。でもってね、今観客の多くが、みんなで、せーの!で舞台に上がろうと席を立ち始めているわけです。それだけ心を揺り動かすものだということでしょう。

もしかしたら、私のこのおはなしをお届けする、みなさんの中にもいらっしゃるかもしれませんね。
いや、別にいいんですよ。心を動かされることはまったく悪いことじゃありませんし、史上かつてない名演に没入しているわけですから、決してダメなことではありません。例え、あなたがそこで、自分自身を見失ってしまったとしても、まーったく問題ではないのです。


二枚目


少し話は逸れますが、
結果と呼ばれるものの多くは、事実ではあっても真実ではありません。
科学ではじき出した数値、あれもまた事実ですが、真実ではないんですよ。

そもそも私のおはなし自体、事実でも真実でもありませんから、こういうおはなしは、耳半分、脳みそ半分で感じてみてくださいね。

さて、私なりの言葉でお伝えしますと、
事実というのは、柔軟性を欠いた時空のことを指しています。
基本的に固定化されることが多いため、極めて限定的なんです。

では、真実とはなんなのでしょうか?
事実と似ていると思われているかもしれませんが、私から言わせればまーったく違います。

真実とは、事実を得た生命のそれぞれの奥底から浮かび上がる、何にもとらわれていない数々の余白のことなんです。事実とは逆の意味合いで、超柔軟な時空、と言いあらわす方も、もしかしたらいるかもしれませんね。

たいていの人は、事実と真実を混同してしまっているようです。というよりも、事実こそが真実だと思っているケースが多いですね。では、いくつもの事実を並べ立てる人、例えば科学者などの弾き出すデータがすべて間違っているかといえば、もちろんそうではありません。

地球上に何人いるのかは定かではありませんが、優れた科学者ほど、事実と真実の違いをよーく理解しています。ある側面を切り口として研究を進めていけば、その側面に基づく何らかの事実を導き出すことができます。彼らの多くは、その事実や、または他の事実を手がかりにして、真実を手繰り寄せようと日夜努力を続けています。真実がなんたるかを知っているからでしょう。

では別の例を出しますね。100人の科学者がいたとします。もし、99人が同じ事実を口にしたとしても、たった1人が別の事実を口にした瞬間に、99人の中に存在している事実という時空は、突然変化を始めるんです。固定化されていたものがグニャグニャと形を変え始めると、かすかな余白があちこちに、数で言えば99以上は確実に生まれます。その余白こそが、真実なのです。あちこちにある、ということもまたとても重要なことですが、後ほどお伝えしますね。


さて、新星についての話に戻りましょうか。



三枚目


今、みなさんの世界は、まるで時計の振り子のように、地球という星を揺らしながら、左右の極に大きく振れているように見えているかもしれません。ある次元の視点で見るとそれに間違いはありませんが、ほんとうはもっとダイナミックに、あちらこちらに揺れていて、左右という二極では言いあらわせない独特の動き方をしています。

また別の次元の視点で感じてみると、まるで螺旋を描いて上昇するように見えるかもしれませんね。もしそのように感じることができているなら、その方はたった今繰り広げられている役者たちの熱演を、座席に腰をかけたまま微笑ましく眺めていることでしょう。

それとはまた異なる視点も無数にあるのですが、今現時点ではややこしい話になるのは明らかですから、またの機会にしておきますね。


ここまで、私がお伝えしてきたことを踏まえて、此度あらわれた新星のことをみなさんそれぞれで感じてみたら、イメージがしやすくなるはずです。

新星である彼らは、余白を見出した人々のことを指しています。最近の世界は、それぞれの事実を声高らかに主張していますが、新星は、その事実の枠組み(時空)にとらわれずに、事実の数々を感じることから浮かび上がってきた真新しい余白という、真実の世界で生き始めているのです。これは、大いなる変化の前兆として、とても美しい動きのように思います。

また新星と呼べる人々の営みは、自発的で個人的なのですが、その営みに他者への意図がない、というのも大きな特徴でしょう。

これまでの世界では、ある一部の人たちの意図的な動きがあってはじめて、動き出す人々があらわれる、というひとつの流れがあったのですが、もうすでにその流れは機能不全に陥っています。

その結果、ある一部の人たちの中には、これまで以上に意図を強めることをしている人もいます。意図が強まった分、これまでにその意図が届かなかった人がのろのろと動き出すという形はわずかながらに見かけられますが、ほとんどの場合、意図を強めてもエネルギーの浪費になってしまい、激しく消耗するに至ります。

他者への意図がない、新星の人々の純粋な生命活動は、これまで以上に他者に対して影響力を持ちます。しかし、そこに意図が全くない分、感情などによる重々しい拘束力がないため、影響を受けた人々はより自由に、柔軟に、自分本意に、生きることができるようになり、その結果、事実という固定化された時空から抜け出し、それぞれが見出した余白を、それぞれの真実への道として、のびのびと歩むことができるのです。

そうやって新星は、あちこちで日々あらわれはじめています。この流れはそのうち、全人類に行き届くでしょう。

ちなみに、余白があちこちに生まれるということは、真実がひとつではないことを指しています。

名探偵コ◯ンとはまったく逆のことを言っているように聞こえるかもしれませんね。捉えようによってはまったく同じことを言っているのですが、正直どちらでもかまいません。ただ、もし真実に対する捉え方がゆがんでしまっていると、真実は途端にとても窮屈で退屈なものに感じられてしまうかもしれません。

私が胸を張ってお伝えしましょう。
真実とは、驚きを内包した、雄大で、優雅で、軽やかな生命の旋律なのです。


いやはや、私にしては、ずいぶんと懇切丁寧に言葉を扱ったかもしれませんね。ではいつもどおり、ざっくりとした言葉で別の伝え方をすることもしてみましょう。


四枚目


眠りにつく寸前の時のことを思い出してください。
そこに、あなたにとって穏やかで安らかな呼吸があります。

今、その呼吸を、してみてください。

たとえ今、仕事中であっても、家事の真っ只中であっても、運転中であっても、誰かと喧嘩している最中であっても、病に伏して辛い思いを抱えているなど、いついかなる状況であったとしても、

今、その呼吸を、してみてください。
今は、そのまま、続けるだけでかまいません。

もし気持ちの余裕が出てきて、何かしたくなったとしても、
なーんにもしないで、もう少しだけ、呼吸を続けてみてください。

すると、つい先ほどまではとらえられなかったものが感じられます。
見えたり聞こえたり、あなたの感覚のいずれかがそれをとらえるでしょう。

それが、あなたにとっての、あなただけの余白のはじまりです。
その余白を生かして、日々の呼吸を続けていきましょう。

引き続き、あなたの素晴らしいひとときを、人生を、お過ごしください。




ギン




今週は、そんなキンボです。








こじょうゆうや

あたたかいサポートのおかげで、のびのびと執筆できております。 よりよい作品を通して、御礼をさせていただきますね。 心からの感謝と愛をぎゅうぎゅう詰めにこめて。