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凪をこえて

 母との買い物のために外へ出た。もう日は暮れていて、街灯がちらちらと光っている。ひと月前であれば、この時間帯でも空は明るさを保っていたはずだ。夜風の涼しさに季節の変わり目を肌で感じ、今年ももうすぐ終わってしまうのかと、ちょっと寂しくなった。

 仄暗い道を、母と雑談しながら進んでいく中で、僕はふと文章を書きたいという気持ちに駆られた。これはここ最近の悩みの種だった。文章への意欲はあるのに、僕の生活の平凡さが、それを萎ませてしまう。ちょっとしたスランプなのかもしれないけれど、自分が抱えている不安や困難さが、文章にするほどでもない矮小なものだと感じるのだ。そうは言いつつ、僕はこうして文字を繋ぎながら次の展開を模索している。では、自分の中にドラマがないのなら、外の世界の話をしよう。まずは、先日観劇したとある作品のことから始めることにする。

 まだ夏の盛りに、大阪の新歌舞伎座を訪れた。NODA・MAPの『兎、波を走る』を観るためだった。正直、僕自身はあまり演劇に興味はなかったのだけど、職場の先輩に高橋一生の相当なファンがいて、やたらと僕に「観たほうがいい」とお勧めしてくれた。軽い気持ちでチケットサイトに応募してみたものの、落選。しかし先輩は、「次はここで抽選受付をしている」と別のサイトを教えてくれる。そんなことを繰り返していたら、運よくチケット(立ち見席ではあったけれど)を取ることができた。

 初めて観る演劇ということで少し緊張していたけれど、いざ幕が上がればするりと物語の世界に入り込むことができて、本やテレビでは得られない刺激を感じた。没入しすぎたせいか、二回泣いてしまった。『兎、波を走る』は、日本で実際に起こった「ある不条理な事件」を物語の題材として扱っているが、それは今この瞬間にも、人々の記憶から、歴史から忘れ去られようとしている。そうして事件が風化しつつあることに対して、この演劇は観客に強い危機感を呼び起こし、警鐘を鳴らす。過去を語り継いでいくこと。私たち一人ひとりが書き手となり、語り手となり、悲惨な出来事を未来へと繋いでいくこと。そうした希望を、物語から託されたような気がした。

 いま僕が読んでいる大江健三郎の『ヒロシマ・ノート』にも、同じような性格を認めることができるかもしれない。大江は、原子爆弾が広島に投下された1945年から十数年後に書かれた当書のなかで、このように述べている。

 はばかることなく卒直にいえば、この地球上の人類のみな誰もかれもが、広島と、そこでおこなわれた人間の最悪の悲惨を、すっかり忘れてしまおうとしているのだ。

大江健三郎、1965、pp.106-107

 「1960年代に既にこうした意見が出ているのならば、そこから半世紀という月日が過ぎた今はどうなのだろうか」と、自戒を込めて問いたい。私たちは易々と、悲惨な事件を忘れてしまう。せいぜい8月6日にニュースを見て思い出し、有り合わせの「戦争反対」というつぶやきをする程度だ。

 僕は戯曲を書いたことがないし、本を出版するなんて夢のまた夢だろう。そんな平凡な僕にできることといえば、身の回りの人と雑談することや、短い文章をしたためることぐらいだ。僕は僕のやり方で、忘れてはならない歴史と向き合いたい。母とスーパーの店内をまわりながら、友達とお酒を愉しみながら、どういう話ができるだろう。秋口に、そんなことを考えてる。