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父を送る(27) 帰宅

父親に話しかけている間、涙は出なかった。終わったんだな。という感慨が大きかった。

話すこともなくなって、静かに父の隣に座っていたら施設のスタッフがやってきた。●●さん、ずっとがんばってくださってたんですけどね。ふと巡回してお部屋覗いたら、えっ、●●さん息してないよ!!ってなって…なんでもう少し待っててくれなかったのかな、って…!もうすぐ娘さん来るのにって…!スタッフは一生懸命顔を歪めて大きな声を出していたが涙は出ていなかった。なんだろうな。これ。泣き屋さんかな。と妙に冷静にその顔を眺めていた。あんまりにもなんどもなんで…!なんで…!というので、何か喋った方がいいかなと思った私は口を出した。たぶん父は…、と言ったところで父親に会ってから初めて涙が込み上げてきた。たぶん、父は、私の、泣き顔、見るの嫌がったので…っ、泣かれたく、っ、なかったんだと、思います…。そうですか、そうだったんでしょうね。とスタッフがうんうんと大げさに頷きながら言った。その流れで、こちらにいらっしゃるご家族の方は車の場合も多いので、道中事故に遭わないように何かあっても連絡を控えているんです。あの、今回は連絡が行き違ってしまって訪問医の先生から電話してしまって…すみませんでした。と言われた。あ、そういうこと、と察した私ははい、大丈夫です。と答えた。

スタッフが去ると、叔母が来てくれた。父親の姿を見て、兄貴、私だよ…!と大きな声で呼びかけながら泣いた。私は子供だから、悲しくて辛いけど親は先に逝くものという心構えがなんとなくあった。だけど、叔母を見て兄妹はまた違う辛さだろうなと感じた。がっくりと項垂れる叔母が心配になった。
五分も経たず夫も来てくれた。父親の方にそっと近づいてあぁ、痩せちゃったね。と言いながらそっと父親の肩をさすりながら遅くなってすみません。お疲れさまでした。と声を掛けてくれた。
夫の様子を見ていた叔母がえっ死んでるの?!と素っ頓狂な声をあげた。どうもまだ危篤状態だと思っていたらしい。色々おかしいだろ、と思ったが、改めて泣き始めた叔母を見てさすがに突っ込めなかった。

訪問医が到着した。瞳に光をあてて瞳孔見たり脈見たり聴診器あてたり、というテレビでよく見る光景が目の前で繰り広げられた。午後四時三十分、ご臨終です。食道がんにかかられてからおよそ十年…がんばりましたね。と言って静かにその場を去った。ご臨終です、だけじゃなくてここで一言、的なそういう礼儀というかお作法があるのかと感心した。

施設のスタッフから葬儀会社の方へのご連絡をお願いしても良いでしょうか、と促されて控えていた番号に電話する。送迎をお願いしたい、と伝えた。一名だけは同乗できるそうで、私が父親と一緒に帰ることになった。車で来ていた叔母が夫を実家まで送ってあげる、と言ってくれた。さらに、父親の荷物を全部引き上げちゃおうよ、と言って夫と手分けして車に積んで一気に片付けてくれた。後で荷物の引き取りの手配をしなくちゃと考えていたので本当に助かった。

葬儀屋さんが来るまでの間に何人かのスタッフさんが弔問に訪れてくれた。ぼく実家が●●さんと近くて、色々話してくれたんですよ。あそこのあれがおいしいとか。あぁ、いいお顔で眠られてますね。お世話になりました。と言ってくれた若い男性スタッフがいた。他のスタッフさんが来てくれた時に、本当に我儘ばかり言ってご迷惑をおかけしました。すみませんでした。と謝ったらぜんぜんですよ。●●さんはぜんぜん良い方でしたよ。とも言われた。ここでの暮らしも悪いことばかりではなかったんだな、最期に周りに人がいてくれてよかったなと思った。

一時間ほど待って葬儀屋さんが到着した。施設のスタッフの方が髭などを剃って綺麗に整えてくれた父親を葬儀屋さんがストレッチャーに乗せてゆっくり運ぶ。車は黒いワンボックスだった。後部座席に父親、その前に私が乗るような形で乗り込み、スタッフさんたちに見送られながら出発した。

家に着くと、叔母と夫が家の荷物をとりあえず二階に寄せる形で整えてくれていた。父親が寝室として使っていたリビング横の和室に、葬儀屋さんの手によっててきぱきと祭壇が作られ、父親がいつも寝ていた布団の上に寝かされた。父親が落ち着くと、葬儀屋さんのほとんどが撤収し、最後に残った初老の方がこの度はご愁傷様です…とご挨拶してくださった。まずは火葬の予約が必要ですので…少々お待ちください。と言ってどこかに電話を架け、しばらく話してからお待たせしました。最短で週明けの月曜にお通夜、火曜にお葬式ができます。お付き合いのあるお寺さんがあれば連絡していただいて、日程を聞いてみていただけますか、と言われた。大丈夫だと思いますが遠方なので来られないかもしれません。と言いつつ、お寺に電話してみる。ご住職の奥さんが出られた。そのままあ、●●ですが、父が亡くなりまして…と話を進めてお通夜も葬式も出られます、と言ってもらえて安心した。戒名で入れてほしい文字などはありますか、と聞かれたので父親は釣りが好きだったので釣りに関する漢字と、あとは…最期は何も食べられなくなってしまったので、食べ物に困らないような漢字が良いです。と言った。また泣いてしまった。ご住職は分かりました、と答えてくれた。それでは場所などは後ほど…と電話を切った。

葬儀屋さんにお寺さんの都合がつきましたのでその日程でお願いします、と伝える。かしこまりました、では詳しい打ち合わせは明日またドライアイスの交換でお伺いした時にさせていただきますので、まずは遺影で使われる写真をご準備ください、と言われて分かりました、よろしくお願いします、と答えた。葬儀屋さんが去る間際、この後お供えとしてお米を炊いて普段使っていらっしゃったお茶碗とお箸でお供えしてください。お米はお茶碗いっぱいにこんもり盛って、お箸はお米の真ん中に突き刺してください。と指示してくれた。テレビとかで見たことあるやつだな、と思いながらはい、と頷いたら今度は何か袋に入った粉を渡してきた。それから、こちらサービスですのでお団子を作って備えてください。お皿は普段使っていたもので、何でも良いので。と言われた。お団子…?お団子作るの…?

葬儀屋さんを見送り、叔母もじゃぁ帰るね。また葬儀で。と言って去った。さて。と夫と顔を見合わせる。とりあえず米を炊かなくては。
お米を炊いている間にお団子を作ることにした。受け取った袋の説明書きを読む。電子レンジで作れる便利なタイプらしい。よく分からないまま水を入れてレンジで温め、アチッ、アチッと言いながら夫と二人で団子を作った。初めてだしレンジで温めた生地は加減がよく分からないし、ぜんぜんうまく丸めることができなかった。こねこねと手のひらで団子を丸めながら俺がいて良かったね、と夫が言った。こんなん一人でやってらんないよな。何やってんだってなるわ。それは本当にそうだと思った。
不格好な団子とこんもり盛ったお米を父親の前に備えた。とりあえずもう寝よう、と寝自宅を始めたが来客用の布団はホコリがすごくてハウスダストアレルギーの夫は使えなかったのでリビングで暖房をつけたまま二人で眠った。




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