7/13 2023

・大人になるというのがもしも、あらゆる痛みに対して鈍感になることを意味しているのであれば、とても悲しく思う。もちろん、社会に帰属して生きていく中で、心無い言葉やぞんざいな扱いを受ける機会はそれなりにある。そういうのを日々経験していくと、ちょっとずつ自分が無情になりつつあるのを実感する。
 それでも、自分の心が痛むことへの意識が薄れてしまうと、それが対人関係にも影響しちゃうような気がして、ぼんやり不安だ。

・話をちょっとだけ脇道に逸そう。僕はあまり対人コミュニケーションに自信がない。兄弟もいないし、友達を作るのも得意じゃなかったから、一人遊びの才能だけ成長してしまった。だから、「人の気持ちを察する」というのがいまだにうまくできない。でも、みんな年を重ねるとあんまり自分の気持ちを言わなくなる(ような気がしてる。そうだよね…?)。

・僕は割と、「この人は今こういうことを感じているのかな」と、誰かになり変わってその人の感情を想像するときがある。それはたぶん「察する」とは違う気がするけど、「他者の靴を履いて地べたを歩いてみる」感じは、ちょっとお守りみたいに大事にしている。
 大人になるということがもしも、他者の痛みに対して不寛容になることを意味しているのであれば、とても寂しく思う。僕はこれからも、他者が感じる微妙な気持ちの粒々に触れたいし、その繊細さを殺さないようにしたい。
 そのためにも、自分の心は桃のように柔らかいものである必要があるのかなあと、ぼんやり考えている。